ケアマネの吉田さん

福祉事業所でホームページを作成したので、それに紐づけるブログとして個人的にあれこれ綴り…

ケアマネの吉田さん

福祉事業所でホームページを作成したので、それに紐づけるブログとして個人的にあれこれ綴ります。もともと社会的な問題に興味を持っていますが、生きる上では、さまざまな事象を問題視しないようにしています。安心につながる文章を書きたいです。http://www.dear1.net/

マガジン

  • この社会のいろいろなこと

    私たちの暮らす社会への思いを何だかんだ書いています

  • ちょっとかわった励ましかた

    HSEの私がいろいろとやってきて思っている心身のバランスの取り方、自分の整えかた、なんとか気分よく生きていけるようにしている事をごちゃごちゃ書いています

  • 福祉の未来へつづく

    介護や福祉のこと、制度や仕事のこと、高齢者のことなど現場のケアマネージャーが発信しています。

最近の記事

おはようございます。ジブリパークの写真です。

価値判断をするとき、根っこには恐れがあります。 そのため、価値判断している時には、恐れの反映を見ることになります。 反映をみてしまうので、またそれを覆すために、そうじゃないとか、ああだろうとか、辻褄をあわせたくなります。 起こったことを、起きそうなことを、相手を、言葉を、自分の行動や思いを、価値判断しているときには、自分が「恐れで、何も見えていない(というか恐れの反映を見てしまう)」と気づいて、サッサと手放したほうがいい。 パッと 思考を手放すことが、いいと思う。 結

    • 行ってきます

      雨が続いて、びしょ濡れでバイクを走らせたからか、頭痛がする… いつも、後ろめたくなるくらいに自分の体調を優先して休息をとるようにしているが、昨日は鍼治療もしてもらったので、起きて体調不良を実感せずに、お天気に誘われて朝から家事をモリモリしてしまった。 昼から仕事に行こうと駅まで歩いたら、また頭痛の気配がジワジワやってきた。 体調がよくないとき、つい 治さなきゃ 元気にならなきゃ と思いそうになるけれど、これはトラップだ。 もう1段階、自分に甘くするべきだ。 体調が良くない

      • 夜勤and集中と混沌

        夜勤のことを書く。 私の仕事は介護のマネジメントをする役目であって、ケアは行わないはずのケアマネジャーだ。 上記のように、ケアマネの仕事では、身体的な介護や家事などの手出しをしないのではあるが、いかんせん相手は「介護を要する状態の人」である。 たとえば、訪問したら失禁していた、立てなくなっていた、など必要なときには必要な援助をせざるをえない場合もあるのがケアマネの実際だと思う。 27歳のときに他者の介護をする仕事を始めて、32歳でケアマネ試験を受け、半年の研修を経て33歳

        • 感情のできかた

          リュウイチを引き取ったのは、令和4年の10月26日 約1ヶ月担当した、末期がんのおっちゃんの遺猫だ。引き取った当時、11歳のオス猫で皮膚病があり、毛がところどころ剥げていた。  動物病院2軒目にしてよいお医者さんにあたり、服薬2ヶ月、跡もなくキレイな毛並みになった。 ペットショップから飼われてきた野性味が乏しいリュウイチと暮らして、まる1年を越した。 「きみ、悪いけどね、私は留守が多いからね」 引き取ってすぐに旅行へ行ったし、週末には夜勤も行く。無職のおっちゃんと暮らして

        おはようございます。ジブリパークの写真です。

        マガジン

        • この社会のいろいろなこと
          13本
        • ちょっとかわった励ましかた
          21本
        • 福祉の未来へつづく
          7本

        記事

          車内の風景

          朝9時 関西空港行きのJR 東の窓からの陽射しを皆、ブラインドを下ろして避けている。 車内に柔らかな明かりが差すなか、通路に立っている私は、ぐったり眠っているかスマホを見ている乗客を見まわす。 先頭車両で、運転席とのあいだの仕切のドアも窓も目隠しされておらず、運転手さんが見ている進行方向の景色を私も見ることができる。 通路の真ん中で進行方向に向かって立っている私の視界を遮る人はいない。 前方から流れる景色を堪能している。 まっすぐ、ずっと、線路が敷かれている。 つい視界

          コントローラーは繋がってない

          400万年のあいだ、地球上を移動して生きてきた人間は、1万年ほど前「移動」から「定住」へと生き方がかわる。 脳が発達して 道具を持つ事が出来るようになったために農耕が発明され、不安定な移動生活から脱して、ようやく土地に定住化できるようになった というわけではなくて 気候変動のために、いたしかたなく定住するようになった。 それまでの恵まれた豊かな移動生活を、捨てざるをえなかった… という見方のほうが、私はしっくりくる。 生きるのに欠かせない食事だって排泄だって 移動すれば

          コントローラーは繋がってない

          最近の写真

          デイサービスの島崎さんが、notoを楽しみにしてくださっているそうで、写真だけでも載せたらいいのにと言って下さった。 のを、思い出した今日は休日の朝 写真を載せるだけのブログをやってみよう とやってみます。 直近のものから遡る(⁠^⁠^⁠) 眩しくて実際には目で見れなかった太陽。 スマホを通しても眩しかった。 えい!とシャッターを押す 写真の中におさめると、見えた太陽の御姿。 めっちゃ眩しかったのに、こんなふうにゆらゆら映るとは… この木立の陰が、物語のように幻想的だっ

