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バラの奥に潜むもの


 北九州市内にあるバラ園で、毎年恒例のフェアが開催されている。昨年は開花時期が例年よりもだいぶ早かったが、今年は逆に遅く、先日訪れた際にはまだ4~5分咲きほど。見頃は今月20~25日位になるらしい。
 約450種、2,700株、そして数十万、数百万の個性豊かなバラの花。同じ姿形をしたものはひとつもない。
 (フェアは6月9日まで)

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 専門家の研究によれば、バラの発祥地はヒマラヤの麓や渓谷周辺。遠い昔、そこから世界中に広がったとされる。
 原種から数多くの交配が繰り返され、新しい品種が生み出された。それはいつもバラの花をより美しく、より芳しい、より強い品種へと進化させる礎となってきた。

 今日では、日本におけるバラ研究が世界をリードし、日本産の「和ばら」が海外でも人気が高まっているようだ。
 このバラ園でもオリジナル品種や、個人育種家による作品などが中央付近に配置され、熱心な取り組みが行われている。

 ある調査によると、日本人の一番好きな花の一位は桜。二位と三位が僅差でチューリップとバラ。特に女性にとってはバラが一番人気だ。確かにこのバラ園に訪れる客層を見ても、女性が圧倒的に多い。

 訪れた人たちは皆幸せそうに微笑んでいる。ここに来て暗い顔をし続けることは不可能だ。中には数人のグループで来ていた女性が「バラが咲いた」を口ずさみながら歩いていた。何とも微笑ましい限りである。

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 人間もまた同じように古代から大陸間の移動や航海によって様々な人種の交配を繰り返しながら、現在に至っている。
 その一方で、肉体は神から授かった魂の乗り物と言われている。
 人間の魂は輪廻転生を繰り返し、様々な人種、国籍、性別、身体、家庭環境、役割、貧富、社会的状況、戦争などを通じて、地球上で体験できるありとあらゆる喜怒哀楽、艱難辛苦を経験してきた。

 覚者たちの話によれば、魂の遍歴は地上での輪廻転生を終え、最終的には高次元世界へと旅立つ時を迎える。

    神秘家グルジェフによると、地球上には48種類の法則性があり、この内半分の24法則の呪縛から解放されると魂は解脱し、24種の法則性の次元世界ヘと上昇する。
 「24」の先には「12」「6」「3」と段階的に上昇し、最終的には「1」という絶対世界、1つの法則だけが存在する世界に到達する。

 最後に行き着くたったひとつだけの法則の世界。
 いったいどのような世界なのだろう。
 宇宙に溶け去ること。
 神との合一。
 愛と光の世界。
 そんな言葉が脳裏をよぎる。




 日本には昔から清涼な水が湧き出る緑豊かな美しい国土が広がっていた。長い歴史の中では、かつて平和な暮らしが1万年以上続いた縄文時代もあった。

 その後シュメール、ケルト、フェニキア、ラピュタなどの人々は遠い日出ずる国を目指し、大陸や海を渡ってやってきたという痕跡が数多く見つかっている。北米大陸からもまたアリューシャン列島を渡って来た人々がいた。

 この日本列島には大地のエネルギーが噴出する火山が多く存在し、その周辺には高度な天文学的知識と波動法則を熟知した巨石文明が存在していた。巨大な岩を遠方から、時には沖合いの島から船で運び、山の上に積み重ねるという信じ難い高度技術を持つ人々によって造られた。

 また約2500年前にインドで芽生えたディヤン(禅)は、中国で成長し、朝鮮半島で枝葉を広げ、中世の日本で花開き、栄西、一休、白隠、道元、良寛など数多くの覚者を生み出してきた過去がある。

 透視能力者によれば、東日本大震災で死亡行方不明となった多くの方々が解脱し、魂の故郷の出身星へと旅立たれたという。

 このようなことから、この日本という島国は古代から他の土地にはない、解脱が起こりやすい波動環境が本来的に備わっているのではないかと思えてくる。巨大なピラミッドを建造するまでもなく、この土地自体が巨大なポータル的な存在、スターゲートだったのではないか。
 「日出ずる国」とか「黄金の龍の国」と呼ばれ、高度な知性を持った古代人を惹きつけてやまなかったのは、そうした神秘が隠されていたからなのかもしれない。
 



    バラの美しさから漂う愛の薫り。
 それは花の奥に潜む静寂から湧き上がってくるように見える。
 その純粋無垢な輝きは、まるで天界から生まれたばかりの赤子の微笑みにも似ている。

 バラの花の奥には高次元へと繋がるポータルと同じような奥義が潜んでいるのかもしれないと思うと、ますます神秘的な花に見えてくる。


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 音楽家、画家、詩人は異なる次元に生きている。
彼は考えるよりも感じる。
そして彼はハートに生きているため、他人のハートを感じることができる。
これが一般的には愛と呼ばれている。
それは稀有なものだ。

 どうして多くの人は第二の次元に行かないのだろう――この上もなく美しいのに? 
しかし、そこには問題がある。 
美しいものはとてもデリケートだ。
それは金属製ではなく、とても壊れやすいガラス製品のようだ。
ガラスが落ちて一度壊れてしまうと、それを元どおりにする方法はない。

 人びとは表面的な事柄にかかわりすぎて、その深いデリケートな愛の層に達することを恐れている。
というのも、その段階になると「愛」はこの上もなく美しいが、しかし同時にとてつもなく変わりやすいものになるからだ。

 人間的な感情は石のようなものではなく、むしろバラの花に似ている。
しかし多くの人びとにとってはプラスチックのバラの花のほうが都合がいいのかもしれない。
というのも、それは枯れることがないし、毎日水をかければみずみずしく見えるからだ。
褪せてきたらまた色を塗ってやればいい。
プラスチックは、世界でいちばん壊れにくいもの。
それは安定していて恒久的だ。

 詩人たちや芸術家たちは毎日のように恋に落ちると言われている。
彼らの恋はバラの花のようだ。
瑞々しいうちは、とても香りがよく、生き生きとし、風の中、雨の中、日差しの中で踊り、美しさを主張する。
だが夕方にはしおれてしまう。
何をしようとそれを止めることはできない。

 ハートのより深い愛は部屋に吹き込んでくるそよ風のようだ。
それは新鮮さ、涼しさを運び込んで、そしてどこかに消え去ってしまう。
風を手につかまえておくことは不可能だ。


オショウ講和録  From Death to Deathlessness, Talk #17





北九州市 響灘グリーンパーク







































































































































バッハ / 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第1番 ト短 BWV1001 ― I . アダージョ
HIMARI Violin Official



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