syudouさん新曲『命綱』感想&考察(前半)

この度、syudouさんの新曲『命綱』が配信され、結構話が煮詰まりそうだったので、noteとして残そうと思いました。

感想


今回の曲は私は彼是200回以上聞いてしまうくらい魅力的なものだと思いました。特に、どことなく私達”オタク”に共感していまう歌詞の内容だったり、相変わらず何故解像度が高いのわからないsyudouワールドの女心が鮮明に表現されていたような気がします。
また裏声がね、増えましたよね?ね!!
凄い綺麗かつ繊細な声で、耳が惚れ惚れしております。好きね、あんな感じの声。ここ最近この曲意外の歌聞いてないかもしれない…。
それくらい凄い好みでした。たまに、こう、儚げに歌う声色には私の心が興奮してましたね。

考察

では、本題の考察です。
まず注目すべき場所は2ヵ所!
1、命綱ちゃんの目線!
2、青い手袋の謎!

ではやっていきましょう。

嗚呼ただ流れてくその星に似た
アナタにはまだ遠く
嗚呼こんな手紙を何度綴れば
アナタまで届くのか

syudou『命綱』より

前提として、『アナタ』と命綱ちゃんの関係ですが、恐らくホストと客という関係性で間違いないでしょう。
『アナタ』というのは命綱ちゃんにとって流れ星のような存在
つまり「一瞬しか巡り合えない遠い儚い人」というわけです。
まずここの歌詞、MVでは2種類の目が見られます。
とろけるような目、そして右に逸らした目ですね。(以降トロ目と右目)
このトロ目は恐らく『ファンとしての自分』、右目は『嘘をつく自分』として表現されていると思われます。根拠として、トロ目は盲目的な印象を受け、右目については、人はよく嘘をつくときに右に目を逸らすそうなので、こうかなと思いました。また、目を合わせるのは自分を見て欲しいという気持ちの表れでもあるようです。
つまりファンとして
「『アナタ』は遠い存在なのよね。
そんな『アナタ』に手紙を書いてるの。(思いを綴ってるの)」
と言った後、
「この思いが届くかな…って思うの(ホントは届かないって知ってるけど)」
と、現実から目を逸らしているんですね。

愛し忌み嫌われまた騙されて
貢ぎまた繰り返す
何にも残らないかも分からない
確かに歳をとる

命綱ちゃんは『アナタ』を愛すのですが、『アナタ』から忌み嫌われて、また『アナタ』に騙され、『アナタ』に貢いでしまう。
恐らくホストの『アナタ』は時折突き放しては甘い言葉で囁き命綱ちゃんを連れ戻し、再び貢がせているのでしょう。そんな悪循環の中、命綱ちゃんはなんの進展もないまま、「もしかしたら…」という可能性に花を咲かせているけど、結局進んでいくのは時間だけで、年を取ってしまっている。
私はホストがどのような場所かは知りませんが、ホストも金を稼ぐために少し乱雑な行動をとっているのかもしれません。そんな行動の餌食となった命綱ちゃんは、知ってても可能性を願って金と齢を積むのです。
こちらはトロ目なので、ファンとしての自分の気持ちなのでしょう。ある意味ここは「私はファンだからこんなことをしても、別に不満はないよ。これが普通なのだから」と割り切っているようにも受け取れます。

でもアナタが望むのなら
金 夢 今 この人生
差し出してしまうの
分かるでしょ?

命綱ちゃんにとって『アナタ』というのはこの人生を差し出せてしまうほどの相手、『アナタ』もそれがわかるでしょ?

しかし、この場面、『でも~人生』までは右目なので「嘘」です。つまりこれは、どゆこと…?命綱ちゃんにとって『アナタ』に全てを捧げること、差し出すことは嘘…。

これを話すときはまず『差し出してしまうの』を解説しましょう。この部分は新出の真正面をジッと見てくる目ですね。(以降ガン見)
このガン見は恐らく命綱ちゃんの『現実の意志』『本当の意志』を表しているものだと、思われます。トロ目もガン見も両方真正面を見ており、前述した通り「自分を見て欲しい」という気持ちの表れです。その中でも、ガン見は少しリアルを混ぜ込んだ気持ちなのだと思われます。トロ目をファンとしての自分の気持ち、『虚像』であるとすると、ガン見は『実像』、つまり本体なのです。

