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オマエ誰やねん? 2         『写真の中にある私の物語』のできるまで

話は遡ること学生時代へ(どこまで遡る気や?)
 
 私は学生時代からあまりアルバイトはしなかった。それというのも、まだ電動になる前のパチンコで、それなりに稼いでいたからだ。私の唯一の黒字ギャンブル。月額5〜6万円は稼いでいた。要するに、アルバイトをする必要がなかった。もっとも、この頃に一生分のギャンブル運を使い果たしたようではある。

 なので、夏休みなどはほとんど旅に出かけていた。列車の旅あり、車の旅あり、ヒッチハイクあり、野宿あり、キャンプあり、民宿あり、ちょっと豪勢に旅館やホテルあり。
 ある年の夏休みに男4人で、南の島へキャンプに行った。2人は予定通りに帰ったのだが、私ともう一人はなんとなくそのままキャンプを続けていた。特に帰ってもすることもないし、居心地がいい毎日が続いていたから。
 数日経った頃に地元の民宿の人と仲良くなって、お風呂に入らせてもらったり、食事をさせてもらったりした。私たちはそのお礼に民宿の手伝いをした。世の中がまだ余裕のあった時代だったのだろう。
 随分前のテレビドラマ「ビーチボーイズ」を見たときに、そんな昔のことを思い出した。・・・ちょっと思い出話(遠い目・・・・)


 そんなことよりも、そんなこんなの学生時代を無事に卒業して、いや、その前に、私の卒業論文は「アインシュタインの一般相対性理論の検証」だ(これ、本当。私は理系)。同窓生はほとんどが物理や理科の教師になった。私はといえば、教師にだけは絶対にならないと考えていたので、ほぼ就職は希望のない状況だった。
 そんな状況にもかかわらず、ブラブラと東京へ出て行き、とあるインストアラボでアルバイトをしながら、先輩カメラマンのアシスタントや代写をしていた。撮影は学生時代からやっていたので、なんとなくその世界へすんなりと入っていった。インストアラボではフィルム現像や写真の焼き付けを覚え、修正などという技も身につけた。今ではフォトショップでクリックひとつですることを、昔は筆で書いていた。恐ろしいことだ。この修正については書きたいことがたくさんあるが・・・・


 その後大手プロラボの商業写真課へ移って、コマーシャルフォトの勉強をさせてもらった。給料を貰いながら勉強させてもらえて、今思えばいい時代を過ごした。この時の経験はカメラマンとしては当然だが、もっと広範囲な意味で今でもしっかりと生きている。

で、全然アートは出てこない、すみません。

今日の教訓
海はいいわ〜(そこ?)

きっとつづく

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