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Moved soul No.01

    「V」


(2597文字)

その日の横須賀は曇天で、六月だと言うのにかなり蒸し暑かった。

僕はお昼過ぎに友人と横浜駅で落ち合い、京浜急行で横須賀へ向かう。
目的は単なる野次馬心で、その日の横須賀での大規模なデモを見に行く事だった。
相当な混雑が予想された市内中心部を避け、郊外の「汐入駅」で下車すると、もう既に目の前の海浜公園の広場では、大きな赤旗とドカヘルマスクの集団が海に向かって大声を上げていた。
米軍の海軍基地を望む公園から海上に目をやると、無数のゴムボートと恐らくチャーターされたであろう漁船風の船がわらわらと走り回っていた。
上空には報道各社のヘリコプターが何機も飛んでいて、この日のデモが並みの規模ではない事を示していた。
僕と友人は思わず顔を見合わせ、興奮してワクワクしながら市街中心部へ向けて歩いて行った。
そして中心部が近づくにつれて、その異様な殺気立った空気と迫力に圧倒されてしまう。

この日のデモは、当時核搭載疑惑が疑われていた米海軍空母

「ミッドウェー」


の横須賀再入港に反対するもので、事前の予想では数万人規模になるだろうと言われていたのだが・・。

核マル、中核、核労協、第4インター、等の過激派を筆頭にあらゆる共産党、社会党系セクト、動労、国労、日教組に、各組織シンパの一般人も総動員、当時の国内で行われていたデモの最大級の規模なのだった。

広い国道を人が埋め尽くし、過激派が先導して最後尾の一般人までが、まるで巨大な竜のように密集蛇行し、沿道に張り付いた機動隊の壁との衝突を繰り返しているさまは、異様で恐ろしく声を失うほどの圧倒的な迫力の光景だった。

とにかく凄まじかった・・。

遠目では決して伝わらない、そしてニュース等の映像でも絶対に伝わらないであろう「それ」は、到底このような拙い文章では伝えきれるものではないが・・。

間近にそこにいた者にしかわからない「絵面」「音」「匂い」「狂気」そして刻々と変化する「人の顔(表情)」

もうここまで書いた時点で筆が止まり、数時間が過ぎている・・・。
当時の事を思い出せば出すほどに、頭の中のクシャクシャの「毛糸玉」は
大きく膨らみ、その色の数はどんどんと増えて行く・・。




デモ隊の蛇行は規制され、国道の幅員を外れる事の無いように抑えられていたように見えた。
が、それは先頭の過激派集団までの事で、中段から後方に至ってはもう暴走状態になっていた。
しかし、これは意図的な暴走ではなく、あまりにも巨大化した人の集団がコントロールを失ってしまった結果なのだった。

密集と連動・・。
実は、先頭部の過激派にはこのような暴走をさせる意図は無かった。
何故ならこの日のデモの大多数が一般人で、無造作に搔き集められた家族連れも多くいたからである。
大声のトラメガから発せられる罵声や煽りこそあれ、動きとしては大人しい部類のデモであったのだが・・。

先頭が道路の幅一杯に蛇行を始めると、そのうねりは生きた大蛇のように後方に伝わって行き、そこにはもう個々の意思は反映されない。

大蛇の頭のうねりは後方に行くに従ってその幅が増幅され、あっという間に国道の幅員のキャパを超えた!
機動隊の壁側に接する人々は悲惨だった。皆一様に顔が引き攣り、隊員に背を向け集団の中に向けてひたすら、
「オスナーーー!!」
と叫ぶ。
強烈な密集状態では、自分を囲む人々の動きに自動的に連動してしまって、身体が勝手に運ばれてしまうのだった。
機動隊の盾に無理やり押し付けられその凄まじい圧に声すら上げられない者もいた。
その場だけを切り取って表現するならば、トロール船の水揚げ風景に似ていた。ミッシリと網一杯に詰まった魚がところどころ鰭を動かしている様・・。

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平和的な行進を想定してデモに参加していたはずの一般人は、お互いの人の圧力と予想外の動きにパニックに陥っていた。
もう悲劇だった。
前後左右、数センチの隙間もないほどに圧縮され、自分の意思の全く及ばない大蛇の一部として動かされていた。
押しつぶされそうになり苦しそうに歪んだ顔、顔、顔・・。
親を呼び泣き叫ぶ子供!

