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自給自足をめざした頃


私32歳位の時に大阪から岡山の八塔寺ふるさと村に
家族を引き連れて、移住してるんです

子供を産んだのも遅かったので
未だ3歳と9ヶ月の二人を連れてよくまあ
そんな無謀な事が出来たものです

両親はもちろん、孫の将来を心配して反対しました
でも親の忠告を素直に聞く様な子なら
そんな発想さえしないものです
最終的には応援して資金援助まで してくれるのが
親の有難いところなんですが
随分と気苦労をかけてしまいました

長男がアトピー体質だった事から
食べ物に興味を持ち無農薬の野菜を取り寄せたり
アトピーの勉強会に参加したりしていました
そして有吉佐和子の『複合汚染』を読んだのが
無謀な行動の引き金になっちゃいました

自分でお米と野菜を作るのだぁ〜と

ふつうの常識を持った人なら
安定した生活を捨てて新天地に臨む時
じっくり計画を立てて
ある程度の未来予想図を描いてから
行動に移る筈です

なのに私は感情の昂りがピークのままの勢いで
行動する時が、最も怖いもの知らずで
爆発的な力を発揮できるタイプの様です

だから成功する保証は何も無いままの船出でした

我が家の子供達に
このDNAが受け継がれていない事を望みますが
あやしいかなぁ…

でもいざ移住してみると
私のように日本の食に危機感を感じている人が
何人も集まって居る所でした
大阪の消費者に有機栽培の野菜を定期的に
配送する形で生計を立てて居ました

その方達に随分とお世話になって手解きも受けたのに
2年で挫折してしまったのは
自給自足という甘い幻想と現実のギャップに
ブチ当たった事と
本気で農業をやる根性が無かった処かなぁと思ってます

お金の余裕があって自家菜園を楽しむのとは
訳が違いました
子供を育て収入を得る為に
取り敢えず現金収入が必要なので主人は
養鶏場へ日雇い仕事に行きました
ゲージ飼いされた大量飼育の養鶏場です

お米も野菜作りも全くの素人ですから
本を片手に試行錯誤の連続で
売り物にするには時間も土地も足りません
だんだんと生活に不協和音が生まれて
夫婦の会話もトゲトゲしくなって行きました

竹籠を作って売ったり近くのお寺に団体客が
来た時には料理を手伝いに行ったり
山仕事をしたりと、いかに現金収入を得るかに
シフトせざるを得ない状態でした

今思うと結果を急ぎ過ぎたかも知れません
いい作物が一朝一旦で出来る訳も無いのに…
行き詰まりでした

苦い経験でしたし主人にも無理を強いてしまいましたが
得たものは有りました

布を使って新しいモノを生み出す事
自然や植物がテーマになって居る今のスタイルは
この体験から見つかった私の一番やりたかった事だからです

農業は向いていなかったけど
空いた時間でパッチワークを始めていました


土に触れるのは今も大好きですし
理想の死に方は
草むしりしてる時に心臓発作でバタンと倒れ
草むらの中で鳥の声を聞きながら息絶える
というパターンです
勿論、数時間前まで針仕事もしています

土を耕して居る時、人も地球の一部なんだと
実感できて鳥も虫も雑草さえも仲間に思えました

その感覚を得られた事が一番の財産になってます。
スゴイ廻り道をしましたし失敗だらけの人生ですが
この人生に悔いなし❣️と言いたいです

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