学校では教わらない共産主義2

1920年 レーニンは資本主義国家同士を戦わせ相互に歪み合わせて新しい情勢を生む。日米戦争を内側から煽る。 と、演説。 

負けた国を共産化する敗戦革命を戦略

1935年 コミンテルン決議  

「平和のための闘争の中で組織された戦争反対者たちを率いて、帝国主義戦争を、資本主義の打倒を目指す内乱に転化するための闘争に、進ませることに努力するだろう」→現在でも米国基地反対 自演隊反対 などの沖縄でのデモ。 

第二次世界大戦後はアジアは共産革命工作を、受けた。 1945年ベトナム共和国設立  インドネシア ビルマ フィリピン マレーシアで共産党が武装蜂起。 1949年中華人民共和国建国 

戦後、日本も敗戦革命に直面。 

1946年野坂参三が中国から帰国し「民主連合政府」を主張。 

1947年ハルピンにコミンフォルム極東支部創設。  1948年 北海道にコミンフォルムの秘密機関 「国際連絡局」設置。日本共産党にはソ連が金や宝石を、日本に密輸し革命を支援。 

共産党は「米ソ開戦が近くその場合北海道はソ連に侵略されると共に同道は独立して共和国を建設するべきであると主張」→ 現在の、アイヌ問題と似ている。 

1950年 中ソ友好同盟相互条約締結 中身は中ソ両国で日本を侵略する条約。日本共産党にも革命工作を指令。 

中国共産党→朝鮮総連→中国日本共産主義連合 の指令系統 

アメリカは442部隊の情報工作として中ソの動きを察知し、

アメリカはこの工作に対抗してレッドパージを指令。 共産党幹部公職追放など、 

1950年6月朝鮮戦争勃発 

当時在韓米軍は500人を除き撤退 在日米軍も終戦時の40万人から11万人に、減少。 

朝鮮戦争は共産が日本の征服を容易にするためであった。 ソ連は千島を、占領しているので朝鮮が共産によって支配されれば日本はソ連に挟まれる形となり独立は保てない との考え。 

アメリカはソ連が北海道侵攻した場合米軍は防衛ラインを仙台に引く方針であった。 

しかし朝鮮戦争は失敗に終わった。

その理由として

①マッカーサーは吉田茂に警察予備隊(旧日本軍)の、創設を指令し発足。         ②在日米軍による反撃。           ③日本の革新勢力が中ソに同調しなかった。


その結果共産は以下を目標にしていく。    ①安保条約反対 ②日本の再軍備敗退 ③全面講和推進 単独講和反対 

日本独立後1953年日中貿易促進議員連盟 設立。  自分たちの身分を隠して利益をちらつかせ保守派を仲間にするために全力をあげた。 


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