【前世】退行催眠で見た幸福な景色
今から数年前、子どもの入園式の前夜のことである。
不安でなかなか寝付かれず、YouTubeでひたすら「眠れる音楽」を探して聴いていた。
何本見ても眠れず、関連動画を辿るうちに、「前世療法 過去世への退行催眠」みたいなタイトルの動画が出てきた。
面白半分で、動画の音声に従い、催眠にかかってみることにした。
初めは、心身をリラックスさせるための指示が流れる。
「身体の力を抜きましょう」
「呼吸と共にどんどん深い世界に入っていきましょう」というような感じ。
次に、「過去世に降りていく階段をイメージしましょう」と指示がある。
ここがちょっと難しい。階段や自分の足元のイメージと、実際の身体感覚を合わせていく必要がある。
あまりはっきりとイメージできなかったが、とりあえず、下へ下へ降りて行く自分をイメージする。
階段を一段一段降りて行くと、その先には、美しい庭園がある。
詳しい事は忘れたが、とにかくその庭園に居る間は、過去の記憶を思い出し、体験することができる。
私の場合、夢を思い出すのに近い感覚で、「今回の人生より前の自分」を知る事が出来た。
まず見えた(思い出した)のは、昔話に出てくるような、茅葺き屋根の日本家屋である。
特別裕福な家でもなさそうだが、畳も綺麗だし、小ざっぱりしていて、貧しそうな様子もない。
更に意識を集中してみる。
自分は男性であるような気がする。体の感覚から想像するに、ずんぐりむっくりした男。
茶色い着物。
若くない。中年男。
母親と一緒に暮らしている。
農業に従事している。野菜も作るが、メインは米作り。
時代は・・・・いつだろう。雰囲気的には、江戸後期から明治初期?
少なくとも、この時代に生きていた頃の私は、年号の概念を知らないし、時の政権者が誰なのかもわかっていない感じ。
映画「鬼婆」の映像が浮かぶ。
でも、私が生きていたのは、あの映画よりは少し前の時代。そして、あの村よりは、断然豊かな暮らしをしている。
ここはどこだろう。
華のお江戸感はない。北関東辺りの感じ。
(土が赤くて乾いていたら群馬だろうと思うが、そこまでは確かめられなかった。)
確か、催眠音声が、「その人生で一番幸せだった瞬間を思い出してください」というような事を言った。
その言葉に反応して、より具体的なイメージが浮かぶ。
昼間だ。まだ明るい。
私は、家の中と外を、忙しなく行ったり来たりしている。
座敷の奥に母親が居る。
そうだ。私は明日、嫁を迎えるのだ。
母親は、祝言の準備に追われている。
中年男の私は、米俵をせっせと運んでいる。
これが、いつもの私の仕事なのか、祝言に関係あるのかはわからない。
母親が、涙を溢す。
それを見て、私も胸がいっぱいになり、涙が湧いてくる。
「よかったなあ」「よかったねえ」母と何度となく言い合う。
――この辺りから、現在の私も感化されて、涙を流し始める。
ところで、誰と結婚するのだろう。思い出してみる。
嫁さんは、この時代の人にしては背が高く、面長で、キツネのような顔立ちの女。実際にこの場面に登場したわけではないが、脳裏に白無垢姿の嫁さんが浮かんでくる。
私は長いこと、この女の人と想い合っていたらしい。
しかし、何らかの事情があり、若いうちに結婚する事は出来なかった。
詳しい事は不明。母親の様子を見る限り、周囲の反対があったわけではなさそう。
「ようやく、やっと」というような言葉が浮かぶ。
「これでようやく結婚できる、これでようやく母親を安心させられる」しみじみとした、大きな喜びが胸に満ちてくる。
「真面目に生きていれば良いこともあるのだなあ」と心の底から幸せに思っている。
涙が後から後から湧いてきて、私はなかなか作業に戻れずに居る。
――ここで、現実の私が「あ、明日、入園式で集合写真を撮るんだった。あんまり泣いたら、瞼が腫れてしまう」と我に返る。
イメージを中断し、手足をもぞもぞ動かす。
これは、現実の感覚に戻るための動作である。首をゆっくり動かして瞼を開ける。
枕が涙で濡れている。
暗闇でティッシュを探し、涙を拭い、鼻をかんだ。
正気を取り戻した私は、これほど鮮明で「それらしい」イメージが得られたことに驚いた。
一方で、醒めたことも考えた。
これらの映像は、「まんが日本昔話」などのイメージを元に、自分の脳が勝手に作り上げたストーリーである可能性も否定できないのではないか。
しかし、私は、催眠で得られた情報を信じてみることにした。
少なくとも、さっきそういう脳内映像を見たのは確かで、その映像のストーリーに感動して涙まで流したのは事実だからだ。
それに、「そういうこと」にしておいた方が、なんだか夢があって面白い気がしたのだ。
私はしばらく余韻に浸った。
浸りすぎて、「結婚出来ることの幸せを誰よりも知っているはずなのに、どうして今回の人生では、夫にイライラしてしまうのだろう」と自分が情けなくなり、また泣いた。
さっき見た場面の幸福感が忘れられず、あわよくば夢でまたあの時代に戻れないかと、映像を必死で思い出しているうちに眠りについたが、そうそう、都合のよい夢は見られないのであった。
あれから、「前世療法」の動画は見ていない。
なぜなら、退行の最中、ものすごく心細い気持になったからだ。
中島みゆきの歌じゃないが、「人は一人で生まれて、一人で生きてゆくものなのだ」という事実を、改めてまざまざと思い知らされた気がした。
周りにどれだけ家族や近しい人がいようと、魂の旅は一人なのだと。
またあの心細さを味わうと考えると、躊躇してしまう。
加えて、あまりに精神世界にのめりこんで、自分が「スピリチュアルな人」になるのが怖い、というのもある。
でも、もう一度くらい試してみるのも良いのではないかと思う。
もちろん、あくまでも、暇つぶしとして。
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