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世界の見方の真理

人が同じ世界を見ていても、

見る人の「見方」によって、全く違う世界になります。

仏教の教えでは、「三生説」という3つの見方を

教えています。


1つ目の見方は、

「分別性」です。

物事をバラバラに見る見方です。


一つのもの、一つの事象を細かく見て、明らかに

するときには有効な見方です。


この見方だけで、全てを見ていると、いわゆる

「木を見て森をみず」

になってしまいます。


例えば、現代の西洋医学は様々な身体の部位や

内臓を細かく分け、それぞれに専門医がいます。

脳、目、耳、鼻、口、胃腸、心臓、心療、などなど、、、、、

身体の機能の数だけ、専門科目があります。


専門特化され、細かく分析することで、

解明されることも多く、素晴らしい一面もあります。


1つの繋がった身体を、バラバラに分解してみること

によって、細かくは見れますが、繫がりを持って

見にくくなり、真の原因究明に至らないことがあります。


一方、東洋医学は身体全体の免疫を上げてゆくための

治療法などを数多くもちます。


どちらが良いとはいえませんが、

バランス良く見てゆくことが時には必要です。


偏狭な一部分だけを切り取って、

報道されたりするのも、この見方ですね。


全体やつながりを持って見れないので、

大きな判断をするときに、この見方だけで見ていては

全く誤った判断をしてしまうことがあります。


2つ目の見方は「依他起生(えたきしょう)」です。

他とのつながりを持ってみる見方です。


原因、ご縁、「因縁」は全てつながっていて

「今、現象として起きなくても、この因縁はあとから

何かにつながるだろうな・・・・」

という感覚を持った見方です。


これはきっと後で何かがおきる「サイン」

という言うのは近い感覚かもしれませんね。


「風が吹けば桶屋が儲かる」


なんていうことわざが分かりやすいかも

しれません。


この感覚を持っていれば、

自分の現在の言動が未来へ及ぼす結果につながる

ことが分かっていますので、未来をコントロールできます。


自分が思い描く理想に向かって、

小さなことでも、コツコツと積み上げてゆけば

必ず、そこに近づいてゆきます。


徳を積むことの大切さを仏教では

様々な面から細かく説いています。

因縁は全て繋がっているので、良い因縁を

紡いでゆくために、徳を積むことが大切であることを

説いているのはこの見方とつながります。


3つ目の見方は「円成実性(えんじょうじっしょう)

「全ては一つである」という悟りの見方です。


自分も他人も、好きも嫌いも、生や死も、、、、

「全ては一つ」

であるという見方です。


観世音菩薩様の「観る」

「ありのまま観る」見方です。


仏教では「一如」(いちにょ)という一つである

という言葉が多くあります。


「自他一如」(自分も他人もひとつ)

「梵我一如」(宇宙と自分もひとつ)

などが有名です。聞いたことがあるかもしれません。


目に見えるものも、見えないものも

何もかも


「全ては一つである」


というのが仏教の説く真理です。



円成実性の見方ができるためには、

人の心理を説いた、仏教の唯識論(ゆいしきろん)でいう


末那識(まなしき)=自己執着心

阿頼耶識(あらやしき)=全ての言動に影響がある深層心理


を調えてゆくことが必須です。


その人の人生は その人の阿頼耶識の働きに

全てかかっています。


つまり、その人が悪い行いをするのは

「悪い種」を深層心理の中に記憶させ貯えているからです。

清らかな生き方をするためには、

悪い種を深層心理の中に入れないことです。

もし 悪い種が入っても それを思わないようにし、

行わないようにすることで、祓われてゆきます。


仏教の修行は 末那識を滅却し、悪の種を心に入れず

思わず、行わないことです。

その結果として、「円成実性」のものの見方ができ、

自分だけでない、全ての事象に良い影響を

与えられるようになります。


合掌












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