第二十五夜 父、母、子 前編

『今昔物語』には、犬に育てられる捨て子の話が出てくる。
 平安時代の女性は、身分にかかわらず、よく子供を捨てたことが、記録からわかる。藤原道長の日記である『御堂関白記』にも、
「門前に子が捨てられていたので、養い育てることにした」
 との記述がある。たぶん成長したその子は、そのまま下人として、藤原家に仕えたのであろう。
 現代の日本人から見ると、平安女性は母性愛が薄いように思われるが、
「七才までは神のうち」
 との言葉が示すように、子供は必死で可愛がって育てても簡単に死ぬものであったから、
「子のために我が身を差し出す」
 ような発想は、生まれにくかったのであろう。むしろ、『今昔物語』には、山賊にレイプされかかった女性が、我が子を人質に差し出して、難を逃れた話が出てくる。結局その子は山賊に殺されたが、『今昔物語』は、この女性を
「身分は低くとも、恥を知る女である」
 と賞賛しているのだ。


 帰り道、拾は無言だった。私も無言だった。
 屋敷に戻ると、侍女が駆け寄ってきた。
「中将の君が、お目覚めになりました!」
 それから、
「その汚い男の子は、何ですか?」
 私はそれを無視して、拾を連れて寝室に向かった。


 中将の君は半身を起こしていて、顔色もだいぶよいようだった。
「そちらの男の子は?」
 さすがに「汚い」呼ばわりはしなかったものの、中将の君にも、これが私の侍女に扮していた拾だとは、わからないようだった。
「拾でございます」
 中将の君が驚く様子を、私ははじめて見た。
「旦那さまに申し上げます。奥方さまは、私の子を孕んでおります」
 中将の君は息を呑んで、
「私の……子かも知れぬではないか」
「悪阻が早すぎます。間違いなく我の子です」
 わずかな沈黙の後、拾は続けた。
「旦那さまは、この子を、旦那さまの子として育てるつもりがおありですか? おありなら、我は今すぐに京より立ち去り、二度と戻りませぬ」
 ああ、この子は、これほどまでに私のことを想ってくれていたのか。私を愛してくれていたのか。
「お答えを、お願いします」
 長い沈黙が、場を支配した。

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