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小説「ある朝の目覚め」第三章

大勢の女の小人たちが森を切り開いている。小人たちは数人のグループになって大きな木を切り倒そうとしている。斧が木の幹に当たる音がする度に、わたしの下腹部に鋭い痛みが伝わってくる。だんだんと幹に深い傷ができ、木が倒れようとしてミシミシという音を立てて傾いていく。わたしの下腹部から何かが剥がれていくような鋭い痛みが連続して伝わる。木が倒れ込んでひときわ強い痛みを感じたところでわたしは目が覚めた。

日曜の朝。生理二日目。わたしは目覚まし時計を確認することを忘れた。下腹部の痛みに耐えながら身体を起こす。頭もぼんやりする。気だるさを感じる。毎月のことではあるけれども、生理の一番重い日は気が重い。今日が休日で良かった。わたしは何とか起き上がり、いつもよりもゆっくりと朝の準備をする。

昨夜のうちに寝室の椅子の上に置いておいた服を順番に身に着ける。柔らかい素材の長袖シャツを重ね着し、グレーのニットを着る。下腹部を圧迫しないコットンのワイドパンツを履く。万が一経血が漏れた時のことを考えて色はブラウンにした。生理中は足がむくむことが多い。休日ということもあり、ゆったりした服装で過ごす。昨日と同じフードのついたパーカーを羽織る。わたしは、毎朝の習慣を済ませる。

日曜は買い物と炊事をする日だ。戦闘服を着る必要はない。わたしは、薄く化粧をしただけで済ました。生理特有の気だるさを振り払いたくて、休日ではあるが柑橘系の香りを着た。爽やかな香りを鼻孔に感じて少し気持ちが晴れる。


わたしは、週末のご褒美であるコーヒーをゆっくりと淹れる。コーヒー豆の香りの変化は、生理の痛みでささくれだった心を落ち着かせてくれる。淹れ終わるとピッチャーとグラスマグを持ってダイニングテーブルの椅子に座る。コーヒーの香りを味わいながら丁寧に息を吹きかけてぬるめにしてゆっくりと飲む。半分くらい飲んだところで一息つく。ノートと万年筆を手に取り、ここまでのことをメモに残す。わたしは、夢の記録に注目した。今朝の夢にも小人が出てきた。これで三日間連続して女の小人の出てくる続き物の夢を見ている。生理の痛みと連動しているようだが、生理の終わりまで続くのだろうか。

わたしの日曜は炊事の日だ。スーパーに買い物に行った後に一週間の夕飯を作り置きする。近所のスーパーの特売の情報をスマホで見ながら、ノートに何を作ろうかメモを書き出していく。わたしはじゃがいもと牛肉の特売を見て、肉じゃがを作ろうとメモした。そこでわたしの頭の中に何かが引っかかった。肉じゃが。裕司さん。そうだ。あの人はわたしの作った肉じゃがをとても喜んでくれた。わたしの肉じゃがは、母のよし子から教わった隠し味に味噌を加えたものだ。その濃い風味をあの人は実家の母の味と似ていると言って喜んで食べてくれたのだった。そうだ。裕司さんと付き合っていた時は、よく一緒にスーパーに買い物に行き、ランチを作り、二人で食事をともにしたものだった。

しかし、わたしはだんだんと、重たい気持ちを感じる。裕司さんに料理を振る舞うことが、いつしか負担になっていった記憶を思い出したからだろう。そのことをノートにメモして、肉じゃがのメモには横線を引いて取り消した。決めた。今日は炊事は後回しにしよう。幸い、毎朝飲んでいる完全栄養食品のパウダーのストックは沢山ある。今週は夜もそのパウダーで済ませても良いし、外で軽く食べて帰ってもよいだろう。そして、炊事をする代わりに、裕司さんとのことを一通り思い出して整理しよう。わたしは裕司さんとのことを心の奥底にしまったままにしていた。そして半年も経ってしまった。おそらくそれはわたしの心の防御作用によるものだろう。しかしいつまでもしまっておくものでも無い。昨日の回想とさっきの回想は心に辛いものでは無かった。いま思い出して整理することが適切なタイミングのように、わたしには感じられた。

