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創作日記 その10 寛和の変 続き

以前に「寛和の変」のことを書きました。

「寛和の変」は寛和2年6月23日に起こった政変なのですが(無血クーデターといっても良いくらいな事件!)、この政変で権力を失った側と得た側が一堂に会した催しが直前にありました。

それが「枕草子」の「小白河という所・・・」に始まる段です。
どうやら6月中旬から4日間の催しだったということですから、終わった直ぐ後に政変になった訳です。

法華八講に左右大臣と帝を除く上達部が勢揃い。
藤大納言こと大納言・藤原為光に権中納言・藤原義懷と言う帝の外戚故に政権内で力を強めていた二人。

それに対して右大臣家の嫡男こと三位中将・藤原道隆。

政変直後の6月24日に右大臣は摂政になり、嫡男の三位中将は7月5日に権中納言、7月20日には権大納言とトントン拍子に昇進。
藤原義懷は6月24日に帝に倣って出家していますから、まさに明暗を分けます。

藤大納言こと藤原為光は左大臣に対抗するために失脚はさせられませんが、朝廷での力は政変によって失われてしまいます。

法華八講の場面は「枕草子」としては大長編の部類に入るのですが、奇妙な話とも受け取れます。
清少納言独特の妄想染みた表現で、奇妙な牛車の主を清少納言自身という見方もあるようで、少数派の解釈みたいなのですが、それが個人的にはしっくりくるような・・・・・・

探せば探すほど、誰もが知っているところに参考資料があったりします・・・・



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