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天国に行ってしまった大好きだったあの人へ

私はいつもここに書くことで気持ちを昇華しようとしている。だから今日も昇華できないこの思いを勇気を出してここに書いてみようと思う。大好きだったあの人が突然この世からいなくなってしまったことを…

そしてまた、ここに書くことで、彼が生きていたこと、そして私と一緒に過ごした日々が、確かにそこにあったものになるような気がして…


出会い

私が彼と出会ったのは30年以上も前のこと。まだ看護学生だった20歳の夏だった。昭和生まれの人なら懐かしく思うだろうが、1990年代当時ディスコブームで、学生たちはこぞってダンスパーティーに出かけていた。自称歌って踊れるナースを目指していた私は、クラスのいつもの悪仲間と一緒に夜の街に出かけて行った。

そこで声をかけてきてくれたグループの中に彼がいたのだ。

3つ年上の大学生だった彼は見るからにアウトドア好きで、真っ黒に日焼けした顔でニッコリ笑う、ちょっぴりどんくさそうな、笑顔のとても素敵な人だった。

その後グループで何度か遊びに行く機会があり、私はその中の1人にとても気に入られて何度かデートに誘われた。どんくさ君の彼とは違って、その人は背も高く端正な顔立ちをしていて、いわゆるイケメン男性だった。

とても優しい人だったけど、でもなんだか会話がピンと来ない。

彼とイケメン男性は親友だったので、最初は私とイケメン君の間を取り持とうと彼は必死に関わってきていた。

その計画とは裏腹に、私とどんくさ君はすっかり意気投合してしまったのだ。その後も何度かグループで遊びに出かけたが、私がそのどんくさ君に惹かれ初めて、彼も私と一緒にいたいと思ってくれてることがわかるまで、そう時間はかからなかった。

その後どんくさ君の彼は、男らしくイケメン親友に自分の気持ちを打ち明け、晴れて回りに祝福されて正式に私と彼の交際が始まった。

私たちは60㎞離れた場所に住んでいたが、しょっちゅう会ってたくさんの場所に一緒に出掛けた。

まだ携帯電話もGPSもなかった古き良き時代。今の若い人たちには想像が出来るだろうか。渋滞で待ち合わせ時間に彼が現れなくても、心配しながらただ来ると信じて待つしかできなかった時代。車で知らない土地に行く時は、助手席の私が地図をグルグル回しながら、時には降りて人に聞いたりしながら、迷いながらやっと目的地に辿り着いていた時代。

彼と過ごす時間は全てのことにいつもワクワクがたくさん詰まっていた。

些細なことで良く喧嘩もしたけれど、2人ともサッパリした性格なのですぐに仲直りも出来た。

結婚そして別れ

そんな私達は4年付き合って、彼の大学卒業、就職を待ち結婚した。でも、幼かった私たちの結婚生活はそう長くは続かなかった。

私は当時3年働いていた病院を辞め、彼の土地に嫁ぎ、憧れていた専業主婦になってみた。でも、24歳の私はご近所の立ち話しには全く興味が持てず、昼ドラでも美味しいランチでもショッピングでもその退屈は埋めることができず、インコ2匹と家でエネルギーを持て余していた。

そのうえ、彼は仕事の飲み会や付き合いで忙しくなり、知らない土地で私は毎日彼の帰りを寂しく待つ日々が続いた。

こんなはずじゃなかったのに…
もう一度キラキラと働きたい…

私はまた近くの病院での3交代勤務を始めることにした。その頃よりすれ違いが多くなっていき、そして阪神淡路大震災を境に、私達の生活は少しずつ歯車が合わなくなっていった。

