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その船出を祝福したいと思うのです

※ネタバレ注意!です。太宰治著『斜陽』の結末に言及しています。未読のかた、これから読まれる予定のかたはご注意ください※

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「闘争」という言葉が適切なのかわからないけれど。
でも、読みながら、なんてうつくしい闘争物語なのだろうと思ってしまいました。
このうつくしさの根底には、哀しみが横たわっていて、その哀しみはどこまでも透きとおっていて、純粋で、ハッと目の覚めるような思いがするのです。

「文豪」と呼ばれる作家たちの作品は、これまでもあまり読んできませんでしたし、これからもそう多くは読まないかもしれません。

でも、太宰治の(氏と呼ぶにもさんと呼ぶにも違和感があって…敬称略で失礼します)『斜陽』だけは、二十代で読んでこころに引っかかるものを感じ、手元に残していました。
同時期に読んだ『人間失格』と『グッド・バイ』は、当時の私にはピンとこなくて手放してしまったのですが、今なら(むしろ今のほうが)、読めばこころに響くものがあるのかもしれません。

一度読んだきりだった『斜陽』がなんだか気になって、本棚から取り出したのは数日前。

さいしょは、「物語が重石になって、じぶんがどんどん沈んでゆくような気がする」と思いながら読みすすめていたのですが、いつの間にか水底から上昇し、水面へと顔を出しているじぶんに気がつきました。
この小説は重石なんかではなく、わたしを浮き上がらせてくれる、重石とは真逆の、回復の物語だったのです。

時代の変化に抗うことのできなかった直治の繊細さ、それゆえの生きづらさと自暴自棄は、いま現在を生きる私たちにも共感をよぶ部分が多いのではと思います。
直治が持って生まれた優雅さと純粋さと、そうした典雅な資質を有して生まれてしまったがゆえの苦悩については、彼の遺書によって知ることとなったけれど、「僕は、貴族です。」の一文が、私にはつらくて苦しくて、涙が出ました。

一方かず子(直治の姉)は、時代に抗ううつくしき恋の革命家です。

さいしょは頼りなかった彼女に、だんだんと芯がとおってきて、ついに「戦闘、開始」と語りだしたとき、私もこころのなかで「行け、闘え…!」と思いました。

その革命は、幼稚で世間知らずなものなのかもしれない。
でも、そう生きるほかに生きる道を見出だせなかったひとの固めた覚悟を見たとき、果たしてそれを嘲笑うことなどできるでしょうか。

海は、こうしてお座敷に坐っていると、ちょうど私のお乳のさきに水平線がさわるくらいの高さに見えた。

太宰治著『斜陽』新潮文庫 P.28

このような手紙を、もし嘲笑するひとがあったら、そのひとは女の生きて行く努力を嘲笑するひとです。女のいのちを嘲笑するひとです。私は港の息づまるような澱んだ空気に耐え切れなくて、港の外は嵐であっても、帆をあげたいのです。

太宰治著『斜陽』新潮文庫 P.116

こころのなかで帆をひろげ目覚めた船を、新たな時代の海へ、胸の扉を開けて出航させてゆくかず子。

この先決して順風満帆とはいかないであろうその船出だけれど。
それでも私は、かず子のその船出をこころから祝福させてほしいと、そんなふうに思うのです。

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先日食べたじゃじゃ麺。
家でつくるときは紅しょうがを添えないのですが、やっぱりアクセントにあってもいいかも。
夫には、しらすと卵のチャーハンも。

アイラブ東北です(´(ェ)`)

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