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玉むすび(#シロクマ文芸部)

 朧月が蒼天に白くにじんでいた。
 戎橋の欄干に背を預け、数馬は道頓堀に目をやる。北岸に軒を連ねる水茶屋からもれる灯りがちらちらと川面をさんざめかせていた。川風が着流しの裾をめくって戯れる。浅春の夜風はまだひんやりする。数馬はぶるっと身震いし、はだけていた襟もとを合わせた。
 ――春の月は、なんとのう、うすぼんやりしとるなあ。
 輪郭も朧な月明かりは、川面を照らす前にどこぞで霧散してしまう。
 芝居小屋が並ぶ南岸は、昼の賑わいの名残もなくひそりと静まっている。橋のすぐそばにある竹本座の櫓に据えられたのぼりがせわしなくはためいていた。

 ――道頓堀川は成安なりやす道頓はんいう豪商が私財をなげうってつくらはった堀川なんやで。豪儀やろ。道頓はんは夏の陣でうなってしもて、完成を見届けられんかったそうや。もともと流れとった川とはちゃう。せやけど、見てみ。今ではどの河岸かしよりも賑おうとるやろ。戎橋のはすかいの竹本座からはじまって中座、角座と「五つ櫓」が続き、東の端の豊竹座でお留めや。芝居小屋に通う橋やからと、戎橋をあやつり橋とつうがって呼ぶやつもおるんやで。
 がきの時分に幼なじみの宗次郎とふたり並んで戎橋から道頓堀の川面を眺めていたら、宗次郎がそないな講釈をひけらかす。宗次郎はこまいころから読本よみほん好きで、よけいなことをよう知ってる。その声が、なぜか今夜、数馬の脳裡を揺らす。朧月のせいやろか。
 
 宗次郎は船場の呉服商の大店おおだな「大松屋」の跡取りあほぼんや。
 数馬は幼い頃、かんざし職人の父が「大松屋」にかんざしを納めに行くのによく付いていった。数馬が行くと必ず奥から宗次郎が走り出てくる。宗次郎のほうが三つも数馬より年嵩としかさやのに、背も低く柄も細く、病がちなこともあってまったく頼りなかった。それは大人になった今も変わらず、跡目を継ぐどころか、商いの修行もせず、昼間から芝居小屋通いなんぞにうつつをぬかしてふらふらしている。

「あやつり橋か。何をあやつるいうんやろな。ま、それも一興、一興かな。べんべんべんっと」
 口三味線をかき鳴らし、ゆらりと数馬の上背が右に左に揺れる。
 さっき角のうどん屋で熱燗を一合引っかけてきた。ええ塩梅あんばいに酔いがまわって、きぶんも上々、上々。ああ、川風が冷やこいけど、きもちええわ。
 欄干にもたれたまま、目を細うして竹本座をながめる。
「此の世のなごり、夜もなごり。死に行く身をたとふれば、あだしが原の道の霜……て、か」
 先年、人気になった『曽根崎心中』の道行みちゆきの詞章が、ふっと口の端にのぼり、数馬は苦笑する。
 浄瑠璃なんぞただの人形芝居、女子供ならいざ知らず、だいの男が見るもんやないと思っとたんやけどなあ。義太夫のあの名調子で語られりゃあ、そら、耳についてはなれんわ。

 天満屋の女郎お初と醤油商平野屋の手代の徳兵衛が曽根崎の露天神で心中したのが、昨年の四月のことであった。遊女との心中など噂が立ってもすぐに忘れられるたぐいのことや。せやけど、ちょうどひと月後に近松門左衛門が浄瑠璃に仕立て竹本座で披露されると、とたんに連日満員御礼の幟があがり、あれよあれよとえらい騒ぎになった。
 それを宗次郎が見逃すわけがない。
「木戸銭は、わてが出すさかい」
「一人で行ったらええやろ」
「お父っつあんに、わてのお守り頼まれてんねやろ」
 ぐっと数馬が詰まる。
 おなごよりも青白い顔をしてふらふらしてる一人息子を案じた大松屋の大旦那おおだんさんから、宗次郎がやっかいごとに巻き込まれんように見守ってやってほしいと、こっそり頼まれていた。それを逆手にとって、このあほぼんは甘い顔で笑う。
「な、せやから、今からいっしょに観に行こ、な」
 数馬は渋々、竹本座の木戸をくぐった。

 あれをどない云うたらええんやろな。
 初めはたしかに人形やった。それがいつのまにやら、人に見えた。お初と徳兵衛が手と手を取りおおて、曽根崎までの畑道を行く姿が見えた。芝居小屋を出ても、しばらくぼおっとしてしもて。戎橋を宗右衛門町まで渡り切って、ようやっと此の世に戻れた気がした。そんな数馬のようすを宗次郎はにたにたと見やり、「な、小屋は橋のこっちゃにないとあかんやろ」と暢気な顔を夕日に染めていた。