結婚3年目に震災でヒビの入ったマンションを修理して売ることになり、その時に2人で話し合ってしばらく別々に住んでみることになった。

私は地元に戻り、大きな公立病院に再就職した。
彼は彼で1人の部屋を借り気ままに独身時代を謳歌していたかのように見えた。

でもそれは表面上のことで、後になって知ったことだが、彼は私に会えなくなって1人の家に帰るのが辛くてたまらなかったとのこと。

何度かやり直そうと、歩み寄ろうとしてくれた彼を受け入れなかったのは私の方。

私は看護師としてのキャリアをもう一度築きはじめ、彼も仕事が軌道にのり始めて、私達は別居2年目で、2人の歩む速度と見ている景色の違いを認識し、私の方からとうとう離婚という選択肢を持ち出してしまったのだ。

別々の人生

そこからの私はまるで水を得た魚のように看護師のキャリアを楽しみ、長い休暇を取っては同僚と海外旅行を楽しんだ。新しい彼も何人か出来ては別れ。

でも、心のどこかでずっと、私達は結婚が早すぎただけ。また落ち着けばもとに戻れる時期が来ると信じていた。そんな気持ちを伝えた事もなかったし、なんの根拠もなかったのだけれど…

そんなある年の春、私は後輩と行ったダイビング旅行の波照間島で、彼の「結婚しました」のメッセージを受け取った。

その時までずっとお守りのように財布に入れて持ち歩いていた彼との結婚指輪は、今も波照間島の海の中に沈んでいる…


彼はゆっくり家庭を持ちたい時期に来ていたようだった。そんな時期に彼を支えてくれる女性が現れたのだから無理もないことだ。

一方の私はと言えば、紆余屈折を得て、そこからさらに10年の月日が経過し、ようやく今の主人と結婚をしてこちらの国にやってきた。

私が結婚してからというもの、もう彼とも連絡を取らなくなっていたので、彼は私が日本に居ないなどと知る由もなかった。

再会

私達2人には産んであげることが出来なかった水子ちゃんがいる。私が結婚して何年か経ったある年の水子ちゃんのご命日を境に、また彼から時々近況報告のメールが来るようになっていったのだ。

彼は良く言っていた。「水子ちゃんが僕たちを繋いでくれている」と。

思えばその頃から私たちは、お互いの会えなかった20年以上の期間を埋め合わせるかのように、たくさんメールのやり取りを続け、今だから素直になって「あの頃」の気持ちを再確認しあったり、気持ちの塗り直しをしたりの作業を重ねていった。

何度か帰国時に会おうと言ってくれたが、自閉症の息子と外国人の主人を連れた日本滞在はなかなか思ったように時間が作れなかったことは表面上の理由。正直一度会ったらまた会いたくなりそうでわざと会えなくしていたのだ。


そんな私たちが25年ぶりに最後に会ったのは、コロナ明けに日本に帰った初夏のこと。その頃の私は抗癌剤の治療が終わった頃で、治療中苦しかった時にずっと心配してメールをくれて心の支えになってくれ、応援してくれていた彼に、元気になった姿を見せてお礼が言いたかったのだ。

彼は仕事の合間をぬって近くまで会いに来てくれた。1時間ちょっとお昼を食べただけのあっという間の短い時間だった。

久しぶりすぎて2人とも緊張していた。でも、50歳を過ぎても相変わらず少年のように真っ黒に日焼けしていた彼は、白髪が増えたのと、少しお腹が出てきたこと以外、仕草も表情も会話も驚くほど何も変わっていなかった。

私はと言えば、抗癌剤の副作用でやつれて、すっかり抜け落ちた髪は新しく生えてきたばかりのいがぐり頭。ウィッグを付けようかと迷ったけど、そのまま行くことにした。彼は私のいがぐり頭をツンツンつついて「何も変わってないな」と笑顔で言ってくれた。そんなわけはなかったけれども…

心の繋がり

それからはこっちに戻っても、彼は頻繁にメールをくれるようになり、また私も外国では埋められない日常の心の機微を彼に聞いてもらうようになっていった。

でも、私はそれ以上彼と気持ちの深入りをしないようにいつも慎重に言葉を選んでいた。またあの頃のような気持ちに戻ってしまいそうだったから。お互い守らなければいけない大切な家族がいて、前を向いて進んで行かなければいけなかったから。

