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「明日やろうは馬鹿野郎」の嘘。

いつか、小説を書いてみたい。

遠田潤子さんの「冬雷」、柴田哲孝さんの「TENGU」にヤラれてから、いつしかそんな夢を抱くようになった。とてつもない謎を匂わせ、心をえぐるような人間ドラマを展開しながら、あっと驚く結末に着地し、言葉にならないほど心地よい読了感で読者を放心状態に至らせてしまう。
映像には不可能な、小説に無限の可能性を感じたのもこれらの作品で、脳内で巻き起こるイメージの渦の中、登場人物たちの物語を心底味わってきた。
小説こそがまさに、究極のメタバース空間なのだ。

こんなことが出来るなんてすげえな、おれもこんな人の心を揺さぶるような物語を描いてみたいと思いながら、なにもしないまま数年が経っている。

なにしてんの。さっさと描けばいいじゃない、と思われるだろうが、実はここに一つ問題点がある。

一向に描く気にならないのだ。

「明日やろうは馬鹿野郎」という言葉があるように、やりたいことがあるならさっさとやればいいじゃないか。人生は有限であり、もしかしたら明日死ぬかもしれないじゃないか。行動しないなんて馬鹿げている。

僕もそう思っている派の一人だが、僕にはもう一つの美学がある。
やりたくないことはしない、という元も子もない信念だ。

やりたいことはあるが、やりたくない。
この状態はここ数年うっすらと感じているのだが、これは一体なんなのかと考えてみたら一つの答えにたどり着いた。
僕は「今」、他にやりたいことがあるのだ。

それは、自分のいくつかの仕事をゲームのようにクリアしながら評価をもらうことや、実験や研究の中で新しい発見をしては論文にして世に出すことだったりと、「今」やりたいことで達成感を味わって毎日が充実しているので、他のことにはあまり手が出ないのだ。

これは結構、重要なことだろう。夢があるならさっさと動け、という言葉に踊らされてやりたくないことをするより、「今」やりたいことに集中しないと人生はつまらなくなってしまう。
実は、「明日やろうは馬鹿野郎」は僕にとってはただの窮屈な押し付けでしかない、というのが今のところの答えだ。

それでも、自分の人生を振り返ってみると、人生がわりと上手く回っているのはこの思想のおかげなんじゃないかと思っている。

どういうことか。

僕が今やっていることややっていたことは、その昔に「いつかやってみたいなあ」と、なんとなくうっすらと思っていたことなのだ。
建築業しかり、クロースアップマジックしかり、論文しかり、投資事業しかり。
思い返せば、僕が昔にやりたいと思っていたことを全力で楽しんでいたのだ。

では、昔にやりたいと思っていた時はなにをしていたかというと、その当時に夢中になっていたのは音楽関係で、実際に自分でイベントをやってみたり、ステージに立ってみたりと、「今」やりたいことに集中していたのだ。

いつか小説を描いてみたいと思っているけど描く気にならない。それでも焦らないのは、僕はいつか必ずやり遂げるだろうという経験からの自信があるからだ。
僕はこれを「夢ストック」と呼んでいる。
夢ストックがあれば、今の充実感プラス将来への楽しみにもなるのだ。まさに一石二鳥。

いつかやりたいなあ、と思っていることは、今やっていることに退屈し始めた頃に必ず大爆発を起こす。その確信があるから、一切焦らないのだろう。

なので、「明日やろうは馬鹿野郎」という言葉に焦燥感を感じる必要はなく、やる気にならないのは「今」他にやりたいことがあるというサインなので、それを探し当てて集中することが大事なのだ。

ということで、年末でヒマしているが大掃除をしたいなと思いながらもやらないまま新年を迎えることになるだろう。

いつかやるから。(怠惰

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