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故郷再考 二ツ池七葉 ――小林秀雄「栗の樹」リレーエッセイを終えて

 小林秀雄のエッセイ「栗の樹」について、雑誌の仲間に思い思いの言葉を綴ってもらった。ダッシュボードを見ると意外とアクセス状況も良く、企画した甲斐があったと思う。多くの人に読んでいただけたのは自分の企画力によるものではなく、偏に仲間たちの筆力によるものであったと理解している。仲間たちの協力にまず感謝の意を表したい。
 また何か仲間たちに書いてもらおうかと、大学図書館の書庫に籠って朝日新聞の天声人語を読み漁っていると、五月二十七日の記事の冒頭に「ふるさと」という言葉をみつけた。

「“ふるさと”という言葉は、年齢を重ねるとともに、追憶とまじりあって心の奥深くまで染みこんでくる。」

2023/5/27 朝日新聞朝刊 天声人語

天声人語は複数の論説員が執筆をしているらしく、この記事を誰が担当したものか今すぐにはわかりかねるが、調べたところ五十路を超えた人々が執筆者として名を連ねており、それだけに「年齢を重ねるとともに」という言葉は重たく響く。若干二十歳のメンバーで構成された我々には、未だ至り得ぬ境地である。
 この記事では、〔兎追ひしかの山 小鮒釣りしかの川〕で始まる『故郷』の作者、国文学者・高野辰之の出身地である長野県(小林の妻が見に帰った栗の樹も同じ信州の松本にあったなと思い、『故郷』の歌詞は妻の心に深く染みたものかと勝手な想像を膨らましたが、信州を故郷に持つ執筆者の一人、澤田氏曰く信州は実に広いため、容易に一括りにすると理解を誤る恐れがあり、早計な判断は自制したい「『栗の木』に寄せて――幸福への手がかり」)中野市に建てられた記念館へ執筆者が訪れた際のことが綴られ、同所で発生してしまった連続殺人事件へと話が繋がれている。上手い具合に時事的な話に持っていくもんだと感心したが、短いコラムなだけあって筆者の裏の顔が見えづらい。小林秀雄が「栗の樹」の中で触れた親しい友人と同じように、筆者も日々の連載に負われて多忙な毎日を送っているのだろうかと推測してみるが、その実相はわからない。

 文字を読むのに疲れてしまったので、新聞を脇にうっちゃって大学の書庫を何となく見回すと、読売新聞や毎日新聞、産経新聞など日本を代表する新聞のみならず、ニューヨークタイムズやら人民日報やら世界の古新聞が綺麗に重ね置かれている。こんな田舎の湿っぽい閉鎖的な書庫でも、グローバル化の大風を確かに感じることができる。私は例えば中国の新聞など、文字も読めぬ上に興味も沸かないため手を伸ばす気にはなれないが、上海で過ごした経験を持つ雑誌仲間の我亂堂氏ならば、それを手に取って目を通してみたりするものかと考えてみる。はて、彼は中国語を読むことができるのだろうか?
 我亂堂氏の「故郷を持たない者が抱く浪漫的心情のこと、またはその克服について」に、故郷という曖昧な概念はよく整理されている。曖昧な概念は、曖昧なままに放っておけという怠惰な私のような人間には、こうした整理が大変に有難い。まだ本リレーエッセイを一つも読んでおらず、誰の文章から手をつけようか迷っている方には、第一に彼の文章を推す。

 私の出身は名古屋である。『故郷』の歌詞に身体を委ねて思い出を巡る旅に出ることは非常に難しいが、私のような人間にも日本人の故郷として〔兎追ひしかの山 小鮒釣りしかの川〕が自然と連想されることは、非常に面白いものだなとしみじみ思う。二島氏は、音楽に引き付けて故郷について論じてくれた(「アニメーション映画『音楽』に感じる原始」)。彼は元々映像の側の人であり、無理に分かりづらいと言われる小林のエッセイ(小林自身も分かりづらいと認めている!)を読ませ、文章を書かせたのは悪かったような気がする。もしよければ、今度は逆に我々に対し何か一つの映像を見ることを強制し、文章を書かせてはくれないかと、次に会ったら彼へ提案してみたい(映像の素養に乏しい私は酷く苦労する羽目になりそうだが)。
 『故郷』の歌詞と自分の思い出とを重ねることは非情に難しい。そう私は前段落の冒頭に書いたわけだが、古き良き田舎の風景を既に喪った地域に育った私のような人間は、永遠に故郷を持ち得ない根無し草だという意味かと問われれば、決してそうではないと答えたい。そのことは、先ほど既に紹介した我亂堂氏の「郷を持たない者が抱く浪漫的心情のこと、またはその克服について」と、「栗の樹」の最後の問いに「都会人的な問い」を見出したモロサカ氏の「『栗の樹』と『文明の樹』」によく示されているため、ここでは論じない。

 最後に今村氏の「『栗の樹』はどこにある」に触れて終わりとしたい。改めて読み直してみると、彼の底に横たわる詩人気質というのがよく表れた良い文章だなと素直に思う。顧れば二島氏のひょうきんな調子と言い、澤田氏の重厚な感じといい、人の性格は文章によく表れるものだと改めて感じた次第だ。
 今村氏は普段から小林の文章に触れていることもあり、他のメンバーよりも文章の締め切りを早く設定させてもらった。彼が参考にした(であろう)浜崎洋介氏の『小林秀雄の「人生」論』のあとがきにもあるように、悪条件こそが人間の底力を引き出すことはあるもので、彼は私の意に沿って(と書くと上から目線に聞こえるかもしれないが、他意はない)、あまり時間を置かずに優れた文章を送ってくれた。彼にはこの場を借りて謝意を表したい。
 大学図書館の出口に「みるみるグローバルプロジェクト」なる軽忽な掲示物を発見したので、サムネイルとして貼っておく。金沢大学は留学生も多いため、シールは大陸を問わず世界中に貼られており、大グローバル時代の到来を予見させる地図となっている。雑誌仲間と久々に連絡を取れば、「今海外にいるから会えない」なんてことも、ざらに起こる時代となるかもしれない。しかし、今後将来どれだけ人や物の流動性が高まりを見せようが、我々は「栗の樹」を探す努力を怠ってはならないであろう。その理由は既に、澤田氏の「『栗の木』に寄せて――幸福への手がかり」の末文において明らかである。


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