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エピソード(16):あまりに不思議な呼吸法-足の裏から息を吸い上げる:「そんな馬鹿な事をいうから西野流呼吸法はやらない」―実は驚くべき効果がある

以上、こころをからだに繋ぐ呼吸法Bodyworkとして「足芯呼吸」という、呼吸イメージで全身Awarenessを行う行法を説明してきた。
 
タイトルの「」の中は、よく耳にする意見である。
私の娘が研修医時代、東北大学を卒業した研修医(恐らく学生時代参加してくれたのだろう)にいわれたという。
「貫和さんのお父さんは、本当にあんなものを信じているの?」
この意識の壁は本当に厚く、高い壁である。
(しかし呼吸法に参加した学生の中には、自分の身体の反応に驚いて、気功の実際を知ったという人もいる、念のため)
 
 
自分の身体を感じる一万年ほど過去の環境に戻ったり、あるいはアマゾンやアフリカの原野に裸足で出かけない限り、こうした感覚は現代人には取り戻せないのでないか?
「超現代的身体」とは地球で進化した「生身の身体」である。
 
実際に西野流呼吸法を習うと、以上説明した足芯呼吸が延々と30分間は続く。
忍耐心のない人、お気軽健康法オタクは、この段階で脱落する。
我慢して一週一度の稽古を1ヶ月続ければ、身体で分かってくるのだが、それが待てない。
スキーを習い始めてプルーク・ボーゲンより先に進めないタイプとでもいうべきか?
 
「これは何をやっているんだろう」と疑問を持ちながら3週間ほどすると、この足芯呼吸でジットリと汗をかくのに気がつく。手足を振り回す運動でないのに、体は気持ちよく温かくなる。
 
これは「信じる」という問題ではなく「実践するか、しないか」という問題なのだ。
実際自分の身体を足の裏から頭の先まで、10数回も意識する訓練は世界中に他にはないだろう。
残念なことにその世界的なユニークさに興味を示す日本人は少ない。
 
ただ、この領域の学問、「自分の身体を意識するとは何の反応を引き出しているのか」という生理学的研究手段が現状ではない。
(参考文献:「呼吸臨床」連載、第8回②:https://kokyurinsho.com/focus/e00077-2/
理屈で説明できるごく一部の学問をよりどころとする人々には、理解が得られない。
 
こうした意味で、この不思議な呼吸法は、医師や看護師などの、本来は患者に応用せねばならない職種に広がらない。この呼吸法の最大抵抗勢力が医療職である。
 
しかし、私は思いもかけない足芯イメージを、リハビリテーションの本の中に見つけた。
イタリアを起源とする「認知運動療法」の解説の中にある。
このリハビリを受けているイタリア人患者の詩、「自分の中に分け入る」を再掲載する:
「目を閉じて
自分の体の中に分け入って行く
身体の中をたどり、あちこちに入ってみる
身体を観察し、その声を聴いてみる
足の裏…踵…ふくらはぎ…膝…腿…腰…」
(脳のなかの身体-認知運動療法の挑戦、宮本省三著、講談社現代新書1292、2008)
 
私は読んで驚愕した。
時空を隔てて、全く別の場面から、同じ方向への努力をやっている人たちがいる。
これは足芯呼吸そのものだと。
抵抗勢力の人たちは、患者の真剣な努力の意味がわからないのだろうか?
患者が自分の感覚を取り戻そうとする工夫が理解できないのだろうか?
 
ところが最近、勤務している介護施設で、思いもしない現象が起こった。
介護施設生活のストレス対策にBody awarenessと座禅を組み合わせた10分間のMindfulnessを入所者に最近2カ月指導した。
実はこの方法、先に紹介した平野老師の足芯呼吸で坐禅という内容を、10年ほど前、容易にMindfulnessへの応用が可能なように、自分なりに考え、実践している方法である(タイトルの図参照:坐禅を組みながら、足芯呼吸イメージで緑の丸で示す身体の部分を感じる。丹田での両手の印での空気の出入もイメージする。介護施設では同じ要領でイス坐位で実践。平野老師:URL、https://note.com/deepbody_nukiwat/n/n72e36ef02c4a)。
 
今月に入り,右脳出血による20年来の左上下肢不随の参加男性が,ニコニコしながら手指、足指に感覚が戻った、温かくなったという。まったくの驚きである。
 
これは稿を改めて記載したい。
思い浮かぶのはBody awareness、身体の各部を思うことの信じがたい効果である。
図らずもイタリアでのリハビリ記述が、実際に自分の施設で再現された。
皆さんはどうお考えになるか?

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