初夏の花
ちらほらと薔薇が咲き始めたこの時期、市内にある県営公園の花壇では初夏の花が一斉に咲き誇っている。
この公園は散歩がてら月に数回は来ている馴染みの場所。長い階段もしくは迂回路の坂道を登った丘の頂上にあるために訪れる人は少なく、とても静かなひとときを過ごせる。四季を通じてこの花壇を観察していると、いろいろと気付かされることがある。
1ブロック20平米ほどの花壇が10ブロック並び、それぞれ一人ずつボランティアの方々が自由気ままに管理している。人様の家の庭をじっくり拝見しているような気分になる。自宅の狭い庭と違って、多種多様な園芸品種を見ることができるのでとても興味深い。
ある人は毎年新しい品種を植え華やかな花壇を造っている。別の人は毎年繰り返し咲く花だけを地道に世話する。また中には完全に放置している人もいる。雑草だらけの中にひょこんと花が顔を出している。自然農法を見ているようで、これはこれで味があっていい。
先日写真を撮っていると、その日の作業を終えたボランティアの高齢の女性が声をかけてきた。撮っていたその花は、御自身の花壇でもいつの間にか勝手に咲いていたとのこと。種が風に乗って飛んでいき、新たな可能性に身を委ねたというわけだ。これがあちこちで頻繁に起こり、入り乱れて咲いている。花壇以外の離れた森の中に自生している花もたくさん見かける。
こうしたバラバラな管理でも、遠めに見た時には全体として調和のとれた景観となっているところが凄い。その光景はあるがままの自然環境のようにも見えてくる。
ご存知の通り植物は、必要な栄養素を大気、水、光、土の中から無機質を取り入れ、内部で有機化合物を作り出すことによって生育している。多種多様な造形美を、形も色もない大地と大気からマジックのように創造する姿は何時見ても驚きだ。
ロシアの神秘家グルジェフによれば、植物たちの生育はオクターブの法則に従い、ドレミファソラシドと同じように一音分ずつ成長しているという。途中の半音上がる位置では、半音と半音という二方向に枝分かれすることによって計一音分成長する。耳には聴こえない音楽を体現していることになる。
自然環境であれ、こうした人為的な花壇であれ、その背後には生態系というエネルギー循環システムと、そのシステムを生み出す地球環境、さらにその奥にある宇宙の摂理と、どこまでも続く大きな円環が存在している。花の存在とはそうした巨大な実相の一断面を伺い知る機会でもある。
人もまたこの大いなる循環システムの中に生き、自然界の動植物という栄養素の摂取によって生かされている。体内に取り入れた有機化合物は錬金術的に酸素と結合して生命エネルギーへと昇華され、身体、思考、感情などの原動力として日々活用されている。
先ほどのグルジェフによれば意識の持ち方次第で、同じ食物でも生成される生命エネルギーの質が体内で劇的に変わるようだ。
どのような意識の時により質が高い生命エネルギーに変容するのか。それは「薬も外科手術も行うことなく、思考ひとつで病は完治できる」と説くジョー・ディスペンザ博士の著書にヒントがある。
花や樹々たちと過ごすひととき、それは同じ円環の世界に生きるもの同士の触れ合いの時でもある。AIが発達しても、どのような社会構造になっても、生命エネルギーの循環システムだけは決して他のもので代用することができない。
人も花も、内側には完全無欠な美と健康と再生力を秘めている。此の世の実相である天と地の沈黙から生まれた美の世界を通じて、人と花とは仲間として共鳴し合う。
花の個性豊かな美しさは、私たちが調和した円環の世界へと回帰し、本来の「大地に住む知能を持った者」を思い出すためのひとつの貴重な道標である。花を見ると癒され元気になるのはそのためだ。
初夏の花
北九州市 県営中央公園
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