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23歳の娘とようやく化粧の話ができるようになった〚お待たせいたしました、お待たせし過ぎたかもしれません、の最終回〛

下戸の暮夜とは
夫なし、子は独立。
酒の飲めない40代が、ひとり過ごす昼夜を綴る生態エッセイです。
気付けば主に家族の話・・・になってます。
※お酒の話ではありません。


このnoteは、前回の続きです。
はじめての方はまずはこちらからお読みください。

初回 2021 / 02 / 26
2回目 2021 / 03 / 09

そして今日(7/14)が「23歳の娘とようやく化粧の話ができるようになった」の3回目にして最終回ですが・・
何故ここまで時間が空いたかと言いますと、新たにこちら


娘の結婚で気が付いた「あれ、わたしだけ 幸せじゃなくね???」
を書きはじめたから・・なんです。
2021 / 7 / 12 に最終回を迎えたこのシリーズの記事は
えー、、、なんと50本以上。
これを書き始めた理由は ↓ こちらに書いていますが


そもそもの発端は
「23歳の娘とようやく化粧の話ができるようになった」の最終回(この記事)を書くためでした。

初めてこちらに来た方・・
「めんどくせぇ。」ですよね。
画面を閉じそうですね。
いや、もう閉じたかもしれません。
さよならは別れの言葉じゃないですからね。
再び会うまでの遠い約束、ですもんね。
またいずれ、どこかでお会いしましょう。


ただ、娘の結婚で気が付いたーを読まないと、こちらが理解できないか、といえばそんなこともない。ように書きたいと思っています。

と、いうわけで、ここからがようやく最終回本編です。

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毎日嫌いな人と一緒にいることを想像してみてください。
どんな気分ですか?


わたしはずっと・・40数年、自分のことが 嫌い でした。
どれくらい嫌いかといえば
自分の名前にも違和感があって、下の名前で呼ばれることにも抵抗がある、というくらい。

気が小さくて、自己主張ができない。
そいういうことを補おうと空気を読んだり気を遣おうとするけれど、「うまくやっているつもり」が正しいのか分からず、いつでも人の顔色ばかり見てしまう。
誇れることもなければ人から褒められることもない。
頼れる人がいない。すべてを話せる誰かもいない。安心できる場所がない。

わたしにはいつも、不安と緊張が張り付いていました。
そして、そういう自分 嫌いな自分といる ということが苦しかった。

わたしは「自分を見る」ということを避けていたので、鏡を見るということにも強い苦手意識がありました。
特に顔だけを映す小さな鏡が本当に嫌いで、のぞき込んでも
顔を見ているようでいて、実際には視点をずらしていました。
景色までも写す大きな鏡なら、自分を見なくても済む。
でもわたしだけを写す小さな鏡には、欠点しか映りません。
だって「わたしがまるっと」欠点だから。


大きな鏡であっても、近くで見ることは苦手。
だから狭い試着室に入ることはなるべく避け、また、「前髪、後ろ、長さどうですか?」なんて、鏡を見ることを促される美容院も苦手でした。

そういうわたしが化粧なんてできるはずもなく。
平日の朝は「人を不快にしない身だしなみ」として、色を顔にのせる。それが習慣でした。

だがしかし、40代中頃。

正しいことをしているのに、なぜか苦しい。
生き辛いけれど、間違ったことはしていない。
そうやってゴツゴツとした大きな石のように、ずっと同じところで動けずにいたわたしに次々訪れた出来事。

娘が結婚したり
モラハラ彼氏に出会ったり
孫が生まれたり

そんなことをきっかけに

食生活を変えたり
ヨガをはじめたり
図書館へ行くことが習慣になったり

しました。それらの過程を通して
「自分を観察する」
という習慣が身につき、いつのまにか

鏡を見られるようになったのです。

それまでは朝、窓のない暗い洗面所で化粧をしていました。
明るい場所で鏡を見るなんてもってのほか、だったのです。
鏡を見る回数を減らすため、出先で化粧直し・・なんてこともしていませんでした。

それが会社のトイレで、明るい部屋で
「しっかり」と鏡を見ることができるようになりました。
そしてはじめて「化粧のヨレ」「毛穴落ち」を自分の顔で発見したときには、恥じらいよりも・・

「これがヨレるなのか!」と・・感動すらしました。

問題に気が付くと、解決策を探すようになりました。
でね・・

ヨレないために
毛穴落ちしないために
「あぁ、あんなものがあったらいいのにな、こんなものあったらいいのにな」と思う

大抵のものってもう世の中にある


世界はこんなにも優しかったのか
ということを、化粧を通して知ることになったのです。

朝はうっすらと色をのせて、帰宅まで一切化粧直しもしなかったわたしは
人に「ほんとに化粧してるの?」なんて聞かれていたわけです。
家に帰って、メイク落としシートで顔を拭くと、シートがあまり汚れないんですね。

「ほぼ見てない割にうまいこと薄く塗れてんだな。」
くらいに思っていました。



NON NON NOーーーーーーーN!


落ちてたーーーーーー!



そこで「メイク」「落ちない」
なんてGoogle検索すると、商品がいくつもいくつも出てきます。

今度はその商品を「youtube」で検索。
いろいろな年代のいろいろな肌質の人が
「検証動画」をあげてくれている。
筆で塗ったら、パフで塗ったら・・そんな比較までも見せてくれます。

お次はそれらを
Amazon 楽天 で検索。
メルカリなんて試供品から、開封しただけで使わなかったものまで揃っています。

2~3日もすればあの商品が、家までのこのことやって来てくれるわけです。


ねぇねぇ、わたし
一体・・何をそんなに心配していたの?
何がそんなに不安だったの?だって今


困ることがないんだが。

もちろんここに辿りつくまでの過程は、短いものではありませんでした。
※詳細は「あれ、わたしだけ 幸せじゃなくね???」シリーズ参照

その期間を経て、自分が好きになったかと聞かれれば、やっぱり
娘の結婚で気が付いたシリーズを読んでいただくしかないのですが

不安が基本装備。今ありもしない未来に困り、過去を振り返り懺悔する。
だから毎日疲れていました。
心と身体は繋がっているからです。
日々の日課は、体力温存という名の昼寝と早寝遅起き。
とにかく横になる時間を確保することが、日々の最大のミッションでした。
そういう自分がまた怠け者のようで嫌いだった。


それが今は ほんとうに・・・

困ることがないんだが。

の連続なのです。

鏡を見ることができるようになってしばらくは、娘が置いて行ったおさがりの鏡を使っていました。

そうして


シリーズ1回目の冒頭

ここ数ヶ月で3種類のコンシーラーを買った。あれの上にこれをのせて、そこにはこっちをたたき込み
境界線は気付かれぬようぼかし込む。
隠したいものと努力は、ファンデーションを重ね、なかったことに。
パウダーふんわりチークは軽く。

どれだけ厚くとも、どれだけ重くともそう見え(せ)ないことを
ナチュラルメイクと呼ぶのです。
そして電車に乗って娘宅へ向かった1時間後

娘 ひとこと   


「何その顔、土っぽい」

に、繋がるというわけです。
まだまだビギナーですから。
こんなもんです。
楽しいと得意、は違いますからね。



2021 / 06 引っ越しを機にあるものを買いました。
それは多分人生で初めて・・・化粧用の

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小さな鏡。

なるほどね。
お気に入りの道具でのメイクは、気分がアガるわけだわ、と感心する鳩。




ではまた次回。
素面でお会いしましょう。

これまでの下戸の暮夜(き)はこちらから。



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