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わたしの友達 についての話。

下戸の暮夜とは
夫なし、子は独立。
酒の飲めない40代が、ひとり過ごす昼夜を綴る生態エッセイです。
気付けば主に家族の話・・・になってます。
※お酒の話ではありません。

LINEグループに、趣味で知り合った人たちで繋がっているものがある。
メンバーはわたし含めて3人。

の、中のひとりに苦手意識・・というか、どう返信して良いのか困る人がいる。

わたしはこのLINEの中であまり自分のことを話そうと思っておらず、趣味に関連することだけを話すグループだと思っているのだけど、おひとりが・・どうもそうではない。

仕事で作成したものや、今どこにいます!ということを写真付きで報告してみたり、年末年始も趣味の話を入り口にして
「年始に北海道にスキーに行くので、怪我をして趣味の外出に響かないようにします!」という具合で自分のことを話す。

そのたび


自慢か (∵)
褒められたいのか (∵)


と思う。
自分がしない・・・のでどういうつもりで送っているのかわからない。

最初は「すごいですねー」とか「お気をつけて!」とかいちいち言っていたけど。
今はこちらの精神状態にまかせて無視もする。
だって・・わたしにとってはあまりに興味の持てないことばかりだから。

趣味の繋がりと言っても、わたしは今その活動最前線から距離をとっており
惰性で足を突っ込んでいるだけのグループなので、抜けようかな。
と思いつつタイミングを見計らって早数か月。
こんなふうに考える時間がなくなったら・・


「良い」しかない。


これは嫉妬なのか。羨ましいのか。
だから嫌な気持ちになるのか。
とも考えてみたし、そういう考え方に埋もれて自分を責めてみたこともある。でも

わたしがしていること、例えば
「ひとりで喫茶店に行ってきまーす」
とか
「今日も仕事がんばりましたー」
と言われてもやっぱり

ほえ?(∵) となる、と思う。


そして別の視点で考えて今ようやくしっくりきたので、書いてみることにした。


彼女とわたしが友達か
と誰かに聞かれれば、きっと今は「友達だ」と答える。とは思う。
そう答えた方が話が簡単だから。

でもそれは
「ママ友」みたいなくくりであって
彼女とわたしの間に「趣味のもの」があってこそ。
この繋がりがなくなれば、彼女と会うことはないかもしれない。

でも
ママ友や同僚から「わたしの友達」になった人も
趣味の出会いから「それがなくても会える友達」になった人だっている。
そういう人たちと彼女の違いが何か。

間にあるものがなくなっても付き合いのある人たちは
わたしが気が合うな、好きだな、と思う人たちは自然と

何をしたか
よりも
互いが何を感じているか どう感じたか

が話しあえる人。そんな人ばかり。
そんな時間を誰かと共有できた時、わたしはとても楽しいと感じる。

逆に言えば
何をしたか ばかり話す人には興味が持てず、何を聞いていいのか、何を話していいのかわからなくなってしまう。
わたしはそんなタイプだということに気が付いた。

でも「何か返事をしなきゃ」と思うから、無理してそれが苦しく…いや苦しいというより、負担。うん、負担なのだ。
その理由がわからなくて「嫉妬なのか?」と混乱していた。
でも違ったよ。


大人になると「わたしたち友達よね」と確認し合うことはない。
でも、ただ繋がりがあれば友達、ということではないのなら
じゃぁその定義ってなんだろう。



わたしが「好きだな」と思っている人。
一緒にいて楽しいと思える人。
それが友達でいいじゃないか。

今日のところはそんな風に思う。いや、むしろ


それが全てじゃないか。


整いましたー。(ねずっち)


嫌なことは自分の内面を深く知るきっかけをくれる。が

50も間近になってもまだこんなことを言っているわたしにうんざりする。
けれども


先日会った80の母も、シルバー派遣の人間関係で仕事を辞めるだの続けるだのと言っていた。

どうやらずっと続くらしいんですよ、こんなことが。みなさん。
思いの外、先は長いようですよ。
気楽にいこーぜ。



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