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言葉にならない思い
この前亡くなった小澤征爾氏は、涙もろい方だったらしい。
朝日新聞 2月12日(月)の文化欄
音楽欄お馴染み、吉田純子さんの記事は、そんな小澤氏のお人柄のエピソードを紹介していました。
その中で、私が注目したのは、次の話です。
人懐こく、おしゃべりだった小澤さんだが、インタビューでは「むちゃくちゃ」「ぱーんと」という抽象的な言葉をもどかしそうに繰り返すことが多かった。意味を明確に規定する言葉は、小澤さんの内的なマグマの受け皿にはなり得なかったのだろう。
そのあと、「言葉にならない思い」とも書いています。ここを読んだときに、先日の2月3日近藤康太郎氏の多事奏論にあった、ウクライナの「戦争語彙集」が頭に浮びました。
「戦場の悲惨さを表わす言葉は、美しい比喩に隠れてはいけない」
「他の人が理解できる範囲での閉ざされた言葉では表せない」(意訳)
ああ、同じだと思いました。
「言葉にならない思い」というのはあるだろうな。たとえば、今度の地震でも、身内を亡くした人にかける言葉はない。抱き合うだけだ。
そんな時、一冊の本を手に取りました。若松英輔著「悲しみの秘儀」です。
いつか買ってあったもの。その前書きにあった言葉。
人生はしばしば、文字にできるような言葉では語らない。
人が語ろうとするのは、伝えたい何かがあるからであるよりも、言葉では伝えきれないことが、胸にあるのを感じているからだろう。
言葉にならない思い。伝えられないこと。ああ、同じだと思いました。
言葉は使い方によっては、人を傷つけることもある。
それでも言葉は素敵で、優しくて、人間を人間にしている。
だから、一番ふさわしい言葉を、必死に探して伝えていきたい。
そんなことを思いました。
「悲しみの秘儀」はこれから読みます。
*ヘッダー:タイにて。下も。
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