          光と闇

          ある一つの仕事を、10人のチームで成し遂げようと、取り組むとする。 その10人は、それぞれ人生の経験をバックボーンにして、別々の考え方があるから 意見や主張はくいちがうだろう。 いろいろな人の考え方があって 「それは受け入れられない」と対立する。 自分の意見が正しいと思ってしまうから。 みんなで一生懸命に取り組めば、より良くしようとすれば、揉めて当然だ。 けれども 「皆が成功させたいと思っているんだ」 10人の中の1人だけが、そのことを確信していたら。 それぞれが、そ

          優しさの理由

          人助けって、しますか それは、身近なことですか 人助けと呼ばれるものは、自分では意識できないことばかりだ。 生きていたら、人助けをしている。 あなたはいい人ですか そのように、見られますか 私は、いい人じゃない人なんて、居ないと思う。 息を吸って吐いている人は、全ていい人に決まっている。 「お父さんは、人に優しくするのが好きな人だった。ひとに優しくすることの出来る、そういう自分が好きなのよ」 と、聞いて 「んーーそれは違うと思います」と否定した。 「それは…違うんです

          断捨離をバレンタインに寄せて

          断捨離とは、自己イメージの刷新である。 私たちの自己には、根底に「恥」が刷り込まれている。西洋的には「罪」だ。 染み付いている、このようなネガティブな観念を崩していく手法のひとつが、断捨離だと思っている。 そのままの自分で申し分なく、心から自分に満足している人には、断捨離なんて必要のないことだ。 自分には自信があるよと思って、断捨離する必要ないよと思っても、モノと向き合うと、自分の劣等感が炙り出されたりするので 隠れた自分を発見して、断捨離が「面白いな」とハマってし

          断捨離をバレンタインに寄せて

          心をひらく

          人は、大抵 心が病んでいる。 病んでいるのがありありと分かるのが、私が仕事で相手しているお年寄りだ。 私たちのように、若くて動ければ 心が病んでいるのは見えないけれど お年寄りは「実は心が病んでいる」ということが、人生の総決算として最後にありありと現れてくる。 第三者目線で見れば、心の病みようがどうしても見えてしまう。 けれども 私は、もう「どうしようも無いこと」と ずっと 思ってきた。 心は病んでいるものだ。 社会に生きて、病まざるをえない。 それは 見えてい

          成人2022

          今日は駅まで歩くと スーツや和装の新成人が沢山いた。 出勤の通り道にある成人式会場の、周りの広場や空間が、ロープで閉鎖されているのを初めて見た。 なんでや? 新成人がたむろしないように閉鎖していると、立ち入り禁止の下に書いてる。 行政は警戒しているようだ。 それ以上に驚いたのは、立ち入り禁止とはされていない、会場の出入口前に父兄がたむろしていた事だ。 お母さん達が、沢山いた。 1人きりのお母さんや3人グループのお母さんや、色々である。 これは成人式ではないのか? ま

          色に惹かれた

          年末に絵画を買って、年明けに届いた。 絵の具の雰囲気が、自分の思っていたことにピッタリだと思ったので、ネットで見て「買うわ」と即決した。 色が混ざっている。 混ざりながらもカテゴリーがあって、分かれているけど重なり合って1枚であると表現されている。 その作家さんの作品をホームページ検索して、全部見た。 全てどこか、もの悲しく暗いようにも思え、重たい表現に感じた。 自分の心境とは少しズレがあるとも思った。 でも、色の重ね方がいい。 この世界、わかる、そう思った。 ポ

          ピタゴラスイッチ!

          もしも、ジャングルで動物のように育ったとしたら、自分のアイデンティティーってどうなると思いますか? 人間社会でないところで育ったら、はたして私は私だったのかな? 親兄弟、街、学校、他人、テレビ そういうものから無数の「私」が作り出される。 怖がり、優しさ、拗ね、怒りんぼう、冷徹漢、目立ちたがり、真面目、楽天家、お調子者 どれも、私の一部として作られていく。 本当の私って?それらの一面と、その一つ一つの反面と、あわせて何十個もの特徴をぜーんぶひっくるめて私なんだけれど

          ピタゴラスイッチ!

          回帰

          いま、この切っ先の、いまここで、今この瞬間は当たり前に、ものすごく、クリエイティブだ。 創造性とは、それぞれの「今」のことだ。 いまって今しかない。 常に新しい未知が「今」創造されている。 「今」それ以外は もう存在しない過去か、未来になる。 いま文字をスマホで打っている、この今以外は実在していない。 その今が過ぎ去ったとたん 私たちは解った気になる。知っている気になる。判断する。過去を当てはめて既知のものにする。 頭の中では時が止まったように過去と未来が混在してい

          永遠に途中

          死んで地獄に行くかも知れないと思っているお年寄りは、びっくりするほどおられる。 それはファンタジーだ。 理解を促そうとする「方便」でしかない。 「人生のなかで苦しむこと」を「地獄」と表現して、それらを使って説いているに過ぎない。 何を説いているのかというと みんな勘違いしてるんよ という説明である。 恨み、妬み、怒り、悔しさ、悲しみ そういう自分の気持ちで まるで火にあぶられるように辛い。 不安や苦しみが 針山のようにこの身を痛める。 頭いたい、お腹いたい、胸がつ