誰かと向き合うことは己と向き合うこと:「ありがとう」について考える④
このnoteは
からの続きです。
登場人物
わたし:ibitsu
だーさん:今年6月、ある本屋のイベントで知り合った同世代異性の友人。
興味のあることが近いので、月1~2回外や我が家で(外遊びはお金がかかるので)遊ぶようになった。
「だーさんってご自身で気が付いているのかわからないんですけど
無表情っていうか・・表情があまり、変わらないじゃないですか。」
あ
言っ ちゃった 。
だーさん「ええ・・自覚、あります。」
あ、あるんだ。(安心)
と思ったらもう止められず。
ibitsu「あ、あるんですね。それであの、言葉というか感情の表現もあまりないじゃないですか。」
言葉のチョイスには気を付けねばと思うものの、行き当たりばったり過ぎててあちこち全方位には気を使えず。ゆえに、ところどころ「なんかすみません」と言った、気もする。
だーさん「ええ・・」
ibitsu「そういうことも照れちゃう・・って言ったんだっけ?恥ずかしいって言ったんだっけ?そういう感じなんですか?」(前回の note 参照)
だーさん「なんか・・わざとらしいかな・・とか・・なんて思われるかな・・とか・・。そういう風に考えちゃって、あんまり・・。」
ibitsu「そうなんですね。なんて思われるかが不安になっちゃんう?んですね??」
だーさん「ええ・・。」
ibitsu「いろいろ考えちゃうんですね・・・・・でも
だーさんが不安なように、だーさんが表現しないことで、わたしも不安になっちゃうんですよ。」
だーさん「・・・・。」
このあたりで洗い物を終え、キッチンからだーさんの近く・・お互い直視しないですむ、正面ではない場所に座る。
ibitsu「楽しいのか楽しくないのか、おいしいのかおいしくないのか。
表現してくれないとわからなくてわたし、不安になっちゃうんですよ。(←とにかくこれを強調。)
ありがとうって言われたら、あ、これは正しい親切だったんだなって思うし、おいしいって言ってもらったら、また作っていいんだって思うし。
そういうのがないと『あれ、余計なお世話だったのかな』とか、どうしていいのか分からないんですよね。
楽しいとかそうでないとかも分からないし
こんにちは とか いただきますとか・・挨拶や礼儀とかも(全然関係ないことまでここぞとばかりに盛り込む going ibitsu)その言葉の役割だけじゃないと思うんですよね。」
だーさん「・・・・。」相槌をうっていたような、いないような。
ibitsu「思ってるけど、口から出ない感じなんですか?」
だーさん「・・・・。」←自分の主張で精いっぱいで、返事忘れた。
文字だけ見ると、責めているように感じるかもしれないんですけど
そうはならないように気を付けたつもり and 深刻にはならない口調で
ibitsu「もったいないですよー。あちこち出掛けて(フットワーク軽くあちこち出掛けるけれど、友達はいないという)、きっとだーさんのこと誘いたい人っていると思うんですよね。
でも表情がかたいとつまらないのかな?って不安になって誘えないこともあると思うんですよね。
あ、ごめんなさい勝手に。だーさんって友達欲しいんですっけ?」
だーさん「はい。」←そういう言うしかない。(嘘か誠か、だーさんにとってわたしが最初の友達ということになっている。)
ibitsu「じゃぁほんと、もったいないですよー。」
もはやここまで言えば、余計なお世話。は、おばたりあんのなせる業。(思えば遠くに来たもんだ—。この先どこまでゆくのやらー。)
わたしが言ったことで傷付けることは避けたい、ゆえの
励まし逃げ、である。
あんなに悩んでいたのがうそのようにぺろっぺろと、我ながらよくしゃべる ibitsu。
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