だにえる

今日の、やったことを書いていく。 自分に対する筆記療法的のーと。 ぼんやりとした思…

だにえる

今日の、やったことを書いていく。 自分に対する筆記療法的のーと。 ぼんやりとした思考を掴むトレーニング。 こだわり、ていねい、違い、ユニーク、面白さ、多様性、美、 エシカル、ギーク、フード、スイート、専門

最近の記事

田舎暮らし

を考えて、 様々な自治体のパンフレットや情報を見てみるが、 どれも大体書いてあることが似通っている。 そりゃそうなんだろうけど、 そうなると、どこにするかって本当に運というか、 たまたまその土地を訪れたことがある縁とか、 知人が〜とか、知り合いが〜とかなんだろうなって思う。 だって候補が多すぎる。 まあ現実問題として移住できる・できないの線引きも必要だし、 何を優先するか?どういう暮らしを目指すか?次第で ある程度の絞り込みは可能なんだろうが、 それでも、だ。 だからとい

    • パーカって重たい

      パーカに限らずなんだが、 スウェットって重たい。 羽織にちょうど良かったりして、 今の時期に結構重宝するのだが、 少し気温が下がったりして、 着用している時間が長くなると、 なんだか肩こりに悩まされる。 普段のデスクワークでは、 滅多にならないが、服の重たさにはなかなか慣れない。 そういった意味あいでいうと、 長袖っていうのも以前は得意でなかった。 煩わしいというか、なんというか。 とにかく、ひたすら半袖大好き人間だったんだが、 最近はどうも寒がりというか、 家にいても、

      • せんべいとおかき

        久しぶりに食べるとなかなか美味しい。 止まらない。 ふと、思う。 どっちがどっちだっけ? 何の話か? 原材料の違い。 せんべいとおかき。 見た目はよく似ているが、 素材が違うのだが、何回見ても忘れてしまう。 なので、今回改めて調べてここに記載しておこう。 あられもいましたね、、、。大変失礼しました。 豆が入ったせんべいが好きです。

        • 一般論で括られることに対する反抗とでもいうべきか

          一般的には、、、。とか 大抵の場合、、、、。とか 大多数の人が納得する、もしくはそうするであろう行動や思考・パターンに 当てはめられることが苦手である。 もちろん、その意見には同意できることもあるが、 いざ私が当事者となり、それを実行できるか?という観点から考えれば 答えはノーである。つまり、頭では納得や理解はできていても、 自分にとっては最適ではないという結論になる。 そんなことがあるのか? まぁ実際、本人がそう感じているのだから仕方がない。 と、少し時代の流れに反抗し

          雨の日に

          備えてレインウェアを買うのか、 雨の日は外に出ない。と決めて何も買わないのか。 勝手に決めたところで、 やむを得ず、外出しないといけないこともあるだろう。 だから、結局買うことになる。 もしくは、傘などを出先で買って、 あの時、買っておけば、、、。と後悔することになるのだろう。 用途が限られていなければ、 雨の日以外でも使う機会があれば、 そんなに迷ったり、気にしたりする必要もないんだろうが。 いろんな意味で、雨の日は私にとって悩み多き1日である

          悪い癖

          ついついなんでも自分でやってしまおうとする 私の悪い癖である いや、これ自体は悪くも良くもない ただ、なんでもやろうとして自分がしんどくなったり、 辛かったり、自己犠牲の感情があったりする場合は やめるべきだ 時間や気持ちなどにゆとりがあって、 そうすることで自分が満たされる場合は おそらくプラスに働くのだろう ただし、そういったことは非常に稀で、 大体の場合は、みんな何かしらやることを抱えていて 時間が余っている、余裕があるということ自体稀であろう だからこそ、誰かに頼む必

          なんだかしっくり、こない…。

          今、私が欲しているものは何か? この数週間色々と考えては試しに買ってみたり、 やってみたりしたが、今一つしっくりこず、 これこれ!って感覚を味わうことなく、 ひたすら繰り返す。 多分だけど、 私の欲しいものは、今私が知っている範囲の中にはなくて、 新しい領域にあるもののような気がする。 結局、試したりするのは、まずは自分が知っている範囲になりがち。 で、その範囲内では、目新しいものではなくて、懐かしい、もしくは久しぶりといったニュアンスが近い。 一方で、知らない範囲のもの

          なんだかしっくり、こない…。

          手ぶらでブラブラ

          何も持たずにブラブラする 一昔前までは、なんてことない普段の日常だっただろうが、 今日においては、自らの手元には何かしらのモノを携えて 行動してしまっている。 それは財布かもしれないし、スマートフォンかもしれない。 スマートウォッチかもしれないし、時計かもしれない。 何かに縛られたり、指示されたり、頼ることなく、 自らの感覚や感性、想いを頼りに 当てもなくただただ散歩する それ以上でも以下でもない。 何かを求めてはいけない。 結果として、得るものがあるかもしれないし、ないか

