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船長と名乗るに至った道のりと、半私信レターのご案内


和魂洋才亜力の原点

こんにちは。
Dao and Crewの船長・小島です。

私は「チームづくり」を生業にしています。
とくに、背景や個性がバラバラなヤツらが集まって、一つのチームとして力を発揮する「多文化混成チーム」が専門領域です。

多文化混成チームとは、麦わらの一味やオーシャンズ11(もう少し古くは明訓高校)をイメージすると分かりやすいでしょうか。

個性もバックグラウンドもバラバラで、まとまりそうにない面々が、不信や衝突を経て少しずつお互いを理解し認めていく。

やがてお互いの信頼とチームが目指すものへの共感が生まれると、没個性的なエリート軍団を凌駕する凄いチーム力を発揮する。

「そんなんマンガや映画の世界だよ」と思いますか。

それがそうでもないんです。私は2004年から中国・タイなど海外の日本企業の組織再構築・チームづくりを手がけてきました。中国の自社だってそうです。

異文化圏で組織を育てていくと、ある段階で、積み重ねてきたものが「カチッ」とはまる瞬間がある。そこから発揮しだすチーム力が凄いんです。

こういうチームの潜在力解放を見てしまったら、日本でこんなチームをつくれるか?と考えてしまいます。異文化・異質なメンバーを一つに集める楽しさに、私はすっかり魅了されています。

#ただ、最近は日本の日本人だけの組織だって、実は「多様性」や「異文化」が広がっています。親会社からの出向組と転籍組、新卒組と中途組、正社員と派遣社員、ギグワークや副業での参加組…。X・Y世代とZ世代。同質というにはバックグラウンドがあまりにバラバラ。日本でも多文化混成のチームづくりは重要なテーマになっていると思います。

さて、いまでこそ「多文化混成チームづくりは私の専門領域」と言えますが、ここに至ったのはまったくの運と縁。

この文では、私が多文化混成チームづくりを天職とするに至った道のりを書いてみたいと思います。船長と名乗るようになったのも、この流れから。


コンサルタントとしての疑問

私は現在、中国と日本を主戦場にビジネスをしています。中国では20年近く経営者の立場で仕事してきました。

ですが、中国へ渡った当時の自分のレベルを考えれば、20年近く生き残っただけで奇跡です。

そもそも、私が中国へ行くことになったのは、経営コンサルタントという仕事に後ろめたさを感じていたから。海外を志したわけでも中国で挑戦しようとしたからでもありません。

高額なフィーを得て、経営者から「先生」なんて呼ばれているものの、コンサルタントはほとんど結果にコミットしない。自分の助言や分析や提言が、本当に経営の役に立っているのか…。

日増しに強くなる疑問を解消する方法を当時の私は一つしか思いつきませんでした。

自分が経営をしてみるしかない

30歳の若造に、経営を任せる会社などあるわけもないのですが、念ずれば通ずというべきか、単純バカには女神が微笑むのか、そんな機会が現れました。想定外の形で。

たまたまそれが中国だった

コンサルタントとして行き詰まりを感じ、「自分で経営をやるしかない」と思い込んでいた私は、話を聞いてくれそうな昔のボスの事務所に顔を出しました。

そこで「実は2年前に中国で合弁会社を設立したんだ。だけど経営できる人材がいなくてねぇ。事業がぜんぜん軌道に乗らない。よかったら行ってみない?」とまさかの誘い。

留学経験も海外志向もない私にとって、中国で経営というのは想定外でした。中国語はゼロ、英語もダメ、海外生活経験なし。経営どころか管理者経験さえない。

中国の歴史や経済発展に興味はあれど、仕事人としての適性や準備はゼロかマイナスかというレベル。

開き直って考えれば、自分の経営力を検証するには理想ともいえる条件が揃っていました。

誘った方はダメもと(小島に断られるかも、というダメもとではなく、どうせ放っておいても行き詰まるから、小島に任せて何とかなったらラッキーの方)だったと思います。受けた方は若さゆえの無鉄砲。