わたしはそう思い立つと、寝室に行き、本棚兼ノート置き場になっている棚から、裕司さんと付き合っていた頃のノートを取り出して、ダイニングテーブルの上に並べた。一昨年の八月から昨年の十月。一年と二ヶ月分のノートは十冊を優に超えていた。わたしは、いまのA六サイズの小さなノートをほぼ毎月新しいものに替えている。考えることの多い月などはもっと消費のペースは早い。わたしは、ノートを古い順にざっくりと眺めながら、気になるところにしるしをつけて、軽く読み進める。


付き合い始めて最初の頃は、お互いに距離感を探りながらも、仲良くやっていたと思う。一昨年の十月の裕司さんの誕生日の贈り物の話。十二月のクリスマスに裕司さんの家で夕飯を作り食事をともにし贈り物を交換したこと。あの時はお互いにマフラーを交換し合ったのだった。相手の好みと自分の好みを探り、相手の色や模様の中に自分の要素を溶け込ませていく行為。この頃になると、だいぶ堅苦しさも消え、一緒にいることが当たり前に感じられるようになっていた。わたしは、このまま裕司さんと結婚するのかも知れない。そんなことも受け入れられる気がし始めていた。

大きな転機は、去年の三月のことだ。裕司さんのお父様の体調が芳しくなく、検査入院するという話を聞いた時のことだ。裕司さんは、東海地方の都市の出身であること。実家は古くからその土地で栄えた家であり、いまでも多くの土地と不動産を持っている名家であること。裕司さんは、長男でありいずれは実家の不動産業を継ぐことを家族から求められていること。裕司さん自身はいまの会社で成功していることもあり、すぐに実家に戻るつもりは無いようだったけれども、家を継いで欲しいという家族の気持ちと、自身の仕事の成果を求める気持ちとの間で葛藤があるようだった。

その出来事を境に、裕司さんは焦りを感じ始めたようだった。四月のわたしの誕生日には、裕司さんはこの天冠にペリカンをあしらった万年筆を贈ってくれた。和やかな時間ではあったけれども、わたしは素直に喜んで受け取ってよいのかどうか、心の中に迷いが生じ始めていた。

わたしは、この誕生日の出来事をノートにこう書いている。「裕司さんは、わたしに別のものを贈りたがっているように感じた。もっとわたしを束縛するものを、わたしを裕司さんのものだと証明するためのものを、端的に言えば、指輪を贈りたかったのではないだろうか。わたしは、もしそれを贈られることになったら、素直に指にはめることができるのだろうか。ここのところ、裕司さんはふさぎ込むことが増えている。幸いお父様の経過は良く、無事に退院できた。しかし、仮に容態が良くなかったら、裕司さんはどうしていたのだろうか。裕司さんは、わたしに一緒に来てくれと望むだろう。わたしはその思いに答えることができるのだろうか」

わたしは、ここまで読んで、しっかりした線を引いてあとで注目できるようにしておく。ピッチャーにはもうコーヒーは残っていない。わたしは、もう一度コーヒーを淹れる準備をして、裕司さんとのことを振り返りながら、コーヒーを淹れる。

わたしは、なぜ裕司さんの思いに応えられなかったのだろうか。もう一つの転機は五月のことだ。わたしはいま住んでいるアパートの契約更新を十一月に控えていた。迷いながらも裕司さんに伝えると、裕司さんは、わたしのいま住んでいるアパートを引き払って裕司さんのマンションに一緒に住もうと言ってくれた。普通の女性なら、同棲しようという言葉に喜びを感じるのだろう。しかし、その時のわたしには何かしらの重圧だけが感じられた。わたしは言葉を濁して、少し考えさせて欲しいと裕司さんに伝えたのだった。

裕司さんと結婚するということは、ゆくゆくは名家の嫁になることを意味する。古い慣習の多い、しがらみの多い家に入ることになる。裕司さんはとてもわたしに良くしてくれている。仕事においても、私生活のパートナーとしても、わたしを大切に扱ってくれる。しかし、付き合うということと、結婚するということは、全く別のものにわたしは思えた。

