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【前編 出る杭は打たれる】それは意地悪なのか果たして…※個人による感想です(草稿)

●はじめに

出る杭は打たれる 日本のことわざ

ちょっとでも目立つものは叩かれるというわけでして、「個性」とか「多様性」が取りざたされる現代においては疑問視される考え方かと存じます。

●共同体(国家、組織、団体、コミュニティーなどなど)

協調性を重んじる価値観それ自体を否定するわけではありません。
それによって「丸くおさまる」こともございますので。

ただ、自分が不幸になってまで「人の足を引っ張る」というのはどうかと思います。
なぜなら、自分を損なうだけでなく、他者をも損なうからです。

なぜそんなことをするのかと言えば、いろいろありますが、「共同体を維持するため」なのかと。
社会的生物である人間にとっては最早本能のような、そんなレベルで染み付いているものなのかなぁと思います。

特に日本人はその傾向が強いといわれますが、それゆえに共同体を長年維持できていたと思われます。

●自由による規制、規則による自由

ただ、価値観の多様化が許容されるとなれば、「型にはめて均質化」という価値観は容認できない事となります。

そうなると今度は「出る杭を打つような人」が逆に打たれる構図となり、それは本当の意味で「価値観の多様化」と呼べるのでしょうか?

「自由」の名のもとに、かえって「不自由」となるジレンマ。
一見(暗黙の了解も含めた)ルールに縛られた「不自由」があってこその精神的な「自由」という矛盾。

こういったパラドックスは単なる言葉遊びに過ぎないとも考えられますが、理屈だけではどうしようもない事象も、この世界には当たり前に在るわけでして。

●「誰か」の犠牲で成立する?

歴史を振り返ると、残念なことに誰かしらが「杭」となって「叩かれている」構図は常に存在しております。
それは「少数の犠牲によって多数が安穏としていられる」という事実を浮き彫りにさせてしまいます。

全生物が幸せに暮らせたら何よりなのですが、「出る杭を打ち続け」なければこの世界は成立しないとなると、それは「世界全体の不幸」であると思えてしまうのです。

●スパイト行動

謙譲語というのは自分を下げて相対的に相手を上げるための言葉なのですが、相手を下げて自分を相対的に上げるのは「マウント取り」です。

そして、相手の足を引っ張り自分も下げてしまうのは「スパイト行動」というものです。
スパイトは「意地悪」という意味だそうです。

#スパイト行動 の記事を見つけたので紹介させていただきます。

そんな自分も相手も幸せになれない行為に走ってしまうのは「全体を維持するため」かなと思うのです。
共同体が壊れないようにと願うのは当然の心情としても、その中にいる人々が「不幸になってまでも」維持しなければならない共同体とは一体何なんでしょうか?

後編に続きます。
誰もが納得のいく回答は導き出せないにしても、引き続き考えてみたいと思います。

国家などの共同体の是非を論じるつもりはございませんが、それがあるから「個」が安心して暮らせるわけでして。
ただ「個」を抑圧して全体を…というのもどうかと。

このあたりを厳密に議論するとなると「主義」の問題も絡むので、それは有識者各位にお任せしたい所です。

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