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花吹雪のアサシン。(#シロクマ文芸部)

 花吹雪と呼ばれる男がいる――。
 薄れゆく意識の海でリー浩然ハオレンは、裏社会の伝説を十数年ぶりに思い出した。
 千の顔をもち年齢不詳、姿すら誰一人まともに見たことがない。風に乗って現れ、花吹雪のごとく風に消える――伝説のアサシン。男かどうかも定かではない。何しろ誰も正面から見たことがないのだから。わかっていることは、美しく殺してくれる、ただそれだけ。死の瀬戸際に、舞い散る花吹雪のなか遠ざかる背を目にするといわれているが、野辺に打ち捨てられ死にゆく者が最後に見た光景を誰が知るというのだ。かけらの根拠もないまやかしの都市伝説。
 そう思っていたさ。いまわのきわまで。
 けれど、閉じかかる瞼の裏に広がっている、これはなんだ。
 淡く白い花びらが降るように舞っている。遠ざかる白い背。おまえが伝説のアサシン花吹雪か。みごとだ。一滴の血も流さずにターゲットを仕留めるとは。すれ違いざまの秒速の突き。心筋梗塞の発作と誰も疑わないだろう。

「大丈夫ですか」「聞こえますか。大丈夫ですか」
 女が耳もとでさわいでいる。うるさいなあ。女ってのは、なんでこう、やかましいんだ。心臓マッサージなんて野暮はよせ。
 この道に足を踏み入れたあの日から、最期は蜂の巣のごとく銃撃され五臓六腑を飛び散らせるか、火の海で焼かれるか。碌な死に方はしねえと覚悟してた。それが、なんて穏やかで美しい最期だ。邪魔をしないでくれ。
 ピーポー、ピーポー。
 遠のいていく意識の間隙でサイレンが黄河の波音のようだと李は思った。
  
 宇治川と木津川の合流地点の砂州に伸びる背割堤は、堤をおおうみごとな桜並木で近年人気の名所だ。桜がみごろを迎えると、平日でも花見客であふれかえる。前日の雨があがった土曜の今日は、肩が触れるくらいの人出だ。
 一陣の風が桜の花びらをゆらして通りすぎると、男が一人、苦痛に顔をゆがめうずくまった。ほどけた靴ひもを結び直しているようにみえた。行き交う人は皆、顔をあげて桜を眺め、スマホで撮影することに夢中で、足もとに男がうずくまったことに気づく者も不審に思う者もなかった。傍らを幾人もの男女が、親子が通り過ぎた。戯れに顔を覗きこむ子はいたがすぐに走り去る。やがて姿勢を保てずに男がくず折れると、俄に周囲がざわめき看護師を名乗る女が走り寄った。

 カツン、カツン。
 乾いた廊下に革靴の音が高く響く。
 救命救急センターの遺体安置室の扉がスライドし、冷気が廊下に漏れた。案内の女性が黒スーツの男に会釈して去る。
 遺体を乗せたストレッチャーの傍らに男が一人いた。  
「東京からのご足労、痛み入ります。八幡警察尾上巡査です」
「駐日大使館一等書記官の朱だ」
 尾上が遺体の顔に被せた白い布をとる。
「ご遺体は中華人民共和国駐日大使館二等書記官の李浩然に、まちがいありませんか」
「ちがいない」
 朱は遺体に手を合わせ顔をあげる。
「検視の結果、死因は急性心筋梗塞との見立てですが、司法解剖を希望されますか」
「いや、プライベートでの休暇中の不幸。これ以上、遺体を傷つける必要はない」
「ご家族が来られるまで、ご遺体は保管しますか」
「李は独身だ。本国の老親もすでにない。明日、ここで荼毘にふしたい」
「では、こちらが所持品です」
 尾上は背後の簡易テーブルを振り返る。折り畳んだ衣服の隣に横長のトレーがあり、財布やスマホ、腕時計などが並べられていた。それらをさっと眺めていた朱の眸が、黒いUSBを凝視したのを尾上は見逃さなかった。
「所持品は私が持ち帰る」
「では、ここにサインを」
 丸椅子に腰かけ署名する朱の短髪を見下ろし尾上は「花吹雪……」とぼそりとつぶやく。
 一瞬、朱の手が止まる。
「……と、李さんがつぶやかれるのを現場で心臓マッサージを行った看護師が聞いたそうです。お心当たりは?」
「花見に行っていたと聞いている。だからではないか?」
「ええ、まあ、そうでしょうな」
 尾上は胸ポケットから取り出した煙草を咥える。火は着けずに咥えたまま、リストにチェックを入れ用意した紙袋に遺品をまとめる。
「火葬の時刻はおって連絡します」
「世話をかける」
 遺体安置室前の廊下で尾上は紙袋を手渡し直角に頭を下げる。黒スーツが廊下の突き当りを右に曲がるのを見届けると、煙草に火を着けた。
 くっ、と短く片笑む。
 USBを破棄するか、誘惑に勝てずに開封するか。
 背割堤で李が情報提供者と接触していたのを上官の朱が知らないはずはない。そして……「花吹雪」に暗殺されたことも。本来ならばUSBは破棄するのが危機管理の鉄則だ。だが、病死と判断した地方警察を侮れば、あるいは。大使館のコンピュータにつなぐような愚かな真似はしないだろうが。バグは仕掛けておいた。李暗殺のコマンドは完了したのだから、まあ、いいだろう。
 尾上と名乗った警官は紫煙をくゆらせ、足音もたてず廊下を朱とは反対方向にすべるように歩む。中庭の桜の大木が花吹雪を散らしていた。

<了>

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またまた、間に合いませんでした。
一日遅れで提出いたします。


背割堤は、こんな感じです。


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