          手ぶらでブラブラ

          求めるものは、まだない

          ノンアルコールの飲料が増えてきて個人的には嬉しい。 しかしながら、良く言われることではあるが、 ノンアルと炭酸飲料って同じじゃない? コーラでよくない?的なニュアンスを持たれる。 まー確かにそれで良い場面もあるだろう。 というか、大体の場面ではそれでどうにかなると思う。 単純に、あの一口目の爽快感を味わいたいといったシーンにおいては。 ただ、純粋なビール好きとしては、あのビールの独特な味わいが欲しいのだ。 そう言った意味合いでいうと、まだまだノンアルビールは、通常のビール

          求めるものは、まだない

          自らに備わった記憶する能力なんて大したことないから記録する手段がある

          以上 そうだろう。 もしくは、人が亡くなることが早かった時代では、 出来事や史実を後世に伝えるために記録する必要があったのだろう。 現代においては、記録することはどうだろう。 少なくとも様々な手法が生まれて活用されているが、 本質は変わらない。 ・伝える ・残す ・整理する 定期的に忘れるから、新たな点と触れることで、 今までとは異なる視点から見れるようになる。 つまり取り出して、寝かせておく必要がある。 マイ、糠床のように。 味噌のように。 発酵させるのだ。 腐敗

          自らに備わった記憶する能力なんて大したことないから記録する手段がある

          銭湯はもっとあっていい

          最近スーパー銭湯行きました。 大きいお風呂、めっちゃ良いですね。 開放感 ゆったりできて 何もかもから解き放たれる そんな感覚があった そりゃそうだ、 だって何も持っていけない 唯一の持ち物は、あるとすればタオルぐらいだろう。 それも体を洗うためのものであって、 身につけるものとしては、何もない。 誰もが、同じであり、それぞれの時間を過ごす。 共有・共感してもいし、お一人様でも良いだろう。 誰にも、何にも縛られることなく、 過ごすことのできる環境が今では貴重となってし

          銭湯はもっとあっていい

          四角いテーブルをまーるく拭く

          だったら、テーブルを丸いのにしてしまえばいい。 テーブルが四角じゃないといけないなんて決まりはない。 なんなら三角形だってありかもしれない。 バランス取りづらそうだけど、 半円とか、楕円とか、星形? 自分にとって何が合うかは、やってみないとわからないし、 もしかしたら、その時の気分でも変わるかもしれない。 それはトレンドとかいうのではなくて、自身の中の状態であったり、成長・成熟を経て、感性や感覚、意識がより生に近づいていったからかもしれない。

          四角いテーブルをまーるく拭く

          圧倒的になりないもの

          挑戦と経験 失敗すること そこから立ち直る速さと強さ もしくは折れないしなやかさ これらは他の誰でもなく 自らの行動でしか強化できない だからこそ、 こうしたことには 時間とお金のリソースを積極的に使っていきたい

          圧倒的になりないもの

          良い時もあれば調子が良くない時もある

          ずっと良いに越したことはないが、 そんなことはおそらく稀であって、 大体の場合は、上がったり下がったり、 良くなったり、悪くなったりを繰り返しながら、 少しずつ時を重ねていく。 だからこそ、一喜一憂なんてしないし、 絶望を感じる必要もない。 使い古された表現ではあるが、 ”やまない雨はない” 長いトンネルを抜けた先には、 まだ見ぬ景色が広がっているかもしれない。 し、違うかもしれない。 だけど、それは今までとは確実に違うものであって、 停滞ではない、あなたが何かしら行動を

          良い時もあれば調子が良くない時もある

          あらゆる物は個々に必要ないはずでシェアでまかなえる

          自前で何もかも準備する必要があるのか?と思うことが最近増えた 必要な時に使えればいいわけで、その設備やモノが必要なわけではなく、 それを使って生み出した先に自分の求めている≒誰かが求めているものができればいいわけで。 そうした時に初期導入コストってのが、今までは結構かかるが故に、 なかなか一歩を踏み出せない場合もあったと思う しかしながら、実態として導入した設備や物が常に24時間稼働し続けているか?というとほとんどの場合がそうではないと思う であるなら、必要な人同士でシェアし

          あらゆる物は個々に必要ないはずでシェアでまかなえる

          試さないとわからない

          見たり聞いたりするのと、実際に自身で体感するのでは得られる情報の量や質が異なる そして、最も大切なことは情報の段階では、 それが、ある人にとっては当てはまるかもしれないが、自分にとってもそうである可能性は別である つまり、自分にとって有益かどうか?それを利活用してみて自身がどう感じたか?はやってみないことにはわからないのだ。 これをコストと取るか、どう捉えるかはその人次第だ

          試さないとわからない