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ブルーグラス

【追記】
この文章は美波さんの「ブルーグラス」という曲にハマりすぎた私が、曲を聴いて思ったことを勢いのままにぶちまけた投稿です。
つきましては歌詞の解説でも考察でもありません。
おそらく美波さんが伝えたかったであろうこととは別の解釈を私はしていて、その自覚もあって、その上で感動もしていて、それをつらつらと書いてます。



「美波」というアーティストの「ブルーグラス」という曲しか聴けない呪いにかかっている。
多分3日で50回は聴いている。

美波のLiveに行く道中、予習しなきゃと思ってApple Musicで一番最新のアルバムをライブラリに追加して聴いていた時から、ああ、この曲いいなとは思っていた。聴くのはその日が初めてで、そんな状態で行っても一生忘れないくらいハマってしまうからLiveに行くのはやめられないなと思う。

あージンセー忙し あージンセー忙し
でも人生愛おしい でも人生愛おしい


サビの描写が天才的だと思う。

掲げた目標に届かず落ち込んだり、答えのないことで悩んでやるせなくなったり、心無い言葉を投げられたり、割となんでもないことで自己嫌悪したりしながら進む人生に対して、徒労感が含まれた吐き捨てるような

「あージンセー忙し」

でもやっぱり晩御飯がおいしかったり、街中で偶然旧友と再会したり、珍しく誰かに褒められたりと、たまに現れる幸運を目の当たりにして我に返ったような

「でも人生愛おしい」 


そんなふうに考えながら歌詞を書いていたのかなあなんて想像をする。「ジンセー忙し」のちょっと投げやりな感じと、「人生愛おしい」の冷静な感じの対比が巧みだ。



自分の生活も多分似たような感じで、朝起きて、電車に飛び乗って、可もなく不可もない仕事をして、気付いたら夜を迎えている。
なぜか毎月、毎週、毎日、なんとなく忙しいなとと思っている。

かと言って、厭世観に支配されているわけでもない。
単調な生活の中でも、日々微細に変化しながらいいこともわるいことも経験させてくる人生を、決して「楽しい」と表現はできないけれども、「愛おしい」くらいには言ってもいいんじゃないかと思えてくる。

そんな虚無と慈愛の間を行き来するふわふわした感じを
「あージンセー忙し」と「ああ人生愛おしい」の二言で表してしまうから本当にセンスあるなあと思う。


そして大サビ。

色違いの私たちだけど まだ少し自信ないけれど
悩める私たちに どうかご加護を


あくまで愛おしいのは人生で、
「一生懸命生きてる自分えらい!」と自らを称賛できるほどの自信はないけれど、それでも少しは守られたいという加護を願う様が、美波の胸を裂くようなハイトーンボイスに乗って響くからつい何十回もリピートしてしまう。

そして最後。

あージンセー忙しい あージンセー忙しい
あージンセー忙しい

でも人生愛おしい でも人生愛おしい
でも人生愛おしい でも人生愛おしい
でも人生愛おしい

でも、きっと幻?

忙しい、でもやっぱり愛おしい。そう歌いながら、でもやっぱり信じ切ることができず、幻と疑って終わる不安定さが、最後まで曲全体に漂うアンニュイさを際立たせる。そんな芸術性の高さにほれぼれする。


「汝、星のごとく」で本屋大賞を受賞した凪良ゆうが、とある書店員に

『この本と心中する覚悟です』

と言われたと語っていたが、確かに、自分もこの曲とだったら心中できるかもしれないなと思った。


なんとなく気になってた人のことを明確に好きだと認識した時と同じような感覚を、1つの曲を通して体感できたことに感動する。感謝の意も込めてEPと来年のツアーのチケットを購入した。

美波というアーティストはかなり前から知っていたけど、Liveに行くのも初めてじゃないけど、それでもこれは、今回のツアーに参戦していなかったら味わえなかったことだ。これだからLiveに行くのはやめられない。あー人生愛おしい。








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