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組織ファシリテーション試論①|私は何を書こうとしているのか?

はじめに

ここからしばらく「組織ファシリテーション試論」と名付けたnoteを書いてみようと思います。「試論」とは、まさに字のごとく「試しに書くよ」ということでので、まったく大それたことを書くつもりはありません

思えば、久しぶりのnoteになります。とはいえ、読む人にとっては久しぶりかどうかは関係ないのですが、もしかすると過去記事を読んでいただく機会もあるかもしれませんので、断っておくと、過去の記事と比較して、今回から、私が書く内容は、より生煮えで、よりフワフワしたものになるだろうと思います

組織ファシリテーションとはなにか

私が所属する株式会社MIMIGURIでは、「Cultivate the Creativity(創造性の土壌を耕す)」を理念に掲げ、活動しています。

「組織の創造性を取り戻す」というテーマのもと、私たちが掲げているのが「組織ファシリテーション」という概念です(詳しい説明や知の現在地はぜひCULTIBASEでご覧ください)。

「組織ファシリテーション」。言葉にすると、すでにその概念は形を持ち、正解があるように思えてしまいます。

しかし、その活動は、決して正しい正解があるとか、スマートにやれば必ずたどり着くものではないと思います。むしろ、道なき道、けものみちでしょう。
ゆえに、たくさんの試行錯誤、実践知、組織学習、研究、ナラティブの集積などによって、どんどん肉付け・アップデートされていくものでしょう。

組織ファシリテーション「試論」とはなにか

私自身も、日頃「組織開発」という答えのないプロジェクトに取り組んでいます。そういう意味では「組織ファシリテーション」をアップデートする末席に名を連ねているのかもしれません。しかし、実際は、私自身まだまだ未熟であり、頭も良くなく、どちらかというと地を這いずり、失敗も多い、一人の実践家に過ぎません。

しかしながら私が格闘している「組織開発プロジェクト」で起きていることは、「組織ファシリテーション」としか説明しようのないプロセスであることは確かだと思います。

私は創造性の土壌を隅っこでほそぼそと耕している名もない一人にすぎませんが、そんな地べたに近い目線として、実際のプロジェクトを進めながら考えたことを、何回かに分けて取りまとめてみようではないか、と考えている次第です。

というわけで、これは試しに書いてみる論(試論)であり、私の実践から来る論(私論)でもあります。平たく言うと、日々に私が感じたこと、気付きについて、記述しようと試みるものです。以上が言い訳になります。

なぜ私が「試論」を書くのか

先ほども書いたように、私は株式会社MIMIGURIに所属しています。現在の肩書は「組織コンサルタント」と名刺に書いてありますが、いわゆる「コンサルタント」という職業から想起されるスマートさはあまりありません。

以前は「デザインリサーチャー」という肩書にて、組織内の情報をインタビュー等を通して拾い上げていく、などのスキルにフォーカスしていましたが、

現在は組織開発プロジェクトのプロジェクトオーナーとして、「組織変革」というテーマに対し、諸々のプロジェクトを立ち上げながら、クライアントと一緒に取り組んでいます。

とはいえ、不確実性の高いテーマでもありますし、関わる人も多くなかなか一筋縄ではいきませんから、ぶっちゃけていうと格好良く「成功事例」と呼べるものはまだありません(これはクライアントに起因するものではなく、私の心情やテーマ的に、単純に「成功」と形容したくないためです)。むしろ、現在進行系で、あれや、これやと泥臭くやっているのが実際のところです。

今のところ書きたいテーマ

私がこの「組織ファシリテーション試論」というnoteを通して考えたいのが、「組織開発とは誰のものか?」ということです。

「組織開発」とは、誰かに帰属するものなのか?あるいは「みんなのもの」なのか?

組織開発とは、実に様々な課題感のもとに始まっていきますが、その「始まり」は、そのまま「組織開発を誰が主導するのか?」という問題に発展していきます。

私は外部のエージェントとしてその「オーナーシップ」の問題に向き合っていますが、当事者となるクライアントは、具体的には経営者は、その問題に対し向き合うとき、様々な難しさに向き合うことになります。その難しさの中には、当然、事業存続に関することもありながら、人間関係やしがらみといったものも含まれます。

そんな状況は、外部のエージェントたる私たちにとっては「自分たちは誰(何)のエージェントであるべきか?」という選択になっていきますし、内部の当事者の方々にとっては「これは誰が、何(誰)のためにやるのか?」という、問題になっていきます。

もしかすると、この問いに対するスマートな答えがすでに世の中にあるのかもしれませんが、あいにく、私は持ち合わせていません。また、どちらかというと、スマートな答えを欲しているというよりも、モヤモヤとした問いをもとに、ぐるぐると考えることに、価値を感じている、という実感に近いです。

ということで、しばらく「試論」という形で、ウロウロと問題の周囲を実践感覚をもとに考えていこうと思う次第です。


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