脳出血からの生還④

今、生きていることが奇跡のように感じることがある。

かなりさかのぼるが、そう思うことをつづってみる。

その①
私の父は広島の島の出身。今でいう中学の頃、広島の市内に下宿して学校に行っていた。

父は週末に、実家(下蒲刈町という島に実家がある)に帰っていた。

山の手洗い場を一生懸命掃除をしていたらしい。最後の船に乗り遅れそうになるギリギリまで。。。 多分、戻りたくなかったんだと思う。

それを察した祖母が、今日は帰らずに泊まっていきなさい、といった。

それまで父は皆勤賞で学校を休んだことがなかったのに。

次の日に父が住んでいた広島市に原子爆弾が落ちた。もし帰っていたら死んでいたらしい。

もしこの時、父が広島市にの下宿に戻って学校にいっていたら、私はこの世に存在していない。

その②

私は2人兄弟の下の子。つまり次男

実は、私の前にお姉さんが生まれる予定だった。でも不幸なことに死産だったと聞いた。

そしてそのあとに生まれたのが私。

もし、お姉さんが健康に生まれていたら、私はこの世に存在していなかったかもしれない。

その③
大学4年生になる前の春休み、高校の時からの友達と芦ノ湖に魚釣りに向かっていた。

高速道路を飛ばして現地に向かう途中で、交通事故を起こしてしまった。
かなり飛ばしている状態での事故。

車が蛇行したしたところくらいまでは覚えているが、気づいたら、ガードレールの外の土手にいた。

死んでいた可能性のある交通事故。飛びだした先が土手ではなく、高架だったら。。。。

幸い、肩を骨折しただけで済んだ。

その④
2019年4月に脳出血。その日は息子と亀を取りに行く予定にしてた。
前の冬からの息子との約束で、カメは冬眠するから春になったらいこう、としていた。前の週にはすでに冬眠から出てきているのか?と、下見もして、いることも確認していた。
朝早く起きてシャワーを浴びた後、少しふらふらするので、これはおかしい、と思い、息子にお母さんに言って救急車を呼んで!と頼んだ。
平成最後の4月、の出来事、気が付いたら令和になっていた。い。

あの時、すぐに救急車を呼んでなかったら。。。
ちょっと横なってるから、とか言っていたら。。。
息子がまだ、起気ていなかったら。。。

死んでいた可能性も十分にあったと思う。

生還して4年以上過ぎた。

数ある奇跡を乗り越えて生を受けているのだから、今とこれからを大事に生きていくのが私の義務なんだと思う。

時々凹むこともあるが、こんなことを書いて自分を奮い立たせている。



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