私たちの気持ちが暴走してしまうことで誰かを傷つけたり悲しませたりすることは間違っていると思っていたから。

今の現実が辛ければ辛いほど、気持ちが彼に持っていかれそうで、そうしたら辛い現実から目を背けて彼のところに逃げ出したくなってしまいそうで、私はどんどん返事が書けなくなっていった。

幸か不幸か私達には今回は9000Kmという距離があった。

もう一度会いたい気持ちに頑張って蓋をしながら、そんなやり取りがしばらく続いていたが、私は仕事や息子のことが忙しくなってきたこと、また今の主人に対して、相手の奥さんに対しての後ろめたい気持ちから、去年の夏を最後に敢えてメールの返事をしなくなっていった。

訃報

私が返事をしなかった、その最後のメールをもらった去年の夏の日から1週間後、彼は帰らぬ人となってしまった。

そのことを知ったのはつい最近のこと。

最近やけに彼のことを思い出して、気になる彼の名前をどこかに探そうと、インターネットで検索していると、彼の会社のホームページにたどり着いた。そこで私は、当時取締役員だった彼の「訃報」の記事を見つけてしまったのだ。ビックリしてショックで悲しくて…魂が震えるとはこのことかと思った。

そこに書かれてあった名前、生年月日、出身地。何度見直してもすべて間違えなく私の大好きだったあの人だった。

私が彼からの最後のメールに返事をしないまま、その1週間後に、彼は突然自宅で心筋梗塞をおこし、この世から居なくなってしまっていた。

彼がこの世から居なくなっていたことを半年以上も知らないままだった私は、なかなか信じられず、その日は一晩中、涙を拭うこともなく、今までの彼とのメールのやり取りをひたすら読み返した。

そこに綴られていたのは、役職の重責で少し身体が疲れていること、これからの人生設計に迷っていること、老後の夢、そして私への昔から今もずっと変わらない気持ち… 

何か私に出来ることがあったのかも、もしあの時返事を書いていたら私が彼の死を止めることが出来ていたのかも… そんなことを考えたりもしたが、結局私には何も出来なかったこともわかっている。

そして私なんかよりもっともっと、とてつもなく大きな悲しみと喪失感を抱えているだろう残された遺族の方々のことを考えると心が痛む。

また会える日まで

今朝、目が覚めるとなんとなく近くに彼がいるような感じがして不思議だった。今この記事を書いていたら、パソコンの近くにクモが歩いてやってきた。もしかしたら彼が時空を超えて会いに来てくれたのかもしれない。

そっか。これからは9000Kmの距離も関係なく、もっと身近に彼とお話しできるのかなと思ったら少しだけ心が軽くなった。

でも、「またお互い成長報告を出来るように頑張ろうね」「おじいちゃんおばあちゃんになってもどこかでお茶しようね」「俺の夢を見ていてね」そんな約束は全て叶わなくなってしまった。

またあの日焼けした笑顔に会いたかった。
もっといっぱい会って話しがしたかった。

どうして勝手に居なくなっちゃったの?

いつも的確な言葉で、私の心の隙間を埋めてくれていた彼からの温かいメールは、もうこれから先2度と受けとることが出来なくなってしまった。

2人で良く聴いたあの頃の曲はまだ聴けない。
まだ信じられないから…

でも、今度会えるのはお空の上なんだね。

それまで私はこの世で頑張って精進を重ねるから待っててね。私もいつか行くから…

それまでは、今年で29歳になる水子ちゃんと2人でお空の上から温かく見守っていてね。

ありがとう、出会ってくれて本当にありがとう。
また必ずあちらで会おうね!約束だよ!

初めて会った夏の日から34年目の出来事だった。




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