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わが街の伝統産業  滋賀県・長浜市

第42回 滋賀県長浜市 〜若き日の天下人・秀吉が初めて城持ち大名となった長浜は300年続く浜ちりめんの街

 滋賀県の北部・湖北に位置する長浜市。人口は約11万人。かつて、戦国時代に国内有数の鉄砲の生産で栄えた国友を擁した街である。北国街道や琵琶湖水運の要衝として発展。湖北地方の中心地となった。

 当初は地名を「今浜」といっていたが、あの天下人・豊臣秀吉が浅井攻めの功績によって領地を与えられて、初めて城持ち大名となり、主君・織田信長から「長」の文字をとって、現在の「長浜」と改名した。

 この長浜には、300年続いている伝統産業がある。「浜縮緬(ちりめん)」である。この浜縮緬は、表面に細かいシボ(凹凸)のあるのが特徴で100%生糸を使用した絹織物。

 加えて、夏は涼しく、冬は暖かい軽いもので、加賀友禅や京友禅にも使われる最高級のシルク生地と言われている。主に着物に仕立て上げらる無地のちりめんである。

 浜縮緬の製造は、1752年に中村林助と乾庄九郎により始められ、京に売り出したと言われている。その後、競合する京の西陣の業者と対立して、彦根藩の年貢として販売。

 彦根藩の保護、専売のもとに京で販売して発展していった。こうして浜縮緬は、彦根藩の重要な製品となり、1815年には、約100軒に近い織屋を数えて、湖北の一大産業となった。

 明治時代に入ってからも、実業家の浅見又蔵がニューヨークへ輸出を開始し、1887年(明治20年)には、近代的な工場が次々と作られ、大正時代には工業制機械工業へと発展を遂げていった。

 「浜縮緬」がここまで伝統をつないでくることができたのは、世界屈指の軟水である琵琶湖と、伊吹山系の湿潤な気候が織物づくりに適していたこと、日本の中心に位置して、交通の要衝であったことなど、恵まれた環境にあったことも大きいようです。

 長浜には、浜縮緬のほかにも、旧木之本町で三味線や琴などの和楽器の弦づくりも長きにわたり行われてきました。「寒の糸」と呼ばれる和楽器の弦を生産している明治41年創業の丸三ハシモトの製品は、音色が良く、演奏家から人気がある逸品です。

 最後に、長浜市には1989年(平成元年)7月に開業した「黒壁スクエア」という観光名所があります。ガラスショップや工房をはじめとして、レストランやカフェなどが古い街並みの一角にあり、2020年(令和2年)には来場客数が5000万人を突破し、人気を博しています。

   提供:伝統産業ドットコム

#長浜市 #豊臣秀吉 #石田三成 #浜ちりめん #黒壁スクエア

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