誰かと向き合うことは己と向き合うこと:「ありがとう」について考える⑦
このnoteは
からの続きです。
登場人物
わたし:ibitsu
だーさん:今年6月、ある本屋のイベントで知り合った同世代異性の友人。
興味のあることが近いので、月1~2回外や我が家で(外遊びはお金がかかるので)遊ぶようになった。
誰かと向き合うことは己と向き合うこと:「ありがとう」について考える⑤
で
「だーさん」は
怒らない。
イラっとした様子も見たことがない。
と書いたけれど、わたしはどうか、と言えば
一度、イラっとを見せてしまった。てへぺろー。
夏頃にふたりでファミリーレストランに入った時のこと。
向かい合わせに座り、わたしが先にメニューを決めたところで「ちょっとお手洗いへ」と言って席を立った。
しばらくして席に戻ると「だーさん」の姿がない。
辺りを見回してもおらず、ドリンクバーにもおらず、「だーさん」の荷物はない、が
わたしの荷物は椅子に置きっぱなしである。(貴重品が入った小さなバックは持って行った。)
しばらくして手を拭きながら戻ってきた「だーさん」に
「なんでどっか行っちゃうんですかー!」と言ったら「だーさん」は
引きつった顔で慌てたように「あ、あ、あの、でも、荷物は持って行ったんで・・」と言った。
お前のだけ、な!?
そりゃあわたしも「見ていてください」とは言わなかったし、「だーさん」側からこの荷物の存在は見えなかったのかもしれないけれど
こういうときは「交代で行く」が当たり前だと思っていたわたしは、とても驚いたのと同時に
あ、この人は「自分が責められているということ」にとても敏感なんだな。
と思ったのです。
結局「わたしの荷物があったので、戻るまでは席を立たないで欲しかったんです。」ということは伝えることができず、「だーさん」はきっとわたしがイラっとしていたことは理解しても、「何に」ということには分かっていなかっただろうと思う。
だから、今回自分の気持ちが正確に伝わるように
・「責められた」と受け取られる言い回しや態度は避ける
・みんな や 普通 や 当たり前 は使わず「わたしは」を使う
行き当たりばったりながらも、このことには気を付けました。
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