見出し画像

プロローグ

●なぜこれが呼吸法なんですか?
職業として肺の病気を扱う、呼吸器内科。
それを専攻する以前から、呼吸運動には縁があった。
浪人時代と東京大学教養学部時代、坐禅に関心を持った。東京大学がストライキであった昭和43年には、ほぼ1年間を三島市の沢地にある龍澤僧堂で居士として過ごした。
(呼吸臨床での連載リンク、https://kokyurinsho.com/focus/e00023/
 
そうした呼吸への関心が持続する中、米国NIH留学中に西野皓三氏がバレエから合気道、そして呼吸法を開発したとの記事には、何となく心惹かれるものがあった。
帰国して、順天堂大学呼吸器内科での勤務の日常復帰が、ようやく落ち着いた平成元年初め、渋谷で西野流呼吸法を習い始めた。
 
坐禅の経験があった私自身は、足の底からイメージを身体の中心を巡って頭方向へ移動させる足芯呼吸は、不思議な稽古ではあったが、抵抗はなかった。
しかし、稽古の後半の「対気」という稽古は、なぜこれが呼吸法として組み込まれたのか、全く理解できなかった。
 
2か月ほどすると、「対気」の稽古で、指導員より送られる未知のシグナルに、身体の中を突き抜ける強い衝撃を感じ、身体が反応するようになった。
このあまりにも明白に感じられる現象は何なのか?
この疑問が30年間持続している。
 
 
しかし1993年秋、東北大学で、医師や一般の仙台市民が参加する呼吸法稽古を始めると(実際には、教科書に書いていない現象に参加する医師は、少ないが)、そもそも「足芯呼吸」そのものが一般には理解されないことがわかった。
「なぜ足の底から息を吸い上げることが呼吸法なんですか?」
 
一般には深呼吸や腹式呼吸が呼吸法だ、と思われている。
酸素を体内に取り込むために深呼吸する、と信じられている。
しかし呼吸器が専門の立場からは、通常の健康な肺であるならば、深呼吸は酸素取り込み(実際には、赤血球中のヘモグロビンの酸素濃度)には、ほとんど関係ない。
 
考えてみると、足芯呼吸とは何を訓練しているのだろうか?
それがなぜ、斬新な身体感覚と身体反応に繋がるのか?
 
 
 
●「対気」という説明不能な現象
とにかく自分の身体で経験しないことには知覚できない身体深奥の感覚が存在する。筋肉を使って相手を押す、相手に押されることは子供の時から経験してきた。
それとは全く別経路で相手からの強力なエネルギーが体の中を突き抜ける。
 
現代生理学では、個体の中の動きは、神経・筋肉活動として説明可能である。
その筋肉による力で、身体の外にある岩を動かすことも、説明可能である。
しかし手の甲を接触することによって、相手の全身(文字通り手足の先まで)をコントロールするような機構は、現時点で説明不能である。
 
この点が、ほとんどの医師(身体現象の専門家)が、この現象を経験したくない(あるいは距離をおく?)と避ける理由である。
現象が「既知の教科書の範疇にない」からである。
類似の現象は、東洋系の健康法で記載されているものがある。
一部は武道とも重なるものである。
しかし武道は、今述べている現象の応用系であって、現象の本質は武道というより、我々の日常生活の中にある。
 
「不思議な足芯呼吸」は実は「不思議な対気の現象」に繋がっている。
私は長い間この現象を説明できないかと、思考を続けてきた。
しかし現在の身体動作現象研究の方法、技術論は、まだまだ未熟で、とても現象の本質には近づけない。(実はこの一部は2021年説明できるようになった。後述リンク参照)
 
その大きな理由は、受精卵から連続体として分化形成された、四肢身体に関する統合的研究が、ほとんど始められていないからである。
それならば「不思議」をそのまま「不思議」として現象を眺めてみよう。
これが本書執筆の動機であり、思考過程の軌跡である。
 
