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新緑の山に教えられる

新緑が爽やかです。木々が薄い緑色の葉を茂らせ、勢いを増しています。山が薄緑色から深い緑になっていきます。薫風が吹き、自然が動いていくこの季節が好きです。

この時期になると、必ず思い出す風景があります。
(今までに何回も書いていますが、忘れないように書きます)

大学を卒業しても仕事が決まらなかった私は、北海道の寮から、高知県の両親の元にいったん戻りました。実家に帰ろうとしか考えなかったのです。一番簡単な選択肢でした。

帰った途端に私は後悔しました。「なんで北海道を離れてきたんだろう」帰ってみないと分かりませんでした、その感覚が。

こっちには、なんにもない。
仕事もない。所属もない。友達もいない。
向こうでアルバイトを探せばよかった。親元にいる申し訳なさ。

教員採用の一次試験には受かっていましたが、実力からして採用になるとは到底思えなかった。でもそれにすがっていました。免罪符にしていました。

人見知りで、行動力もなく、現状を打破できずに悶々として暮らしました。父親は「娘は母親と一緒にいて、いろいろ学ぶべきだ。そして結婚すべきだ」という考えでした。

後悔ばかりして過ごしました。


そんなある日、ふと、窓から見えたものに目を奪われました。そこにあったのは、新緑に耀く山だったのです。木々は薄緑の葉を茂らせ、山は初夏の陽に耀いて見えました。目に青葉とはこのこと。とても爽やかな風景でした。

ああ、なんてきれいなんだろう。
しばらく見とれていました。

そして、思いました。
「私が悶々と思い悩んでいるうちに、自然は営みを続け、こんなに耀いていたのだ。うつうつと下ばかりを見ていたから、この美しさに気がつかなかったのだ」

見ていたのに、見えていなかった。
「悩んでばかりじゃいけない」そう思いました。

それからの私が、一念発起したとか、自分の好きなことに邁進したとか、そんなことはなくて、相変わらずの意気地なしだったのです。

でも、このことはずっとずっと、忘れないでいようと思ってきました。


あれからほぼ半世紀。今年も、「この季節になったなあ」と思い出しています。そして、自分の来しかた行く末を思います。

自分で決めたこと。向こうからやってきてくれたこと。グズグズしていたこと。えいやっと思い切ったこと。頑張ったことも頑張れなかったことも。


若い頃は、自分に自信が持てず、全部自分のせいだと思っていました。人生、一回りして、自分に優しくなったと思います。

今、退職して、あの頃と同じような感覚を味わっています。仕事、ない。所属、ない。勉強はしているぞ、と切り札は持っている。

でも、仕事をしているときより、周りの自然の美しさに目がいきます。余裕があるからでしょうね。


相変わらず意気地なしだけど、美しいものを美しいと感じる感性だけは誰にも負けていない、なんて慰めのように思ったりします。

それで、いっか。

高知には10ヵ月くらいしかいなかったのですが、忘れられない出会いもあり、バレーボールクラブに入れてもらったり、心に残る土地になりました。

ビル街の青空
ビル街の新緑

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