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大手門跡から町屋の方へ。

城址公園の梅も終わり。今はコブシが咲きほこっている。週末には時代まつりと銘打って様々なイベントが催され、4月にかけて旧市街(ユーカリが丘などの新しい街区とわけてそう呼ばれる)は桜と歴史の競演になる。大手門跡にクルマを置いて、祭りの前のぶらぶら歩き。小中学校の通学ルートだが半世紀も前の面影はあまりない。1990年代頃は衰退するばかりの寂れた商店街だったが、すんでのところでゴーストタウン化を免れた。歴史を前面に打ち出し、近年は日本遺産にも認定された。市役所も世代が刷新され、新しい感覚で街づくりをするようになった事も大きいと思う(とはいえもちろん首をかしげるような「公共事業」も相変わらずある)。

これと言って映えることのない商店街を、裏道から入っていくと右手に白い壁に囲まれた広大な敷地の屋敷がある。塚本總業公館とあり、敷地の一角に塚本美術館という刀剣のミュージアムがある。この週末には「刀剣乱舞」に関する展示が行われるらしい。こちらはとんと不案内、何年も前、せっかく地元にあるミュージアムなので一度は覗いてみようと行ったきり。立派な庭園もあるようだが公開はしていない。

右手奥が刀剣美術館。

中学生の頃は雨が降るとところどころに水たまりが出来る道だったが、今は市立美術館にいたる道にレンガ風の石が敷かれている。文化財となっている明治期の建物などがさりげなくあらわれるが、昔はまったく整備がされていなかったので「こんな建物あったっけ」なのだ。

山口家住宅。袖蔵は明治29年築という。公開はしていない。

唯一子どもの頃の記憶に残っているのが路地の交差するところにある井戸。馬の背のような台地に作られた街は、水の確保に苦労したようだ。このような共同井戸が何か所もあった。

「ちょいと聞いたかい、こんどの市長さんの噂」なんて声はもう聞こえない。

町家のはずれは江戸時代同心町と呼ばれていた。牢獄があり十手を持った侍の住む長屋があったと看板に書かれている。

かつての牢獄跡は、地元の方お手製のお休み処。

折り返して表通りに出ると、ふだんは表をしっかり閉ざした古びた家が目に入る。今井家住宅といい、うっかり通り過ぎてしまいそうな建物の最右翼だ。今井という人が駿河屋という屋号で呉服商を営んでいた。主屋は国の登録有形文化財。奥には蔵がありともに明治22~25年の建築。今はイベントや祭りの時だけ開放され、古民家カフェや様々な催しに使われている。江戸時代は「油屋」という旅籠があり、桂小五郎や山本覚馬、浦河八郎などが宿泊したこともある事が宿帳から分かっているらしい。ここは「蘭癖」の藩主がいたところだが、彼らは何の目的で来たのか。ちょっと本人に聞いてみたい。

今井家住宅。奥には蔵がある。

ところどころに垣間見える歴史の地層を覗きながら、ゆっくりのたり30分の散歩旅であります。



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