つまり命綱ちゃんの本来の意志として、『アナタ』に「何か」を差し出したいという気持ちはあるのですが、それは決して「『アナタ』が望む、金や人生」ではないということなのだと思われます。
命綱ちゃんは『アナタ』に対して、金銭や夢、人生を貢ことを目的とした関係になるということに不満があるのでしょうね。
そんで最後の『わかるでしょ?』。ここはカット的に、目が見えません。この先もう一度そのようなカットが見られるます。演出上の都合もあるのかもしれませんが、敢えてここは「私達(視聴者)への問いかけ」なのかなと思いました。
「アタシって『アナタ』のために尽くすけど、ホントはこんなことしたくないのよね。金を貢ぐよりも、もっと違うものを貢ぎたいの。差し出すものはもっと違うものが良いのよね。ま、全部差し出しちゃうんだけど。ねぇ、貴方たち(視聴者)もわかるでしょ?」
と、無意識?に私達に同意を求めているのかもしれません。この曲全体をモノローグとして見れば納得がいくでしょう。そしてその同意はもしかすると、今後の決意に関わってきたり…。
何はともあれ、命綱ちゃんが言っていることはオタクの行動理念に対する一種の疑問にも思えます。推しのために貢ぐ、しかし結局私達”個人”に帰ってくるものは、、少ないですよね?

ま、それを含めて推し活だと割り切ってる人が大半だと思いますが!ガハハ
命綱ちゃんも同じでした。先程の歌詞では割り切っていました。しかし、恐らくホスト通いの命綱ちゃんにはだんだんとそれが不満足なものになっているのでしょう。

女心を擽る様な
アナタの言葉に溶けるのさ
今がどんなに儚く散るのだろうと
この身の全てを賭けるのさ

擽るには「人を笑わせる」という意味もありますが、この場合は「刺激する」「そわそわさせる」というニュアンスでしょう。
命綱ちゃんの女心を刺激するような『アナタ』の言葉に溶ける…。ここでの溶けるは恐らく、頭が溶けると同じで「バカになってしまう」という意味が強めな気がします。水に入れた食塩が消えて水の一部になるように、命綱ちゃんの心は『アナタ』という存在に浸かってしまっている、そんな状態です。そして、ほんの少ししか会えない『アナタ』との「今」というのは儚いものだけど、その短い間でも自分の全てを『アナタ』に注ぎこみ、アタシが信じる”あわよくば”の可能性に「賭ける」のです。
また『女心~今が』まではトロ目、それ以降はガン見です。
ファンとして『アナタ』と会って、その言葉に毒されている「今」が終わると同時に、現実の『アタシ』がその儚く散った時間を思い起こし、それでもこの身を『アタシ』は賭けているのです。

ねぇ今だけ忘れさせて
生きる苦しみを
神や悪魔も上回る様な
アナタにもたれて生きるのさ
アナタの言葉に溶けるのさ

命綱ちゃんが感じてきた『生きる苦しみ』を『アナタ』の言葉で忘れさせて。神や悪魔、つまり本来人間が祈り、望みを叶えてくれる存在なんかよりもずっと大切な『アナタ』にもたれて、縋って生きているの。『アナタ』の言葉でバカになるの。
ただ、ここはトロ目・右目・ガン見の3バーストなので丁寧に見ていきます。
まず『ねぇ今だけ忘れさせて』ここは右目なので「嘘」ですね。ここの解釈としては「今だけ」に焦点を置き、「今だけは忘れさせて(本当は”永遠”がいいんだけどね)」という意味でしょう。
次に『生きる苦しみを』ここはガン見です。つまりこの生きる苦しみというのは命綱ちゃんが「現実世界で感じてきた辛さ」というものなのでしょう。
『神や悪魔も上回る様な』はトロ目で、ここではファン視点ですね。結局あくまで『アナタ』という存在は、命綱ちゃんが「ファン(客)」という立場でないと機能しない存在なのでしょうね。少し皮肉を込めているのかもしれません。
ただ結局命綱ちゃんは『アナタ』にもたれて生きていくのです。ここは先程皮肉を込めた上で、更に『アナタ』という存在を大きなものへと強調しています。
「『アナタの言葉』は『アタシ』が「客」のときでないと投げかけてくれないけど、「客」だけではない「本当の『アタシ』」というのも、だんだんと執着し始めているのよ」
という感じですかね。
この辺りでどうやらだんだんと命綱ちゃんが「客」としてだけでなく「自分自身」としても、とても執着心があるんだよということを露わにしていますね。

いつだっけアナタに堕ちてしまって浸かった瞬間は
いつだっけそれすら思い出せなくなってしまった瞬間は

前半の『いつだっけ』と後半の『いつだっけ』は意味が違うようです。
まず前半は全てトロ目なので「ファン」としての気持ちですね。では、この子が『アナタ』に堕ちたのはどうしてなのでしょう?