そこから1年半、生存をかけた七転八倒が待っていました。

着いた会社は余命半年だった

私が飛び込んだのは日本側1社・中国側の政府系3社という複雑な合弁会社。パワーバランスに配慮し、私は日本側の代表でも駐在員でもない立場=現地法人が直接招聘した「雇われ経営者」として着任しました。

事前に厳しいとは聞いていたものの、現地の経営状況を精査すると、なんと半年後には資金が尽きる状態。最初にやったのは自分の給与と帰国機会のカットでした。

とにかく金が尽きるまでの時間がない。複雑な合弁形態のため増資も借入も不可。手元にある現金といまから稼ぐ収入で墜落をぎりぎり避けるしかない。

しかし、事業収入が年間2万元(当時のレートで26万円)では、1か月分の人件費にもならない。

ダボハゼのように糊口をしのぐ仕事を拾い始めたものの、資金ショート回避は厳しい…。

カットできる支出をカットし尽くした私は、半年で会社を潰して帰国しないための唯一の策を理解していました。人員整理=解雇です。直視することを避けてきましたが、もう他の策はありません。

経営者として自分を試すぞ!と意気込んで中国に渡った私。「経営」について書籍を読み、自分の考えを整理して臨んだものの、資金ショートや解雇は、経験も知識も、想定さえもまったくのゼロでした。

社員の解雇を乗り越えて

中国に着いて早々、解雇か半年後に資金が尽きるのを待つかの二択を迫られた私。最終的に、赴任1年目で社員6人のうち2人に辞めてもらいました。

1人は中国側出資者からの出向者で断トツの高給取り。どんな理由と切り出し方をすれば本人と出向元の面子を潰さず済むか、何か月も毎日考え続けました(彼女が揉めずに去ったのは、生き残るのに必死で鬼気迫る私を立てて、出資者たちが引かせたのかもしれません)。

もう1人はムードメーカーだった一番若い社員。私と一緒に生き残りをかけて動き出した先輩たちに、ある日「なんか最近、みんな張り切っちゃって、ちょっと日本人の犬みたい(笑)」と言い、先輩たちが陰で目を真っ赤にするのを見て、解雇を決断しました。

振り返ると2人目を解雇するまでが業績の大底でした。

水を差すメンバーをチームから外したところ、社内の風通しと雰囲気も劇的によくなり、みんな「生き延びる権利を自分たちで獲得する」ことに一丸となってくれました。

ようやくひと息ついた時、私の体重は10kg近く減っていました。心配した社員に連れられて病院へ行ってみると「甲状腺機能亢進症」。壮絶なプレッシャーやストレスと闘っていたことに、その時まで気がつきませんでした。

大切なことはすべて中国で教わった

結局、私は経営者としてのイロハも、中国流への理解も、組織づくりの鉄則も、すべて社内で教わりました。資金繰り、解雇、チームビルディング、合弁法人の難しさ、中国の官僚的思考、乾杯地獄…。

その後、顧客の深刻な問題や危機的状況に遭遇しても、「どうしよう」と逃げたくなることはありませんでした。

修羅場でサンドバッグ状態になりながら生き延びてきたため、「まぁこれくらいなら、何とかなる」と思えたのです。

#ここから8年ほど後、合弁会社を閉めて自己出資の独資法人へ移行する際に、2度目の壮絶な体験をしましたが、その話はまた機会があったら。

経営経験もマネジメント経験も中国語もゼロの状態で中国に来て、半年で倒産か生存かを迫られ、死に物狂いで資金繰りと解雇に体を張った日々を思えば、それを上回る状況はなかなかありません。

こうして、お仕事の落ち穂拾い→厄介事ばかりいただく(ほとんど人と組織がらみ)→手探りで解決→10件→20件→100件…と場数を重ねるうち、これらが本業となり、「野戦病院」「駆け込み寺」と呼ばれるようになりました。

