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【和訳】ヴィム・ヴェンダースによる『PERFECT DAYS』に影響を与えた映画9選

配給会社NEONを通じて、ヴィム・ヴェンダースが『PERFECT DAYS』を制作するにあたって影響を受けた9作品 (「Wim Wenders' PERFECT DAYS Inspirations」) が掲載されました。全文を日本語に訳してみます。

・『東京物語』(1953)
小津監督作で初めて観たものです。この作品を通して、映画とはどういうものになり得るかについての認識が劇的に変わりました:映画とは現実世界をただ描写したものではなく、日常を超越するものになれるのです。我々は映画が「キャラクター」や「ヒーロー」を出すことを当たり前だと捉えがちです。つまり映画が、確実に「家族の生活」やいわゆる「人生」が含まれた「人類」のイメージを提示し「彼の物語」を見せることもできればただの「物語」を見せることもできることを当たり前だと思いがちなのです。しかし我々は、男性と女性が本当のところは何を代表しているのか、どのような人生を露わにしているのかを問うことは稀です。小津の王国で私は映画が「実生活」にかなり近づき、人びとの魂と生き様を見せることができることを学びました。そして彼らは決して物語の「機能」を成すのではなく、むしろその反対を成すことを学びました:彼らは生きながら自身の物語を作り上げていくのです。これは根本的な違いです。人生においても、映画においても。

・『秋刀魚の味』(1962)
小津の遺作です。非常に笑える、軽快な映画であり、日本社会の全ての変化に気づき、表現する小津の長い人生に渡るこだわりを引き継ぐ、地震計のような作品です。ここでも笠智衆が主人公で、彼も平山という名前です。
+1920年代後半から60年代前半までの小津安二郎による作品はすべて参考になりました。

・『ノマドランド』(2020)
実に素晴らしい作品です。それはフランシス・マクドーマンドが代表する人物によるところが大きいです:実在する人物、自由な女性、さらに流浪者(ノマド)の三者です。好きなロードムービーのリストの中では上位に入る映画です。確実に彼女は平山の遠い親戚だと思います…

・『地の塩』(1954)
これも奇跡のような作品です。困難な中、ブラックリストに入れられた監督によって映像化され、ブラックリストに入れられた脚本家によって書かれ、ブラックリストに入れられたプロデューサーによってプロデュースされました。1951年にニューメキシコで実際に起きた亜鉛鉱夫たちによるストライキが基になっています。ここでもまた、映画を大きく感動的にしているのは「主演女性」のメキシコの女優ロザウラ・レブエルタスです。彼女の人生のドキュメンタリーを見ていると信じるように仕向けられます。(この映画が浮かんだ理由です:『PERFECT DAYS』も架空の人物を彼/彼女が実在する人物であり、彼らに関するドキュメンタリーを撮っているかのような精神で作りました)

・『こわれゆく女』(1974)
ジーナ・ローランズによるアルコール依存の母親と主婦の演技は言葉に表せないほど素晴らしいです。ピーター・フォーク演じる彼女の夫も、同じくらいリアルで力強く迷走しています。世界中のたくさんの家族における苦悩の種であるアルコールを非常に現実的に捉えていることは、不穏かつとても悦ばしいことです。

・『バルタザールどこへ行く』(1966)
この作品のヒーローは人ではなく、ロバであり、登場する女性と男性は全員「脇役」です。映画で暴力に関する傑作があるとすれば、この作品です。当然、暴力は映画史において長い伝統を持っています。しかし、ブレッソンの映画はそれを観客が体感できるように描写はしていません。ロバの人生に関するこの作品ほど思いやりについて学んだことはありません。映画に世界の見方を変えられても良いと思うならば、観なければならない作品です。(著書『聖なる映画:小津/ブレッソン/ドライヤー』でポール・シュレイダーが小津とブレッソンを一気に挙げているのにも納得がいきます)

・『華氏451』(1966)
これは確実に私のオールタイムベストに入る映画で『2001年宇宙の旅』『ブレードランナー』と並ぶSFにおける稀な傑作の一つです。この作品を挙げるのは主に本への愛が示されているためです。『PERFECT DAYS』の平山は『華氏451』における「ブックピープル」と同じくらい、仕事終わりに読書することに幸せを感じているように見えます。彼らのように、平山もたやすく読んでいる本の一部に「なる」ことができ、本の中の文章、例えばウィリアム・フォークナーの『野生の棕櫚』に出てくる文を暗唱できる気がします。

・『生きる』(1952)
もうすぐ死ぬことが分かっていて、死ぬ前に何か良いことをしたい、本当の意味で一度は生きたいと思う公務員の話です(所以『生きる』というタイトルになっています)。志村喬はこの人物を実に悲しく演じています。この老人の何か意味のあることを残したいという思いを、我々の脳に刻み込まれたままにするのです。彼の同じ仕事を繰り返す人生は『PERFECT DAYS』の平山が自身の「ルーティーン」を生きるのとは逆です。その意味では、二つの作品はかけ離れています。ただ、二つの作品には共通点もあるかもしれません。それを探すのは観客に委ねてみます…

・『イージー・ライダー』(1969)
この映画をこのリストに入れるのはー当時にしてはー革命的な音楽の使い方をしているためだけです。映画学校の学生であった頃に『イージー・ライダー』を初めて観たときは興奮しました。そしてこの体験は同年に初めての映画『都市の夏』を編集しているときと合致し、編集室で好きな曲を撮った映像に乗せながら、それぞれの曲がシーンに異なる意味を与えられることに衝撃を受けました。50年後『PERFECT DAYS』は私の初期のロードムービーの遠い親戚となりました。平山は饒舌な人物ではないため、仕事に向かいながら、安くて古い軽トラックについたカセットレコーダーに入れるいくつかの曲が、彼の物語を見せることに役に立つだろうと思いました。そのため、脚本を書く段階で曲のほとんどは決めていました(そしてこれが私なりの『イージー・ライダー』への敬意の表し方です…)。台本の口絵にはニーナ・シモンの「Feeling Good」の歌詞をつけました。なぜなら、今ここで生きる平山の力を最もよく表していたと感じたためです。映画の最後も「It's a new day, it's a new dawn, it's a new life for me. And I'm feeling good!(新しい日だ、新しい夜明けだ、新しい人生の幕開けだ。そして良い気分だ)」で終わらせました。

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