労働だ

何で(おれの)人生はうまくいかないのだろう?
ということを出勤時から労働時間2/3位求める。(今日は13時間半働いた)
惹起する肉体と出来事、反復して逃げられそうもない、取り囲まれている同じような出来事に対する同じような自動的反応と、実際に喰い込んで、〜モード(負)になってしまう程の感覚の強度、神経、規範意識、等々。
何かが根本的に間違ってるという悲しさと自分で自分を恥辱に思う少しの気持ち。
まず、出来事に対する反応は今の時点で防ぎようがない。その後の、戦闘態勢に入ったり、内心の切り捨てモードに入ったり、とか、その次の情動が問題なのだ。そしてそれに凝り固まる。(防御態勢をとると)
労働開始まではバガヴァッド・ギーターに助けを求めてみたけど、意味ないのだ。結局自分で応えを肚にまで与えなければ。(マハルシも効きそうな気がしたけど、ダウンロードのパケット?をためらった)

そして、結局2/3過ぎたあとには、キリストが効果の上で真に捕まえてくれることによって、抜け出させてくれた。
「主だ、」の感慨  
俺にとって、彼の効果だけは真性。

それに浸ってる内はいいが、ますます自分とキリストが分裂しているような感じだ。
自分はますます負荷をかける出来事やそれを運んでくる人間に頑なで冷たい反応が自動でじゅわっと出てくる。そういうものに対して人間性サボタージュと良心や矜持のせめぎ合い。
そんな自分にも関係なく連れ去ってくれるキリスト。なんの功績も、善い人間でないとか関係なしに。意味が分からない。

それとも別に、道徳的とか人間性とか絡めない、神的なものを無視した喜び、みたいなことも見ていた。無軌道さ、規範意識の脱去、自由自在、答えとしての生成。/それぞれの諸個人は1人生にせいぜい1つの課題やものごとの取得。前に極めたことは無視してまた立ち上がる(生まれてくる)とか。漸次的進歩とかではなく。(ダカラモットタノシンデイコウヨ的)(若干ゲリー・ボーネル的な見方か)

また一人で歩まねば。



わ〜い!😄