【禍話リライト】 わたあめ
旅行する時、あなたは綿密に計画を立てるタイプですか。それとも行き当たりばったりの旅を楽しむタイプですか。両極端ではなくて、たとえば行きと帰りの便の予定だけ決めて後は適当気ままに、という方もいらっしゃるでしょう。
ただ泊まる宿だけはちゃんと予め決めておいた方がいいですね。誰だってよろしくない宿になんか泊まりたくはないでしょう?
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当時すでに40代のおじさんの話です。気ままな旅をするのが好きな人で。
一泊二日くらいで行ける範囲で適当に電車を乗り継ぎ適当な駅で降りて、それから宿を探して泊まるということをしていたんです。ぷち旅行みたいなものだったそうで。
ひなびた宿というか民宿というか。そういう、こじんまりとした趣のある宿に泊まるのが好きだったそうですね。
さてある年のお盆休み。おじさんまたふらりと電車に乗りまして。全然縁もゆかりも無い、知らない名前の田舎の駅に降り立ったそうです。
時刻はもう夕暮れ時。いつもなら空いている宿がすぐ見つかったそうですが、流石にお盆はかきいれ時なのか、なかなか部屋に余裕のある宿が見つからない。ようやく見つけたのが、民宿なのか民家なのか、みたいな本当に小さな宿で。
そこで働いている従業員、家族や親族、身内同士で固めてあったみたいなんですね。おじさん曰く、顔つきが似たようなものばかりだったそうです。客はおじさんだけだったらしく、結構広い和室に案内されて。
部屋に案内され荷を置いていますと、案内をしてくれた女中さんが奇妙なことを注意してきたんです。
「押し入れ上の天袋は開けないでくださいね」
「はあ……わかりました」
変なこと言うなあ、くらいでおじさんはあまり深くは考えずに。やがて運ばれてきた料理を口に運んでね。
料理の方は可もなく不可もなくというか、ぎりぎり文句は言えないくらいの出来。備え付けの冷蔵庫に入っていたビールは微妙に冷え切っておらず。内心、うーんまずったな……みたいな。
率直に言えば物足りない。量の問題ではなく質の問題で。ただまあ、予約もなしの飛び込みだったわけですから。あまり偉そうに文句を言ってもしょうがないわけです。
さて。食べ終えて一心地つくと、おじさん、暇つぶしにこの宿を散策してみたそうですね。その日の宿の趣を楽しむのはぷち旅行の楽しみの一つだったんです。部屋を出るとワクワク気分で宿の中を歩き回ったんですって。
でも何せ小さな宿ですから。数分で終わっちゃうんですよ。きしむ廊下を歩いて中庭をぼんやり眺めても、別に由緒あるものも歴史の重みを感じるものもなくて。おじさんは狭い宿をウロウロとするばかり。
宿の外に出て周囲をぐるっとしても何も無い。普段なら何かしら「おっ」と思うものを見つけるのに、そんなものを発見することもなくあっという間におじさんの探検は終わったんです。
物足りない気持ちで部屋に戻ったおじさん。退屈すぎて、押し入れの天袋の中を見てみたくなった。何か面白いものでも入ってないかと。駄目と言われると見たくなる、古くからある人の業ですね。
思わせぶりに注意してきた女中さんも悪いよ、もはや前フリだよ、なんて言い訳をほんのり酔った脳内でしたりしてね。
押し入れを開けて布団が乗っている中板に足をかけると、天袋に手を伸ばして開けて、中を覗いてみたんですって。
その天袋の中。蜘蛛の巣がすごかったそうです。しばらく使われてないレベルでもこうはならんだろう、というくらいにびっしり。黄ばんだ蜘蛛の巣が天袋の中でひしめいている。
「げぇ……」
すぐにおじさん天袋を閉めましてね。程よい酔いも引いていって、あとは嫌な気持ちがあるばかり。天袋で隔てているとはいえ、蜘蛛の巣の山と一晩を過ごすわけですから。やってらんない。
ああもう、最悪だ。明日さっさと出よ。
まだ夜も早い時間だったそうですけど、布団を敷いて潜り込んだんです。
ふと気がつくと、おじさんは石畳の上に立っていました。一人で。周囲はものすごく賑わっており、浴衣姿の老若男女が行き交っている。離れた場所からは祭囃子の笛や太鼓の音がしていて。とうに陽は山の背に隠れて、秋口の夕風がそよと流れている。
ああ、縁日に来たんだった。
屋台や出店もずらりと通りの脇に並んでいて、おじさんも童心に帰って楽しくなってきたんですって。