わたしは、その後のノートを読み返す。そして、わたしは自分に呆れた。わたしは、裕司さんとのことに関する悩みや不安をノートに書き出してはいた。しかしその内容は表面的で、深いところまで考えを掘り下げること無く、ただ気持ちを吐き出しただけで終わっていた。同じ時期の仕事に関するメモは、かなり詳しいところまで問いを繰り返し、本質に近い問題点に近づき、それを元に仕事の作業を改善し、同僚や取引先との会話を深めていた。なぜその手法を、裕司さんとの間の悩みに対して適用しなかったのだろうか。


わたしは、軽く目を瞑り、大きく息を吸い、細く長く口から吐き出す。それをしばらく続けて呼吸を整える。

わたしは、食欲を感じた。もう昼時だ。買い物と炊事をやめてしまったので、今日も簡単な料理になる。わたしは保存食を入れた棚を眺めて、ツナの缶詰を取り出した。にんにくと唐辛子はまだ残っている。今日はツナの和風ソースパスタにしよう。それと冷凍庫からミックスベジタブルを取り出す。野菜はミックスベジタブルのガーリックソテーにしよう。

にんにくを剥いて、スライスにする。唐辛子を輪切りに刻む。醤油とみりんでソースの元を作る。鍋で湯を沸かす。フライパンに火を入れて、オリーブオイルを注ぐ。にんにくと唐辛子を入れて香りが立つまで炒める。ツナの缶詰を開けて、汁ごとフライパンに入れる。軽く炒めてから、ソースの元を加える。パスタの茹で汁も加えて、全体に味を馴染ませたら、茹で上がったパスタを和える。パスタを皿に盛ると、フライパンをさっと洗ってまた火にかける。オリーブオイルをフライパンに注ぎ、にんにくを炒める。にんにくが香り出したら、ミックスベジタブルを冷凍のまま入れて炒める。中火で野菜がしんなりとするまで炒めたら、塩とこしょうで味を整える。皿に盛って出来上がりだ。わたしは、ゆっくりと昼食を摂り、コーヒーを淹れて飲んだ。

わたしは朝の夢に出てきた、女の小人たちを思い出した。あの子達はまだ木を切り続けているのだろう。わたしは、下腹部の奥から木が切り倒されて何かが剥がれ落ちる様子を感じ続けている。今日も先に風呂に浸かろう。身体を温めれば生理痛は楽になるはずだ。

湯船に湯を張り、風呂に入る。念入りに頭と身体を洗い、丁寧にケアをしてから、湯に浸かる。わたしは、大きく深呼吸をしながら、湯の温かみが身体に染み込み、お腹の奥まで伝わるのを待つ。スターボックス・カフェのManaという名前のバリスタは、今日もカフェで働いているのだろうか。考えてみると、彼女は平日はほとんど毎日出勤している気がする。わたしは、毎朝スターボックス・カフェに通っており、そのほとんどの日にManaと顔を合わせているのだ。彼女は、あのようなカフェにしては珍しく、平日を担当するシフトなのかも知れない。だとしたら、今頃どのような休日を過ごしているのだろうか。

身体が温まるにつれ、生理痛も収まってきた。女の小人たちの労働時間ももうお終いなのかも知れない。わたしは、風呂から上がり、肌と髪の手入れをしてから、ダイニングテーブルに戻る。テーブルの上には、裕司さんと付き合っていた頃のノートが山積みになっている。わたしはそれを見て、少し気分を変えたいと思った。近所にある馴染みのカフェ・レストランに移動してそこで続きをしよう。


わたしは、ラフな外出着に着替えて、薄く化粧をし、髪を整えた。万年筆とノートをバックパックに積めて、ちょっとした外出用の荷物を準備する。一昨年のクリスマスに裕司さんからプレゼントされたモスグリーンとポインセチアを思わせる赤色の二色をざっくり編み込んだマフラーを首に巻き、玄関に向かう。全身鏡を覗き込むと服装の影響もあり学生のような幼い印象の女性がわたしを見ていた。戦闘服をまとわない素のわたしは、こんなに無防備に見えるのだ。わたしは「行ってきます」と声をかけて外に出る。

