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シリーズ“le roi” その3 Le Roi de Lahore(ラオールの王)(1877) ※附録:マルグリット・デュラス(1914/4/4 - 1996/3/3)

 「お星様」初演と同じ1877年かあ! シャブリエがいかに革命的だったかがよおく分かる。ごめんなさいマスネではあるんですがこの曲は今の所ですがどうしても面白くない、唯一のDVD & CDヴィオッティの誠実な指揮でも無理。頼みのバレエ音楽ももっとニセモノでいいからインド風だったりすればまだしもなんだが、例えば「ル・シッド」のバレエ曲の愉しさには遠く及ばない。


 というわけでラホ(オ)ール繋がりで無理矢理マルグリット・デュラスの話題へ。「ラホールの副領事」(1966)という小説(roman)作品がある事を思い出します。後年「ラマン(愛人)」など、より広い読者を得た作品で有名になりましたが、それ以前は謎めいた同じような物語を繰り返し語り直すような特異な作家でした。偏執的というよりも、私にはこれしか語る事がないんだというような切迫感が異様な迫力を生む。
 その傾向は思うに1968年五月の経験も関わっているのではと想像しますが、以降、1971年の「愛」、更には戯曲「インディアン・ソング」(1973)と語り直しを続ける。そして今度は映画、「愛」の映画化として「ガンジスの女」(1974)、更に映画がテキスト「ガンジスの女」となる。映画と小説の往復。

そしておそらくデュラスの監督した映画でいちばん知られている「インディアン・ソング」(1975)へ。画面と音とはずらされ分離されてそれぞれの意味をなさなくなってくる。そんな中での叫び声。

自ら自分の小説を無にするような映画を作り、しかしこれだけで終わらないのが凄いところで、「(人気のないカルカッタにおける)ヴェネツィア時代の彼女の名前」(1976)では「インディアン・ソング」の音声トラックに全く違う映像、人のいない廃墟を映し出して一本の映画にしてしまった。

 流石にこれで同じストーリーを巡る試みは終わるが、過激なまでの映画的挑戦は続き、その極北が「大西洋の男」(1981)でしょう。大部を暗黒の画面が占める映画です。

特異な作家が映画にも新たな表現をもたらしその可能性を広げました。

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