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(1103文字)
2024.3.27 追記


寺田農さんが亡くなった。

彼の文学座時代に芥川比呂志からこう言われたと云う。

「とにかく本を読め、そして恋をしろ」と。

「恋をすれば心がときめく。情熱も嫉妬も恨みつらみも、涙も笑顔も全ての感情は恋に凝縮される」



この歳になって、確かにその通りだなと思う。


この世に溢れる様々な音楽、どれを取ってもラブソングだ。
能・狂言の世界でさえそういう事。

「恋愛」の歌詞に皆、老いも若きも自分の経験と想いを重ね合わせ、
切なさ、悲しさ、愛しさ、嬉しさ、悔しさをなぞり共感する。
そして自分の過去と似たストーリーの曲に出会うと、無条件に涙するのだ。

この私ですらそう・・笑

過去を振り返り、もう立ち直れないくらいの圧倒的な失恋も、めくるめく恋愛も幾度となく経験してきたが、不思議な事にそれらのどれ一つとっても忘れていない。
何ならより鮮明に記憶の棚に奇麗に保管されていて、
しかも、辛くて悲しくて悔しい記憶ほど、何故か時と共に磨きに磨かれて、その中の清らかな宝石のような部分だけが見えるように展示されている。

一喜一憂という言葉があるが、
「一喜(新しい恋)」「一憂(失恋)」
と置き換えても反対する人は居ないと思う・・え?いるの?笑

人が生きるためのエネルギーを得るのも失うのも突き詰めれば
「そういう事」なんだろう・・。


芥川比呂志が寺田農に語った言葉は誠に真実であり、
人は「それ」に突き動かされて生涯を全うするのだと・・
しみじみそう思った次第。



余談。
大昔から、と言うか人間が言葉を使い始めた時から、いやもっと前の
「唸り声」しか持たなかった頃から、その境遇に関わらず人は愛を表現していたはず・・。

世界中に存在する神話も絵画もオペラも歌舞伎も何もかもが脈々と「愛」を語り綴っています。


第二次世界大戦中、欧米の軍用機にはパイロットの彼女、奥さんの名前を機首にペイントしていました。毎日命懸けの戦場に、最愛の人の名前を冠して出撃していたのです。

もっとも日本軍の戦闘機の機首に「幸子」なんて書いていたら制裁される事間違いなしですが・・。
そんな彼等でも、機内には愛する恋人や家族の写真を持ち込んで闘っていました。

しかし何故だろう・・不思議に信仰する「神」の名前はこういう所には出て来ません。

人は窮地に至ると神よ仏よオーマイガッ!・・なんて言ったりしますが、
それはまるで「オベンチャラ」や「タテマエ」のようなもので、その先にある究極の死生の場に至ると

「愛する者」

に思いを伝える行動を取ります。

それはもうオートマチック・・。


人種も国も超えたその存在は、私のようなものが今更に書くような事ではありませんが、

やはり「愛が全て」なのだろうと・・


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