もう三時半を過ぎている。春の日はだいぶ傾いている。西日が目に差し込んで眩しい。わたしは、目に入る光を手で遮りながら、徒歩数分のところにあるカフェ・レストラン「ルナ・クラシカ」に向かう。この店は、駅近くの繁華街ではなく住宅街の中にあり、近所の住人に愛されている隠れ家的な店である。店内は、夕方から夜の雰囲気を感じるモノトーンの色で統一されており、壁面には月の満ち欠けを示す鉛筆画が飾られている。店内音楽はインストゥルメンタルのクラシックやジャズを流しており、心地よい空間を作り出している。わたしは、このルナ・クラシカに寄り、ノートを書きながらコーヒーと軽い食事を楽しむのが好きだ。

天気のよい日曜の午後であり、店内の混雑を懸念していたけれども、幸い窓際のスツールの席を確保できた。わたしは、カフェインレスのブレンドコーヒーを注文し、席に戻る。カフェインレスのコーヒーは、コーヒーマシンにサーブされていない。一杯ずつ淹れてくれる。わたしは、コーヒーが来るのを待ちながら、何気なく店内を見渡した。休日の午後であり、様々な人が思い思いの時間を過ごしていた。近所の主婦たちの集まり、家族の団らん、恋人同士の語らい、学生風のお一人様の女性は本とノートを広げて勉強をしているようだ。客数は多いけれども、天井が高いため音が拡散しそこまで賑やかには感じない。

わたしは正面を向いて座り直し、窓の外を眺める。少し右を向くと店内の柱に満月の鉛筆画が飾られていた。生理周期は月の満ち欠けに左右されると聞く。今夜の月は満月だろうか。そんなことを考えていると、注文したカフェインレスのブレンドコーヒーを店員の方が届けてくれた。わたしは、コーヒーカップを手に取り、香りを楽しみながら息をふきかけて丁寧に冷まして、少しずつコーヒーを飲む。コーヒーを三分の一ほど飲んだところで、バックパックからノートの山と万年筆を取り出す。午前の続きのページを見つけて、読み返していく。

ふと、わたしは、聴き慣れた旋律が耳に届いたことに気づいた。ターン、ターン、ターン。タン、タタタタターン。この旋律は、ベートーヴェンのピアノソナタ第八番「悲愴」の第二楽章だ。わたしの好きな曲。わたしは、小中学校の間ピアノを習わせてもらっていた。ピアノを弾くことはとても楽しくて好きだったけれども、残念なことにわたしの耳はそれほど音楽には向いていなかったようだ。ピアノの先生に、この「悲愴」をやりたいと懇願したものの、あなたにはまだ早いと言われて、結局練習する機会は得られなかった。

そこでわたしはデジャヴを感じる。わたしはこの話を、この場所で誰かにしたことがある。誰だっただろうか。わたしがこのお気に入りの隠れ家に人を誘うことは稀だ。そう考えたら、すぐに記憶が蘇ってきた。裕司さんに話したのだった。暑い日のことだった。そうだ。昨年の七月のことだ。わたしたちは、海の日の休日にこの店にランチを食べに来たのだった。その時も、「悲愴」が流れて、わたしは自身のピアノの経験の話をしたのだった。わたしは、ノートの山から七月のものを探し出し、海の日のページの記述を読み返した。

そうだ。わたしは、あの日初めて、ルナ・クラシカに裕司さんを招待したのだった。わたしが、よくここで一人でコーヒーを飲んだり食事をしたり、ノートを書いてのんびり過ごしていることを伝えると、裕司さんは驚いた様子で「一人で食事をしているの?」と聞いてきた。わたしはよく意味が分からずに当然のことだと思いながら頷くと、「これからはお一人様ではなくて、お二人様だね」と冗談めかして言った。わたしは、この裕司さんの言葉の意味をよく分からないまま、頷いたのだった。そう、この時感じた違和感はかすかだったけれども、わたしにとって重要な意味を持っていた。

店を出る時、わたしはいつもの癖で自分で会計をしようとレジ前に向かった。それを裕司さんが制して「君に払わせる訳にはいかないよ」と笑いながら、わたしの前に立ち会計を済ませたのだった。顔見知りの店員さんは、普段は一人で訪れるわたしに素敵な彼氏が出来たと思ったのか、いつもよりも笑顔でわたしたちを送り出してくれた。