 
●この呼吸法は世界に誇るべき日本のオリジナルな「メソッド」である
この「心を身体に繋ぐ、不思議な呼吸法Bodywork」は世界にはない日本発の「メソッド」である。
世の中、健康ブームといわれるほど、身体トレーニングの書籍やDVDにあふれている。
 
しかし西野流呼吸法は、西野皓三先生の「人間の発散する魅力(エネルギー)とは?」という問題意識の下、バレエ、合気道と研鑽し到達した、斬新な身体性現象を、一般人にも知らず知らずに身につけられるように組まれた斬新な「メソッド」である。
 
特記すべきは、西野先生の身体能力、指導能力が卓越したものである事は、バレエにおいても、合気道においても西野氏の広範な実績の示すところである。
 
昨今、「日本発」であることが喧伝される中、こんなにも貴重な発見が、現代日本でなされた事実は、もっと注目されてよい。
もちろん課題は、この現象の医学生理学的説明である。
前述したように、現代生理学が方法論的にも未熟で、連続性ある身体理解という点ではとても満足できない状況である。
 
しかし21世紀、急速にIT(information technology)が社会に浸透してゆく。
本来は「バーチャル(仮想)」であるはずの事象が、生活の前面に出て、近未来の世界では、生きた身体性の実感が失われてゆく。
この「不思議な呼吸法」による身体再発見の現代的意義は、21世紀のAI(artificial intelligence)幕開け時代の現代であるから、世界的展開のneedsと可能性も感じさせる。
 
 
●「対気」が目覚ます「なつかしい身体感覚」
体験しないと認識できないのが「対気」現象である。
私自身の身体感覚として、身体の深い部分で、古い時代に進化として組み込まれたプログラムを、思い起こさせる。
体験すると、自分の身体の中の「なつかしい」感覚に気がつく。
(この旧い身体の実体は電子ジャーナル「呼吸臨床」連載の12-3-1)、12-3-2)、12-3-3)を参照、リンク、https://note.com/deepbody_nukiwat/n/ncdad10974499
 
一方でその感覚は、現代生活では想像もできない数万年前、危険を察知し、ある時は身を守るために逃走し、戦い、荒野を生き抜いてきた逞しくて野性的な身体感でもある。
それは筋骨隆々という表向きの形ではなく、身体の芯が反応している感覚というべきか。
私自身はこの感覚に魅せられたことが、30年以上も稽古を続けている原点にある。
 
こうした身体感覚は、歴史的には道具の発明、あるいは都市化で否応なく失われてきた。
最近ではIT、AIやバーチャル化で、今後、その喪失は加速されるであろう。
こうした時代の特質が、逆に学校におけるいじめや引きこもり、あるいは会社におけるうつ病様反応に現れているのではないか。
しかも日本だけの問題でなく、世界的にも同様の問題が報道される。
身体性喪失は広がっている。
 
時代は身体性を求めているというべきである。
 
原理がわからない「不思議な呼吸法」は、原理など後から追いかけてくるものでないか?
実生活への応用の意義の方が大きいのでないだろうか。
 
例えば現代免疫学が成立する200年前に、ジェンナーが種痘(vaccine)を実施して、天然痘予防を実用化したことを思い出させる。
免疫細胞の種類、抗原記憶、病原体攻撃などの事実は20世紀末に明らかになった。
このようにその現象解析の詳細はまだまだわからなくても、この「心を身体に繋ぐ呼吸法Bodywork」は、21世紀の現代、近未来生活に大きな意味を持つものと思われる。
 
以下、本noteにおいては:
一方で医師として、現代医学の呼吸器病である肺癌や肺線維症を追求してきた著者が、
他方で「呼吸運動とは何か?」という、若い頃からの問題意識の追求の中で遭遇した西野流呼吸法の「不思議」を、
多数のエピソードを交え、多方面から考える。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?