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- おじさんの追憶 vol.4- 1999年夏 ミュンヘン大学 人生初の・・・!



ドイツの名門ルートヴィヒ・マキシミリアン大学(ミュンヘン大学)

1999年7月に日本を出発して、実は東欧とトルコを旅行するんですが、それは別途で、端折りまして。8月、ドイツ・ミュンヘンにあるルートヴィヒ・マキシミリアン大学のサマーコースに参加しました。

そもそも、大学の第二外国語のドイツ語の成績が良いわけではない。なんだけど、どうしても海外に、ミュンヘンに行きたいので、"口実"が必要で。ミュンヘンの大学で夏に体験学校をやってるって話を調べて、で、郵便やらでどうにかこうにか応募。(書類を作るのも苦労したんだと思います)緩いキャンプだったっぽくって、来ていいよということで行くことに。

大学の成績です。A、B、CでAが一番良い「優」です。1つもない。。。

今もサマーコースはやっているとのと、日本語の記事を読むと、すぐに定員が埋まる人気のコースみたいです。

あとにも先にもこの時だけ!

このサマーコースのハイライトは、クラス分けのテストで最下位を取ったことです。それも断トツの。それ自体は簡単だったはずです。ヨーロッパから集まる人達がたぶん大体80-90点、日本人も60-70点くらいじゃないかな。私、正確には覚えてませんけど、20点とか30点とか、もっと悪いか。ブービーの人ともかなり差があった気がします。クラス分けの時に貼り出されてたから、なんとなく記憶があるんじゃないっすかね。何人かいた日本人の子も、ドイツに留学する予定とかドイツ語学科とか、そういう人が来るので。スタンスが軽い私は、割と場違いでした。故に、そんなにショックじゃなかったと思います。

初心者のAから上級者のDまで。もちろん私は、Gruppe A(グルッペ・アー)

ビリってこういうことなのね

ただ、、、小学校から、中学、高校と、そうは言っても、テストで最下位は取った経験はありませんでした。(ウソだ、中学校で荒れて心がすさんでいた頃、美術のテストを白紙で出しましたわ。あれ零点だったろうな。絵を描くのが下手だったから。。。) まあまあ、そういう劣等感みたいなのは、このあとの人生で味わうんですが、え、ドベ?ってのは、これが初めて。

noteなんかでも、海外に学びに行きました、最初チンプンカンプンで日々泣きそうでした、みたいな話は聞くことあるかと思いますが、そう言えば、、、私、同じだなって今、思いました。で、英語勉強せずに、とか英語力ゼロで、ってなると、勉強してからいけよ、みたいな論調になって、そりゃその方がいいだろって思ってましたが、そもそも私が全然違ったじゃ~ん。なにも物申せません。。。

さらに思い出しましたが、私の中ではイヤな思い出では全然ないですけど、授業でホントに問題がわかんないから、順番に当てられるクイズの時、私に回ってくると、クラスメイトが小さな声で答えを教えてくれるんすよ。「B(ベー)だよ」とか「Die(ディー)だよ」みたいな感じで。で、クスクスって笑いが起こる。ダメな生徒を味わうのも初。

どう感じてたんだろう。まあ、昔から心は打たれ強かったしな。ん、というか、これがあるから、今、鈍感なのかしら??

しかしまあ、こういうのは、勉強したら勉強したなりの、しなければしないなりの、outputがあるんだろうから、周りがやいのやいの言うことではないんでしょうね。

Präpositionは前置詞だそうで、英語のPrepositionと似てますね。
よく、言語的に兄弟とか、いとことか言いますもんね。

さあさあ、サマーコースを振り返ります

■住居:大学からは少し離れたオリンピックヴィレッジの住居棟で1部屋提供されてました。細かいことは覚えてませんが、建物の前にSuzukiのバイクが止まってて、これは"ズツキ"と発音するんだって聞いたことだけ思い出せます。 学校へはU-bahn(地下鉄)で通ってたはずです。
■授業: これは、先ほどのエピソードが象徴的なように、なんがなんやら、だったと思います。ただ、休まずに通ったことは、学校は行くところっていう、さすが日本育ちってのと、やっぱり強心臓だったんだと思います。
■エクスカーション: 毎日毎日勉強もつまらないから、日帰りだったか、遠足に行きました。ノイシュバンシュタイン城とか、キレイな湖とか、オーストリアのインスブルックも。

宿泊は、ミュンヘン・オリンピックの選手村でした。ワンルームタイプ。
あんた、ダントツの最下位なのに、腕なんか組んじゃってさ。なんなのさ。
オーストリアのインスブルックという街に遠足に行きました。

こういうのがいいですよね、交流パーティー

私が仲良くしてもらっていたのは、日本人のMasaさん、アメリカ人のジョン、ロシア人のヴラデミールだったかな。写真を見て思い出せることしか、思い出せませんが、クラスメイトはスペイン、トルコ、スウェーデン、ルーマニアとか、ヨーロッパ各地から集まってきたと思います。当時は、アジアから来た、と言うと日本だったんですよね。中国とか韓国の子は記憶にないですね。

クラスメイトと日本食のパーティーやったんすね。食材とか日本食スーパーに買いに行ったんだと思います。
最後のディナーイベントかな。クラスごとにちょっとした寸劇をやるんです。なんか歌ってますね。私の隣はアメリカ人のジョン。彼とは繋がりました。

貴重な経験には違いない・・・

本人は行ったこと長い間忘れちゃってた訳ですし、この経験が「私、将来こうなりたい!」とかそういうターニングポイントになった訳でもありません。ワンチャン、ニューヨークにいるジョンとなんかなったら、おーこんなこともあるんだなってことで、点が線になりますが、そんなこともないでしょう。

人生、やることすべてに意味を持たせると疲れますので、なんですが、強いて言えば、めげない心が強化されたってことかと思います。これはこれで良かったんでしょうね、当時楽しかったんだろうし。

追憶シリーズ、このあとは・・・

さて、このあとの予定は・・・
■ ミュンヘン大学 サマーコース :  Released
■ ミュンヘンでの生活とFCバイエルン
■ イタリア ミラノとセリエA 
■ ポルトガル、スペイン: ロカ岬とアルハンブラ宮殿
■ 北欧 デンマーク、ノルウェー: 自分史上最北での出来事
■ クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ
■ ドイツ いろいろな街とブンデスリーガ
■ 英国 ロンドン、リバプールとプレミアリーグ
■ ポーランド
■ トルコ&一瞬寄った国
ということで考えています。数週おきに更新していきます。

さらに、2か月ほどミュンヘンで暮らします。


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