例によって、当時のノートにはこの日の出来事の日記とルナ・クラシカで小さな違和感を覚えたことまでしか触れていない。去年のわたしは一体何をやっていたのだろう。こうやって裕司さんとの関係における違和感を放置したまま、曖昧な態度を取り続けていたのだろうか。

それから時間が経った今なら、去年の海の日に感じた違和感を言葉にすることができる。わたしは、わたしの大切にしているお一人様の時間を、裕司さんが尊重してくれないように感じてショックを受けたのだ。わたしは、裕司さんと付き合っていても、ルナ・クラシカで一人で過ごしたり、一人で映画を観にいったり、雰囲気の良いカフェやレストランで食事を楽しむお一人様の時間を続け、そして楽しんでいた。しかし、裕司さんは違ったようだ。わたしのお一人様の時間を二人で共有する時間に変えることを当たり前だと思っているようだった。

会計の時の様子もそうだ。それまでのデートでも、年齢差や上司と部下という収入格差から裕司さんが二人分の会計をしてくれることがほとんどだった。わたしがそれを気にして、わたしの分を幾らか払おうとしても、裕司さんは受け取ってくれなかった。しかし、あの時はわたしが自分のお気に入りの店を紹介し、裕司さんを招待したのだ。そこでも、わたしの前に立ち、ある意味わたしの「主人」として振る舞う裕司さんに違和感を抱いたのだ。ここはわたしの大切な場所だった。それがわたしの場所ではなく、裕司さんの場所に変わってしまう気がした。裕司さんは、わたしの主人であり、わたしは裕司さんの後ろをついていく存在だと暗に強く意識させられる出来事だった。そして、その主従関係は、裕司さんとともに生きていくなら、ずっと続くのだ。

裕司さんはわたしとの結婚を望んでいた。それはパートナーとしての裕司さんを得ることだけを意味しない。いずれは名家の嫁として、裕司さんの後ろに立って彼を支えることを求められる。わたし個人の時間や自分だけの世界を楽しむ余裕はきっと無くなるのだろう。嫁になるということは、裕司さんだけではなく、お姑さんをはじめとするその他の親族の強いつながりの中に入っていくことだ。それまで抽象的な想像にとどまっていた名家の嫁という、裕司さんのわたしに望む立場が具体的な形をとってわたしに示されたのだ。

わたしは、この気付きをノートに書き込み、少し冷めたコーヒーを飲む。わたしは、この海の日の出来事以来、はっきりと裕司さんに伝えることは出来なかったものの、交際を続けることの困難さを自覚するようになった。そして八月になると裕司さんは本社への異動の内示を受けた。社内の引き継ぎや東京への引っ越しの準備などで裕司さんは慌ただしい日々を過ごすことになった。その合間に何度か裕司さんと話をする機会は得られたけれども、わたしは裕司さんの求める「結婚して、一緒に東京で暮らそう」という言葉に頷くことは出来なかった。裕司さんは、根気強くわたしを説得してくれたけれども、その言葉はわたしに響くことはなかった。結局、はっきりとした別れをしないまま、裕司さんは十月の人事で本社に異動し、わたしたちの関係はそこで終わったのだった。

当時のノートには、「誕生日の贈り物を渡しそびれたな」という言葉を最後に、裕司さんのことには触れていない。去年の十月の裕司さんの誕生日に渡す予定だった贈り物は、いまでも寝室の奥まったところにしまってあるのだった。

わたしは窓の外に目を向ける。もう日は落ちて、窓ガラスにわたしの幼い顔が映り込んでいる。その頼りない姿をみて、わたしはまるで自分のことを彷徨える小鳥のように思った。裕司さんという庇護者の元では満足できずに自由を求めて飛び立った小鳥。しかし、鷲や鷹のように力強く目的地に向かって飛べる訳ではなく、そもそもどこに向かって飛び立ったのかもはっきりしない迷い鳥。わたしの目的地はどこにあるのだろうか。視線を右に向けて、満月の鉛筆画を見つめる。わたしは、暗い空をふらふらと飛び回る小鳥の上に輝く満月を思い浮かべる。どうか柔らかい満月の光に照らされて小鳥は旅を続けられますように。



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