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地球のすこし上

午前9時30分。
搭乗口から30分ほどターミナル内をぬるぬると低速で移動したのち、ようやく小振りのLCCの機体が空に飛び立った。


気流に揺らされながら30分ほど経ってやっと、土砂降りの雨を降らせていた厚い雲を突き抜けた。今日の日本は寒かった。

今は青々とした空と、薄く広がる白い雲の間にいる。

地球でも宇宙でもない狭間のこの空間にきっと何かしらの名前はついてるんだろうし、どっちかと言われたら地球に属するのだろうけど、固い地面の上で生きる人間からしたら、足が大地を離れていたらそれはきっと地球上ではないと思うし、空が青く見えるうちは多分宇宙でもない。

ぼんやりとした白が霞むどちらともいえないこの空間に不思議と心が安らぐ。
曖昧な境界線が印象派の美術みたいで、この景色をモネだったらどうやって描くんだろうか、シニャックだったらどんな風にドットを打つんだろうかと思う。彼らにこの飛行機からの景色をみせて絵画にしてもらいたい。

フライトの時間的に、少なくとも6時間は同じ景色を見ることになる。
窓際に座る自分は霞んだ白い風景を誰にも邪魔されず眺める権利を持っているわけだけど、悦に浸って眺め続けているうちに、だんだん自分の輪郭まで曖昧になって雲に溶けていくような錯覚に陥る。

自分の白い肌がだんだんと透き通っていって、薄くなって、最後は蝋燭が消えた瞬間の煙みたいにパッと靄が沸き立って飛行機の二重窓を透過して空に出る。乗っていた飛行機が、少しずつ南に向かって遠ざかっていく。
雲をクッションに仰向けになって青い空を見ながら飛行機を見送る。

体温も感覚も無くなって、雲と同化していく。焼きたてのトーストの上に置いたバターみたいに体が薄く広がっていく。体はさらに白く透明になる。

体は白くなるのに、反して周りの景色がブラックアウトしていく。体の高度が下がる。海が近づいてくる。



緩やかに体が落ちる。

落ちて、落ちて、落ちて、海に、





不意に思いっきりフリーフォールする感覚と強烈な身体の熱さで飛び起きて前の椅子に膝を殴打して目が覚める。気づいたらうたた寝をしていた。痛い。LCCの座席の狭さを侮っていた。あと空調が暑い。

日本語が伝わるか分からない中で、とりあえず前の女性に謝罪して臨死体験みたいな夢の世界から帰ってきた。前の女性がまた一段とリクライニングを倒す。手に抱えたままのリュックを床に置くことすら叶わない。硬いシートに大臀筋も痛む。


そんな状況でも、とりあえず痛みを感じる肉体を取り戻した感覚にホッとする。


人生は楽しい。楽しいけど、ありきたりでもある。
都心の人混みに紛れてどこにでもありふれた生活を続けるうちに、自分とは何か、なにが自分たらしめるかという根源的な問いを探すのが癖になった。
そして明確な答えを提示できないまま時間だけがすぎて、焦燥感を引きずりながら生きるのが当たり前になっている。


それでもどれだけ思考を繰り返そうと、今生きて明確に輪郭をもつこの身一つあるという事実が、それだけで自分が自分である証拠だと、雲を眺めて、雲になる夢を見て不意に思う。

ぬるま湯に浸かるような暮らしに納得はいってないけれども、それでもまだ意識と体がちゃんと動いてくれるから、仕方ないからまだ生きてやるか、試しにバタ足でもして波立たせてやるかという心持ちになる。



飛行機は変わらずに航行を続け、ついに縁もゆかりもない異国に辿り着いた。

東南アジアの独特な香辛料の類の匂いと温暖な気候に包まれて、「日本ではない」と実感する。

途中で思考を放棄したので、ホテルにチェックインしてからの計画は何一つない。とりあえずふらふら歩いて探そうと思う。何も知らないからこそ、全てが新鮮に感じるという説を提唱することで自分の怠慢を今回も正当化する。


知らない国で心が波立つような面白いものが見つかることを祈って、知らない街へ繰り出す。


ブイビエン通り




アラサー社会人、ベトナムに1人


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