いま思えば、生き延びるか即帰国かという限界状況は私にとって「虎の穴」でした。余裕のある状態で赴任していたら、数年後に満足して帰国していた気がします。

日本で抱いた衝撃と危機感

中国の最前線で日本企業の正当な利益を守る戦いを続けるうち、日本の中小企業にも関心が湧きました。

2017年、日本法人を設立。私は一応、中小企業診断士ですので、各地の中小企業オーナーや起業家に会って、話を聞いたり相談に乗ったりするようになりました。

そこで衝撃を受けたのは「日本の外のことは、ほとんど誰も見ていない!」

中国人のたくましさ・したたかさ・スピード・頭の切れを強烈に体感してきた者として、二つ確信していることがあります。【中国企業は黒船として日本に続々やってくる】【日本企業はこのままでは勝てない】です。

中国の商人は、日本の業界や企業をよく勉強しています。松下幸之助氏や稲盛和夫氏の書籍を読んだり、不動産や事業を買ったりしています。日本進出しても多くは失敗するでしょうが、1000社のうち1社でも成功したら、日本勢にとっては間違いなく脅威になります。

また、彼らとお互い必死で戦い「小島は喰えない」「アイツには気をつけろ」と言われてきたからこそ、中国商人や華僑と戦ったら、素直で誠実でフェアな日本企業は勝てないと感じます。

そんな中国勢の動向を誰も注視していない。もちろん備えもない。私は日本の中小企業の近未来に、大変な危機感を持つようになりました。

これからは「和魂洋才亜力」の時代

中小企業の近未来に危機感を抱きつつ、私は日本企業の眠れる潜在力を呼び覚ますチャンスだとも感じています。

日本には1000年を超える長寿企業があり、幾多の環境変化や競争相手との戦いを勝ち抜いてきたはず。私は、その秘訣の一つが「和魂洋才」にあると思います。

和魂洋才はもともと「和魂漢才」。自分たちの心を大切にしつつ、当時最先端の知識や技術を持っていた中国からさまざまなことを吸収していきました。

江戸時代の終わりになり、世界最先端の知識や軍事力が西洋列強にあることを知ってからは、それが和魂洋才に。第二次世界大戦の後は、学ぶ対象が米国になりました。

その時代に応じて学ぶ対象を定め、真摯に貪欲に吸収し、古来の自らの価値観や心と融合する。言わば【ハイブリッド力】こそが、圧倒的長寿を誇る日本の強みだったのだと思います。

すでに突入した「アジアの時代」。今度はアジアのタフさ、したたかさ、スピードに学び、自身の強みと融合させる必要があります。

和魂洋才にアジアのパワーを足して【和魂洋才亜力】(わこん・ようさい・あじありょく、と読みます)。和魂洋才亜力こそが新たな日本的経営を創造していく必要条件だと思います。

私は日本において、リーダーシップを発揮する/したいという意思を持つすべての経営者・起業家・仕事人の皆さんと一緒に、日本企業が本来持つハイブリッド力を再び引きだして、新しい日本の経営を創っていきたいと考えています。

日本企業の現実を変える仕事

現在の私は、中国の最前線で戦いの日々を送りながら、その経験を日本の中小企業にフィードバックして和魂洋才亜力の経営を削り出しています。

中国では、不正防止の仕掛け、組織の大掃除、挑戦・成長・貢献を促す仕掛け、駐在経営者の軍師、紛争解決、撤退、合弁離婚…など、日系企業の「現実を変える」のが私の仕事。

世界中の強豪企業たちがひしめき、多くの業界で世界最大の市場でもある中国。ここで日々感じる風圧や変化は、世界の趨勢を理解する重要な生の情報源です。

それを経営者の議論相手や社内合宿、動画配信のような形で経営者や起業家と濃縮共有し、中国・アジアの脅威を逆に「和魂洋才亜力で吸収してしまう」のが日本での活動。

…そして、こんな話や海外の現実や雑感雑談を、レターにのせてお送りしています。

半分私信のつもりで書いていますので、半私信レター。仕事アドレスより、軽い情報収集用のプライベートアドレスで読んでいただくような内容でお送りします。よろしければ、息抜きのついでにお読みください。↓ご登録はこちらから。

小島 庄司@DAC船長

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