「押すな!!」「もうやめろ!!」「止まれ!!」

そんな阿鼻叫喚は先導する過激派に伝わらないし、止める術もない・・。
非情だった。

僕の目の前数メートルの所で起きていた現実。

機動隊の壁は強固だった。盾を構えた隊員の腰に一人が肩でつっかえ棒の如くに組み付き、その後ろにあと三人が同じような態勢で構えていた。まるで、ラグビーのスクラムのよう・・。
市内の至る所にそのような防護拠点が築かれていた。

まるで延々と打ち寄せる大波のように機動隊を襲う「大蛇」だった。
止めどない攻撃は機動隊の体力を奪う。
体力の限界に達した部隊もいた。

それはかなり強固な壁であったが、交代も無く無限に続く大波の圧力に「決壊」してしまったのだ。
大蛇の一部はその綻びを吹き飛ばした。雪崩れ込んでしまうデモ隊。(彼らに機動隊と揉めるような意図は無く、そうなってしまっていた。)
苦痛に歪む「悔しそうな」機動隊員の顔・・。
ヘルメットのライナーの内側にはまだあどけない「青年達」の顔が覗いた。

あぁ、もうミッドウェーも米軍も過激派も無い・・。

その日一日が早く終わって欲しい・・と僕は思った。



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やがて夕方になりデモも終盤に差し掛かると、機動隊に守られた歩道に基地の米兵達とその家族がゾロゾロと現れ始めた。
僕と友人は遠目にそれを見ていたが、デモ隊と揉め事にならないか心配していたのだが、案の定と言うか、彼等は皆両手を高々と上げ
勝利の「Vサイン」
をデモ隊に向け、挑発するかのような動きを見せ始めた。

僕と友人は、
「これはマズイだろ・・。」
と顔を見合わせ、ヒヤヒヤしながら見守っていたら、
僕たちの周りにも基地から出て来た私服の米兵が現れ、やはり「Vサイン」
を掲げ始めた。

しかしだ。

彼等は大声でこう叫んでいた。

「ピース!!!」



しかも皆泣いていた。
ボロボロ涙を流していた。

ある者は同僚を肩車し、ある者は電柱に登り、
小さな女の子を抱えたお母さんも皆泣きながらデモ隊に向けて「ピース」と叫んでいた。



僕と友人は呆気に取られた。そして大いに自分達の心の狭さを恥じた。

そして僕と友人も一緒にボロボロと泣いた・・・



「俺たちは平和のために来ている」
泣きながら、そう懸命に訴える米兵達を見た時、
私の中の彼等に対する全てのバイアスが吹っ飛んだ気がした・・。

子供の頃に植え付けられた、「ジャップ」を見下す「ヤンキー」と言う根深いバイアスがスゥッと消えて行った瞬間だった。

いつの間にか隣にいた海軍の略帽を被った若者が、僕に片言の日本語で話し掛けてきた。

「ヘイワマモルニキテル・・」


彼は僕の泣き顔に気付くと右手を差し出して頷いた。
握手の手にぐっと力が篭った。





あれから何年経ったろう、今も鮮明に思い出すあの光景・・。

この体験は僕のその後の人生観に少なからずの影響を与えているのだと思います。
高い所や離れた所からでは判らない、地べたに這いつくばって見ないと判らない事がこの世の中にどれほどあるのかを気付かせてくれた出来事でした。




それにしても、あの泣きながら訴えた米兵達の思いは、デモ隊の人々には1ミリも伝わっていないんだろうなと思うと、何とも居たたまれないものを今でも感じています・・。


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