釣り人語源考 スズキ
「スズキ」は出世魚として一般に知られている。
かわいい幼魚サイズは「せいご」
少し大きくなった元気な少年は「ふっこ」
かなり大きくなって釣るのに苦労する青年が「はね」
そして普段全く釣れないが万一掛かるととんでもなく引いて、大暴れしてバラシてしまって涙にくれるゴッドサイズが「すずき」だ。
ルアー界隈では「シーバス」と呼んでいる。
我々ルアーマンにとってシーバスという魚は特別だ。
この魚は離島や沖堤防への渡船や、乗合船とかボートでのオフショアゲームといった「離れた場所」でなければ釣れない魚…というわけではない。
むしろ大都会…東京や大阪などの港湾や運河、埋め立て地の水路、工場地帯の岸壁、大河川の河口や都市の橋脚。
身近なエリアでも生息し、海から川のかなり上流まで回遊遡上するのでフィールドはどこでも広がっている。
…しかし…
他者より1㎝でも大きいサイズを釣りたい、アイツより1匹でも多く釣りたい、周りが釣れない時オレだけ釣りたい。
こんな欲望に取りつかれると、途端に難しくなる。
「この高いルアーは釣れるのか」「この橋脚の明暗はどうなんだ」「季節のベイトは入っているのか」「先行者が叩いてないか」と苦労と心配と迷いで、いくら釣っても心を満足できるような釣果はほとんど無くなっていく。
だが安っぽい欲望はやがて釣り人を突き動かす原動力と変わっていく。
苦労を重ねるうち心配と迷いは信念と変わり、努力の末にある時とんでもない大型シーバスが現れるのだ。
我々が「ランカー」と呼ぶその魚は、単にサイズが「記録級」の意味ではない。サイズにこだわった末の、それまでの苦労と努力と信念が報われた、サイズは関係ない「記憶級」ということなのだ。
さてスズキの名前を調査してみよう。
『古事記』の「国譲り」で、櫛八玉神が祝いの食事を作る時に
「この魚は~♪ 海人が長ーい縄を~♪
投げ入れて~釣り上げた~♪
大きな口と翼みたいな尾びれの鱸なの~♪
サワサワと引き寄せて♪
トヲヲトヲヲって竹竿がきしんだの~♪
もうすごいでしょ!♫」
と歌った(本当にこんな風に書かれてるからな)という記述に、「口大之尾翼鱸(須受岐)」と万葉仮名で訓がふってある。
『出雲風土記』では各地の海産物の中に「須受枳」と記述があり、『万葉集』には、柿本人麻呂の歌に「荒楮□藤江之浦爾鈴寸鉤白水郎跡香将見旅去吾乎」とある。
「あらたえの 藤江の浦にスズキ釣る 海人とか見らむ 旅行く吾を」
古代から「すずき」と呼ばれていた事が分かる。
一般的に広まっているスズキの語源は、貝原益軒が唱えたとされる「すすきたる」で、「身が”すすぎ洗い”したように白く美しい」という意味だとされる。(『日本釈名』(元禄12年 1699年)の鱸の条)
『東雅』(享保4年 1719年 新井白石)に、スズキは古語で小さいという意味、スズキの名は「口が大きいわりに尾が小さい魚」と見たことに由来すると記述がある。古事記の「口大尾翼」を参照しているようだ。
『重修本草網目啓蒙』(版木修復天保15年 1844年 小野蘭山講義書)に、「スズキは錫を好み、錫を使って釣るとよい」とし、スズキの名もこれに由来する。
『大言海』(昭和7年~ 1932年~大槻文彦)に「進くの活用の進きの義か」とある。
『日本古語大辞典』(昭和12年 1937年 松岡静雄)に「清饌からの転音だろう」とある。「スズ=清清(スス)」と魚を表す接尾語「キ」との合成語。「魚形の美しさと美味な魚の意」という事だろう。
では諸説を検討してみよう。
「身がすすいだ様な白身」と言っても、きれいな白身の魚はたくさん存在するので「これがスズキの最大の特徴です」とはいいがたい。
『東雅』ではスズメの語源を(すず = 小さな)としているので、古事記の「口大之尾翼鱸」を「口の大きさの割に尾びれが小さいから」と解釈している。
しかし実際に釣りをしスズキを釣った読者様なら良く分かっているが、ランカースズキの尾びれとかバケモンほどデカい。奴の口がデカすぎるだけだ。
『本草綱目啓蒙』は、小野蘭山が『本草綱目』を講義した時のメモ帳を、孫が編集して出版したものだ。火事に遭って原本が消失した後、修復し増筆したのが『重修』だ。
驚くべきことに蘭山先生は「金属のスズ(錫)」でスズキがよく釣れると言っている!さすがですな…江戸時代にメタルジグでスズキを釣ってたってことだ。スゲエ!