ズバリ、顔の傷だと思われます。

前述の通り、命綱ちゃんは現実世界に何かしらの苦しみを感じています。これは恐らく、この子の顔の傷が原因と思われます。顔の傷がどうしてついてしまったのかはわかりませんが、曲自体の時系列的に考えると命綱ちゃんが『アナタ』に堕ちる以前にもついていそうです。その傷に対して、コンプレックスを感じていた命綱ちゃんでしたが、きっと『アナタ』がそれを短所じゃないとでも言ってくれたのでしょう。ホストとしての商売をした結果、命綱ちゃんはまんまと彼の虜になったわけですね。
そして次の『いつだっけ』、これは右目なので完全に嘘ついてます。覚えてます、この子全然覚えてますよ。この前半の『いつだっけ』は「『浸かった瞬間』の時期」ことを指していて、後半は「『浸かった瞬間』の様子」を指しているように、『それ』という指示語から捉えることができます。
つまりこの子、しかも後半はガン見なので「現実の自分」は出会った瞬間のシーンでさえ覚えていない!と嘘つこうとしてるんです。じゃあ、どして??
それが次の歌詞に繋がります。

仕方がなくなってた
生き方が無くなってた
その姿は鍋とマネー持つ鴨同然
デッドorランデブーな感じ

「現実の自分」は言ってるんです『仕方がなくなってた』って。
それでまた「嘘」をついてしまうんです『生き方が無くなってた』って。
ここの曲って音楽的にもテンポ早くなってますよね、なんだか命綱ちゃん自身に「焦り」とか「不安」とか、そんなマイナス感情が見え隠れしているように見えます。
そして『その姿は鍋とマネー持つ鴨同然』ってまた「嘘」つくんですよね。それで結局「現実の自分」は『デッドorランデブーな感じ』になっちゃったんです。

これ、どういうことかというとですね…。
恐らくですが「今」という現状に対して「現実の自分」が自分自身も堕ちかけてるぞ、って気づいたんです。それに対して「現実の自分」が言い訳を言い始めてるように思えます。『アナタ』という人の存在は大きかった、だから『アタシ』が堕ちかけたのも『仕方がなくなってた』んですよ。
ただそれは『生き方が無くなってた』、つまり神にも悪魔にも縋れないから『アナタ』を頼っていた、というわけでもなく「生き方は無数にあったんだけど、結局『アタシ』はこの道を選んじゃったのよね。」と言いたいのかもしれません。
そして「その姿」というのは「鍋とマネーもつ鴨同然」なのですが、ここで私は躓きました。ここの「嘘」の解釈が2種類生まれたのです。
1、「鍋」も「マネー」も持っていない
2、『アタシ』は「鴨」なんかじゃない
※ここで補足ですが「鍋」は隠語で「女の陰部」という意味がある

これどっちなんでしょうか…。1だった場合、金を作るために凄いことしてるなぁ、って思ったりも出来るんですが、まだ命綱ちゃんのプライド的に「『アタシ』は鴨なんかじゃないの、ホンキなの!」って言っている方が適切な気もしますね。
まぁ、どのみち現状というのは『デッドorランデブー』、つまり死ぬか愛し合うか…。
ただ、気になるのがここの『ランデブー』なんです。いや、死ぬというのも違和感あるんですけど、これ「現実の自分」が言ってるんですよね。「ファン」の命綱ちゃんが『ランデブー』だとするなら、お店での出会いになるんですけど……これ現実の命綱ちゃんが言っちゃってるんで、もしかすると「密会」というニュアンスが強くなるかもしれません。つまり、二人は、もしかするとお店以外でも「会う」関係になってしまった。だから「鍋」も関係してくるの、かな、と。あくまで想像ですが。


今回はここまでにしようと思います。
理由としてはここから先がまだ煮詰まっていないからです。
もし「嫌、そこの解釈は~」と思った方は是非教えていただけると幸いです。今後の考察の参考にしようと思います。

以上でした。後半も楽しみにしていてください。

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