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私の故郷 二ツ池七葉 ~小林秀雄『栗の樹』を読んで~

 こんにちは! 広報の二ツ池七葉です。今回は我々が出版している雑誌『ダフネ』の執筆者を知ってもらう取り組みの一環として、小林秀雄の『栗の樹』というエッセイを読んで考えたことを各々に自由記述してもらうことにしました。
 『栗の樹』は、数にして言えば2ページ程度の短いエッセイです。小林は文学を仕事にすることの大変さを軽く嘆いた後で、妻の話を本作の中で一つ紹介しています。簡単に要約すると、島崎藤村の『家』を読んで生誕の地を懐かしく思った妻が、故郷の信州まで馴染みの栗の樹を見に行くという、ホッコリエピソードです。小林は、エッセイの最後を以下のように締めくくっています。

「さて、私の栗の樹は何処にあるのか。」

以下、各々による本文になります。今回は私、二ツ池七葉が記述します。是非、一読ください。

 長いようで、短い。こんな曖昧な言葉が許されるのかと考えながら、この一年間を振り返ってみると、実にあっという間だったように思う。昨年の夏に戸田で開催された漕艇競技大学大会の前入り期間中、マネージャーとして同伴していた私は部員に少しの自由時間をもらって、東京は目白の喫茶店へと足を運んだ。そこで出会った仲間と信頼関係を築き、いつしか皆で雑誌を始め、今日ここに至る。先日は新たにOBとして戸田で更に逞しくなった同期と可愛い後輩たちにエールを送った。栗色に焼けた肌がやけに眩しく、一年で急に自分だけが老いぼれたような気になりながら、私は一種の羨望の眼差しをもって彼らの雄姿を眺めていた。

 ここで私は、小難しい議論などはよしたいと思う。『栗の樹』は、つまるところ故郷の喪失という問題に集約されると見て間違いない。小林は自身の故郷に確信が持てず、ここが自分の命の泉だと、生まれ育った場所を断言することができなかった。妻の話に、ハッと気づかされるところがあった彼は、それを文章にして残したのである。
 私もずっと、故郷を求めては探しあぐねて来た。お祭りを始め、振り返れば地元では共同性を感得できる機会がとても少なかったように思う。だからと言って、栗の樹に相当するものが全くなかったかと言われると、そうでもない。ゲームを持たせてもらえなかった幼い頃の私は、よく一人で公園へと遊びに出た。自分でつけたペンネームの苗字は、そんな地元の公園の名に由来している。
 今年も段々と夜風が涼しい季節になってきた。二ツ池公園に佇む柳の木が、秋風にワサワサと揺れる不気味な様子が頭に浮かぶような気がする。来年の夏には自分も就職先が恐らく決まり、大人になるための準備を始めていることだろうと思う。また同じように一年を振り返って、あっという間だったと雑誌の仲間に漏らしている、そんな未来の自分の姿もまた目に浮かぶ。

本日は、二ツ池七葉が記述しました。次回以降、仲間の投稿が続きます。乞う、ご期待。


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