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車椅子は強者の証である

人間という物は誰でも生まれたばかりの頃は可愛い事が多い物で。
ある程度育つと個性が出てきて評価がそれぞれ変わってきたりする。
それで、変わっていくのは見た目だけで無く中身や考え方なんかも変わることがある。

私は生まれた時には身体的には特に問題なく生まれることができた。
それで問題らしい物を上げるとしたら鼻炎くらい?という感じだった。
そういうのもあって子供の頃は身体障害者という物について理解ができなかった。
手が無いってなに?足が無いってどういうこと?
世の中にはそういう人もいて大変な思いをしていると聞かされたことがあったけれど自分はそういうことはない、だから理解できないし関係は無い。
そういう受け止め方だった。

身近にそういう人がいなかったのも理由の一つだと思うけど物語の中の話のような気がして真剣には考えることはできなかった。
そういう考え方をしている子供だった。

けれども成長すると色々な人を見ることもあるわけで、そういう体の一部分が欠落している人を目にする機会もでてきた。

初めて見た時にどう思ったかだけれども「可哀想」「痛そう」「怖い」という感じだったと思う。
可哀想と思った理由は体が不自由だから色々大変だと思いそう考えた。
痛そうと思った理由は傷口が今でも痛むんじゃ無いかなと思ったから。
怖いと思った理由は説明が難しい……その時はとにかく恐怖を感じた気がした、それ以上は説明できない。

そのように感じて初めてそういう状況の人が存在するというのが現実なんだなと理解した気がする。
たちの悪い衝撃と共に思い知らされたものだった。

自分と違う状態で生きている人にはどう接すればいいのか?
それを悩んだこともあった。
自分とは違って不自由な体なんだから色々と気を遣った方がいいのではないか?
それとも気にしない方がその人にとってはいいのだろうか?

長い間本当に色々考えた結果答えが出た。

身体障害者の方々、あの人達は凄い人達であり格好いい人達だったのだ。

私達五体満足の人間が簡単にできることでもあの方達の場合は何倍も苦労することがある。
けれどもそんな思いをしながら生きているのだからこれはもの凄いことだと思う。
自分がそういう状態なら頑張れるだろうか?と想像したりもするけど耐えられるかどうか。

だからこそあの方々は凄い人達であり格好いい人達であり輝いて見える。

やはり意志の強さがそう見せるのかもしれない、そう感じる。

そのような方々にどのように接していけばいいか?ということを考えた時、私は思う。

前に思っていた可哀想という考えは間違いだったと。

可哀想と考えるのは相手を自分より弱い物と決めつける行為であり下に見る行為とも言える。

そんな考え方をすることは失礼以外の何物でも無い、彼らは私達と同じ人間であるのだから。

むしろ精神的な強さから考えれば格上とさえ言えるだろう、哀れむのは間違いだと思う。

だから私は思った、彼らが手を貸して欲しいと言ってきた時だけ手を貸せばいいのではないかと。

以前、車椅子で生活している人を選挙の投票所に連れて行くという場面を見た知り合いが言っていた。

「体が不自由な人にあんな無理をさせるなんて酷い」

それを聞いた私はこう語った。

「投票は全国民が所有している権利だ、それをしたいと言っている人にさせてあげないほうが酷いのでは無いか?下手をすれば人権問題になるのではないか?彼らは私達と同じ人なんですよ?」

それを聞いた知り合いは反省して自身の考えが間違っていたと言っていた。

身体障害者でも働くこともできる、運動だってできる。

中には健康体の人よりも上の能力を持つ人もいる。

自分達もやればできるのだと結果で証明してきた彼らのことを私は心の底から尊敬している。

だから思う、義手、義足、車椅子などを使用して生きている人達は凄い人で格好いいのだと。

そしてそんな人達でも色々できているんだから負けていられないなと。


生きているのが不思議なくらいボロボロの体で生きている老人、首の所にたちの悪い病巣が存在していた壮年の男性、車椅子で生活していた壮年の男性。

どの人も私の知り合いであり悲惨そのものの状態のはずなのに力強く生きていた、みな亡くなられてから随分立つがその笑顔が忘れられない。

あの強さ、あれさえあれば大抵のことはなんとかなる、そんな気がする。

そしてそういう強さを持っている人は大抵前を向いて生きている、例え人生の終わりが目の前に迫っていたとしても。
それと自分のことだけで無く他の人の事も考えることができる人ということも多い。

前に歩き続けようと足を踏み出し続けたり周りにいる人に手を差し伸べしたりと挑戦をしていく。

そういうことをできるところ、やろうと思える心が格好良くて尊敬できるんだと思う。

けれども凄い凄いと言っているだけではダメなんだと思うわけで、忘れてはいけないことがある。

どこまでいっても彼らは身体障害者でありハンデのある状態なのだ。

それとは違って私達は何もハンデが無いのだから負けるはずが無い、だから負けてなんかいられない。

負けないくらい格好いい生き方をしていきたい、そう思い今日もできることをやっている。

あの人達から学んだ1番重要なことは「文句や愚痴を言っていても幸せにはなれない、なりたければ行動をする」ということ。

これだけは否定のしようが無いので良かったら実践して欲しい。

以上







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