しかし「錫」は仏教の僧が持つツエである「錫杖」の輪がよく鳴るために採用された金属で、スズキが命名された古代日本よりもかなり時代が過ぎた仏教伝来後に錫の冶金が広まったはずで時期が合わない。
『大言海』の「進む魚だから」というのは一理ある。
釣れればかなり引くのは事実だ。しかしルアーマンからすると「暴れてエラ洗いする」けど、スタミナはそんなにない感じ。エイの方がどうにもならんよな。
『日本古語大辞典』の「清清き」というのは、大根の異名である「清白」と同様だという考察だろう。
確かに銀色に輝く魚体は美しい。
しかしセイゴやフッコと、敢えて名前まで変えてまで「綺麗な魚」と命名するだろうか。
何か決定的に、セイゴ・フッコ・ハネ、そしてスズキに、明らかな違いがなければ出世魚とは成り得ないのである。
それではいつものように「似た名前も似た語源だろう」と安易な作戦にそって、スズキに似ている名前を調べよう。
日本人に多く見られる氏名である「鈴木」さんと、これまた日本で多く見られ親しまれている鳥の「スズメ」である。
鈴木氏は全国に広がる代表的な名字である。
その宗家の出自は、紀伊国の熊野神社で神職を代々務める「穂積氏」から分家したと伝えられている。
鈴木氏も紀伊国の藤白神社の神職を務め、鈴木姓の発祥の地とされる「鈴木屋敷」がある。
「穂積」とは稲を収穫した後、米の水分を抜いて保存できるよう乾燥させるため、稲穂を家形に高く積み上げた方法の事だ。
それに対し湿気の多い地方でも乾くよう、地面に置かず木を組んだ「稲架」にかけて乾燥する方法が発展した。
これを「鈴懸」や「鈴木」と呼んだ。これが鈴木氏の由来である。稲穂に実る様子を「鈴」に喩えているのだ。
「鈴木」はさらに祭礼の際に祀られる稲穂や、神社の「本坪鈴」、巫女が神楽舞を舞うときに手に持つ「巫女鈴」などの由来ともいわれる。
スズメの語源は『東雅』では「スス(小さな)メ(鳥)」とされる。
しかし稲穂を収穫したり、稲架に稲穂を掛けると、スズメがたくさん飛んできてどんどん食べてしまうのが一番の特徴だろう。
スズメの語源は「稲穂(すず)のメ(鳥)」で間違いない。
稲作をしていた頃の古代日本人にとって、「稲が無事に実って、風に揺れてサラサラ鳴る」ことは命が永らえた喜びの音だっただろう。
稲穂を神にかかげてサラサラと鳴らしたり、稲穂の象徴である鈴を振って神に音を捧げることが、収穫の祭りの原点なのだ。
さて釣り人目線で釣りでのスズキの姿を思い浮かべよう。
だって魚の名前は我々釣り人が付けたのだから。
多分、いや確実に、「どんな風に釣れたか」で名前が決まったのだ。
「勢いよく走る・勢子(セイゴ)」
「振るように走る・振子(フッコ)」
「釣れると跳ねる・跳ね(ハネ)」
間違いなく語源はこうだ。
ではスズキは釣れるとどうなるか。
もちろん「頭を振りつつ大ジャンプの"エラ洗い"」が最大の特徴だ。
「釣るとエラ洗いする魚」これがスズキの由来だろう。
頭を振ってサワサワと鈴の音を出す魚…
そういえば古事記にも万葉集にも、すでに答えが書いてあった。
櫛八玉神と柿本人麻呂は「サワサワ」「鈴寸」と歌っている
もうこれ以上ない命名だろう。
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