ただ、縁日定番のお面。あれが全部、狐のお面。アニメのキャラとか戦隊ヒーローとかそういうものは一つもない。みんな同じ顔をした狐のお面が縦にも横にもびっしり陳列されている。
縁日の客の中にはそのお面をつけた子どもなんかもいたそうです。
「いくら?」
とおじさんがお面屋に尋ねると、
「五セン」
と返ってきました。
センときたか。まさかセントじゃあるまいし。銭のことだよなあ。いつの時代だよ……ってああこれ、夢なのか。
なんだ夢かと。明晰夢ってやつかと。おじさんは自由に縁日を見て回れたそうです。お面。射的。型抜き。金魚すくい。浴衣姿ではしゃぎ回る子どもの後ろ姿に自身の幼少期を重ねて懐かしそうに見やったりしてね。
それでふと、夢の中で何かを食べたらどうなるんだろうと思ったそうで。なんとなくわたあめの屋台に近寄ったんですって。
「おじちゃん、これいくら」
「五セン」
ここもかよ、と。
というか、俺、金持ってるのかなあ……と思って袂を探るとちゃんと小銭入れがあったそうですね。五銭だかどうだかわからないけど硬貨を取り出し手渡すと、引き換えにわたあめを渡されて。
まずは一口。と思って口に含んでも何も起きない。なんだ食べても目覚めないのか、となって。ぱくぱくと一息に全部食べたんだそうです。
小さい頃は上手に食べられず口周りがベタベタとしたものだけど、流石にきれいに食べられるようになったなあ、と自分で自分に感心したというか。久しぶりのわたあめにテンションが上がったそうなんですね。
「おじちゃん、もう一個」
次々にわたあめを買ってはその場で食べたんですって。いくら食べてもお金は尽きないし、わたあめ屋のおじさんも「はい」とおじさんを待たせることなくすぐに手渡してきて。
これはもう、あれだな。目が覚めるまでにわたあめを何個食べられるか俺自身との戦いだな。
だなんて考えたりして、ぱくついて。しまいには、食べたわたあめの数を忘れてしまうくらい、たくさん食べちゃったんです。
おいおい今何個目だ……?と、ようやく冷静になりかけたところで、ふっと目が覚めたそうで。
おじさん、天袋に顔を突っ込んで、蜘蛛の巣を口にしていたんですって。
「うわーっ!」
悲鳴をあげると、尻もちをつくような感じで畳の上に落ちたんですね。
げえーっ、何しているんだ俺!?
明かりもつけずにべっべっと口元の蜘蛛の巣を払って。顔はもちろん、髪の毛にも蜘蛛の巣が張り付いているようだ。蜘蛛は体についていないようだけど、いると思えば体のそこかしこを這っているような、そんなむず痒さがある。その場で立ち上がって身を揺すったり頭をはたいたりしてね。
そうやって、纏わりついている蜘蛛の巣をおじさんが払っていた時です。
「すみません、お客様」
襖をトントンとノックすることもなく、廊下から突然、声をかけられたんですって。
「は、はい?」
「開けましたか?」
「あなたが」とか「天袋を」とか、なかったそうですよ。ただ短く。
「開けましたか?」
と、締め切った襖の向こうから訊いてくる声がする。
「いえ、いえ!開けてません!大丈夫です!」
嘘をつくしかないじゃないですか。おじさんはそう答えつつ、開け放しのままだった天袋をそっと閉めたんですね。
「そうでしたか」
向こうもそれ以上は追求してこず、静かに立ち去ってくれたそうです。
それからは何も起きなかったらしいですけどね。でも眠れませんよ。布団の上に胡座をかいてまんじりともせず、じっと朝日が昇るのを待っていたんですって。
そして早朝、相変わらず似たような顔つきの宿の人たちに見送られながら出発した、ということです。
以来、おじさんはわたあめを食べられないんですって。蜘蛛の巣を口に含んでいた時の感覚が蘇るから、どうしても無理なんだそうですよ。
この記事は禍話で語られた怪談を元に作成されました。
文章化に際して元の怪談に脚色をしております。何卒ご容赦ください。
出典: 禍話 第四夜(2)
URL: https://twitcasting.tv/magabanasi/movie/306839602
収録: 2016/09/16
時間: 00:13:55 - 00:19:40
記事タイトルは 禍話 簡易まとめWiki ( https://wikiwiki.jp/magabanasi/ ) より拝借しました。