 あの日、宗次郎と観た芝居を思い出しながら竹本座のほうに目をやると、ほっかむりした男女が提灯もつけず、ぼおっと近づいて来る。
 なんや逢引きか。
 じっと見るのも無粋やと、数馬は提灯を消して背を向け川面を眺める。
 もう通りすぎたやろか、と思ったときだ。
「おおきに」
 女の細い声がして振り返った。
 先ほどの男女が肩を寄せ合って立っていた。手ぬぐいで隠れて顔は、はきとはわからない。
「わてが、あんさんらに、なんぞしましたか」
 数馬がいぶかしげに尋ねると、
「此の世のなごり、夜もなごり……」
 さっき数馬がつぶやいた『曽根崎心中』道行みちゆきの詞章を男が吟ずる。
 気づくと橋の上は、薄い靄につつまれていた。ふたりの足元が霞んでよく見えない。
「ひょっとして……あんさんら、お初はんと徳兵衛はんか」
「へえ」
 娘が手ぬぐいをかぶった顔をあげる。あの日見た、人形によう似てる。
 だいぶ酔いが回ってきたようや。
「ああ、そうか、そやな。橋はあの世と此の世をつなぐ云うわなあ。まだなんぞ名残があるんか。成仏できへんのんか」
 お初が首をふる。その肩を抱きながら徳兵衛が、
「ちゃいます。あんさんに呼び戻されたんですわ」
「は? 何いうてんねん」
 数馬はきょとんとする。
「此の世のなごり、夜もなごり……」
 徳兵衛がまた吟ずる。
「わてが、道行みちゆきの義太夫節をくちずさんだからか」
 徳兵衛がふっと片笑む。
「心中なんかした、あてらは、親からもねんごろに弔うてはもらえまへん。それは覚悟のうえどしたさかい、かましまへん。せやけど、あんじょう成仏ができんでおったんですわ」
 そやろな、と数馬が叩頭する。
「ほんだら、あそこで、あてらのことが芝居になった」
 徳兵衛が橋向こうの竹本座を振り返る。 
「名もなき市井の手代と遊女が有名になって、心底たまげましたわ。ぎょうさんの人が、あてらの恋に涙を流してくれはる。おかげさんで、成仏できました」
 ああ、そうか。芝居が鎮魂になったんやなあ。
「なあ、心中して後悔はしてへんのか」
「してまへん」
 お初もうなずいている。
「そりゃ、こっちでも一緒になれたら本望でっせ。せやけど、お初には身請け話が出てしもてた。そんな大金、手代の身では用意でけしまへん。他の男にもってかれるんやったら、あの世で添い遂げるほうがええ。こっちゃの世界より、あっちでの時のほうがずうっと長いんでっせ」
 はじめはぼおっとしてたお初と徳兵衛の姿が、今はたしかに見えるんは、これも酔いのせいやろか。
「で、今からまた曽根崎に向かうんか。せや、これ」
 数馬は懐から自作のかんざしを取り出し、お初に手渡す。
 ふたりは互いを見やって、数馬に丁寧に頭をさげた。

 ああして、何度でも手と手を取りおおて、道行を繰り返すんやな。
 あないに幸せそうな顔してからに。
「未来成仏うたがひなき恋の手本となりにけりぃ」
 数馬は道行の最後を吟じ、夜の春霞をまとった二つの背を見送る。
 橋を渡り切ると、ふたりの姿はすうっと消えた。
 あの世に帰ったか。
 此の世とあの世。虚とまことと。そのあわいに橋がある。
 
 ちょちょん、ちょん、ちょん、ちょん。ちょん。
 幕切れを告げる甲高いの音が朧月夜に響く。
 橋の上の靄を川風がさあああっとさらっていった。
 明日、宗次郎に話したら、どないな顔をするやろか。

<了>

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ひさかたぶりのシロクマ文芸部ですが、間に合いませんでした。
一日遅れで提出いたします。


『曽根崎心中』は、近松門左衛門がはじめて手掛けた世話物浄瑠璃で、代表作とも評されています。
元禄16年4月7日(旧暦)に大阪の曽根崎で起きた心中事件を、そのちょうどひと月後の5月7日に人形浄瑠璃として竹本座で興行されたといいます。たったひと月(人形遣いの稽古も考えると、もっと早く)で書き上げたことも驚きですが、クライマックスの道行の「此の世もなごり、夜もなごり。……」は名文としても名高い詞章です。
お初と徳兵衛が情死した露天神は、今では「お初天神」として知られ、梅田の繁華街にひそりと建っています。ご興味があれば、どうぞ詣でてください。曽根崎警察の裏ぐらいにあります。
なお人形浄瑠璃は、今は「文楽」と呼ばれています。一体の人形を3人であやつる人形劇は日本にしかありません。


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