誰かと向き合うことは己と向き合うこと:「ありがとう」について考える⑩
このnoteは
からの続きです。
登場人物
わたし:ibitsu
だーさん:今年6月、ある本屋のイベントで知り合った同世代異性の友人。
興味のあることが近いので、月1~2回外や我が家で(外遊びはお金がかかるので)遊ぶようになった。
誰かと向き合うことは己と向き合うこと:「ありがとう」について考える⑧で
「そろそろ敬語、やめてみません?」と提案した。
と書いた後の話。
すると「だーさん」は
「そうですね」と答えた。
6月に知り合って、11月にようやく、である。
これまでわたしが多少語尾を崩しても「だーさん」の言葉が乱れることはなかった。
だから勝手に「敬語を使っているほうがが楽なのかなぁ」と思い「だーさん」から敬語をやめることが提案が出されるまでこのまま・・と考えていた。
が、いやもう限界っす。
てか「だーさん」の敬語こそがネック、な気もしてきた のである。
敬語を話す人は丁寧だ。
敬語を話す人は常識的で礼儀正しい。
敬語を話す人は優しい。
その思い込みが「だーさん」の
挨拶をしない。
「ありがとう」や「いただきます」や「ごちそうさま」がなぜか言えない。
「おいしい」とは言わない。が、無表情無言でめっちゃ食べる。
を、より不可解にしている気がするのです。
わたしが「いつまでも『やめる』って言ってくれないからさー。」と言うと「だーさん」は「あ、なんか、タイミングを逃してしまって・・」と言うので「敬語をやめるタイミングなんて2~3週間越したらもうないよ!」と答えた。
それからわたしたちは「友達口調」で話すことになった。
(タメ口という言葉が苦手で・・口から出すことをしたくないので、類似語を調べたところ『友達口調』というものが出てきた。)
一緒に夕食を作りながら「だーさん」は
関西の人が標準語で話す時みたいなぎこちなさがあったものの、徐々にやわらかくなって、すぐになめらかな会話ができるようになった。
夕食は肉団子のスープにした。
「だーさん」に鶏の挽肉と、わたしが細かく刻んだ野菜をこねてもらい、スプンで団子状にしたものをスープの中に落としてもらった。
その他の料理もテーブルに並べて、ふたりで「いただきます」と言って食べた。
いつもわたしが先に「おいしい」と言い、それを追いかけて「だーさん」も「おいしいです」と言っていたけれど、この日わたしは「おいしい」と言わず、肉団子を食べて「わ、つぅるつぅる!片栗粉入れたからね。」と言った。
そのまま食事を終え「ごちそうさまでした」と言った「だーさん」は、食器を重ねながら立ち上がり
「おいしかった」
と言った。
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