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雑記1067「まぁそうはいうても嫌いなんですけどもね」

ドレミファソラシドが上手いこと弾けるようになってきた。


こんな名曲を作っちゃうぐらいなんで、少なくとも中級者ではあるだろ、と思ってたらとんでもなかった。とんだトーシローでしたわ。

いや、ドレミファソも、いやいや、ミファソも、まともに弾けてなかった。最初に知った時は愕然とした。この世の終わり…までは行かないけど、結構蒼白になった。


それ以前から、このおじさんのお言葉をカメラロールに取り込んで救われたりしてた。名も知らぬおじさん。
この動画もお言葉に号泣しながら観たな。無電力でどれだけ機械仕掛けの装置を動かし続けられるか、みたいなことしてるおじさん。見た通り、アートも兼ねてる。
最初は数分しかもたなかったのが、いまでは1週間動き続けるものを作れるようになったらしい。ぜんまいにぜんまいを重ねてた気がする。

本でも動画でもそうだけど、こういう一編…いや、わずか一片の金言に出逢えることはまことにありがたい。まことってなんだよ。おっさんか。
特に上のヤツね。「イライラも制作過程の一部」っていう。これは人類にとっての発見だとすら思う。これは…あぁ、北斎の嘆きもそうだけど、こういうことを知ってるのと知らないのとでは、まったく人生が変わってくる。

逆に一度知ってしまうと、いや、知って染み込むまで数年かかったけど、知ってしまうと、ダメ&下手&向いてないのでは&上手くいかない&やってる意味あるのか、などなどのあらゆるマイナス要素がやってきたところで、「やめる必要がどこにあったのか」と思う。このへんのことは「やまなみ工房」の人たちにも実にお世話になった。やめる必要なんてまるでまったくどこにもなかったのだ。

何度も使ってきた「目から鱗」だが、いまこそ声を大にして言いたい。目から鱗が落ちるってのはこういうことかと。
ほぼすべての人が、上達もしないし成果(ほぼカネになっちゃってるねぇ)も出ないことをやり続けることを無意味だと思ってしまってる。集団幻想だよこれは。
が、鱗が落ちたあとでは「なぜやめなきゃいけないのか」と、目覚める。これを読んだだけでも覚める人もいるんじゃないのかな。しらんけど。

オレがこのことを知らなかったとして、いまこの文章を読んだら、目覚める自信あるわ。「ホンマや、なぜそもそも諦める必要があったんや。アホちゃうかワテら」ってな。

その証拠に…というか、拡張して考えたらわかるじゃーないか。その上手くいかないことを、人生にまで拡張してみたら。
つまり、ちょっと上手くいかないからといって、人生をやめちゃうなんてことはないだろう。相当の相当に追い詰められないと、自ずから終わらせることなんてない。
みなさん文句タラタラ言いながらも、なんとか人生を、あわよくばもうちょいプラス側にして、引き延ばそうとしてる。


で、さっき鍵盤弾きながらさらに気づいてしまった。
あー、やっぱり何も考えんで、いや、考えてるんだけど、黙々とやる作業はすごいとこに連れてくことがある。ゾーンって呼ばれるものに近いのかも知れん。

えー、それがですね、毎度毎度ことあるごとに頭によぎる、殺したいほどには嫌いではない、かなり嫌いな人間のことなんですね。
ここでもよく出てくるアイツとかアイツとかなんだけど、こいつらって、鍵盤のミスタッチに似てないか? 歌を上手く歌えないことに似てないか? って気づいちゃった。つまりいつもイライラさせるんだよ。

「こうはなりたくねー」っていう想いの対象は、嫌いなモノとしてしか世界に具象化できない。「あぁは死んでもなりたくない」っていうヤツを好きなんてことは有り得ないんだから。
するとそいつはミスタッチや音程外しと一緒で、「こうはなるなよ」の指標をずっとおこなってくれてることになる。こちらの嫌いという感情を使って。もちろんそいつは何もしてないんだが。

とするとだよ、この芸事上のイライラや、人生上の嫌いなヤツはどちらも、そのエリアから外れないためのガードレールなんじゃないか、とさえ思えるんだな。
まぁ、普段はなかなか思えんけどもさ。思おうと思えば思える。なんだよ思おうって。はじめて聞いたわ。


と、これを読んだだけでも覚める人もいるんじゃないのかな、と私は信じる。
しらんけどな。




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