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父が他界して11年がたったので、父の死と向き合ってみる

2010年6月25日

これは私の父が他界した日である。
今年で11年になる。父が亡くなって10年を超えたので、父について話してみる。

良い父親だったと思う

私が中学3年で鬼のようにグレるまでは、父と私はとても仲が良かった。幼少期は母よりも父と一緒に寝たがったし、毎日帰りが遅い父に対して、鬼の様に電話して、父が帰ってくるのを今か今かと寝ずに待っていた。帰ってきたときは、もう嬉しくて嬉しくて大はしゃぎだった。

小学校後半〜中学2年までも、すごく仲良しでディズニーランド行く時は父と一緒に回っていた。父の職場と学校が近かったので、帰りのバスが一緒になる時があったのだが、とても嬉しかったことを覚えている。

プールやキャンプ、公園や旅行、いろんなところに連れて行ってくれた。いつも、おちゃらけていて、友達みたいな父だった。一緒にいるといつも楽しかった。

今でも母がよく言うのは、「親としてはとても良い父親だった」と。まあ、パートナーとしては知らないけど、確かに父親としては良い父親だったと思う。お酒の問題を抱えていたので、それを除けばの話だが、この話はここではしないことにする。

父はシステムエンジニアだった

何回か話しているが、父はシステムエンジニアだった。私がエンジニアになった根本的なきっかけは父だということに最近気がついた。

父の働き方は今思うと、完全に昔のイメージ通りのブラックなシステムエンジニアだった。基本的に22:00まで帰ってくることはなかったし、3日帰ってこない時もあった、深夜に呼び出されて会社に行くこともあった。そんな父を見てきたので、社会人になって18:00に上がれるということにかなり驚いた記憶がある。

でも何故か、私は漠然と「エンジニアってカッケーな。しかも女性でエンジニアってさらにかっこよくない?」という思いがあって、就活の時にIT企業も受けていた。この「エンジニアってかっいい」って、どこからきてたんだろうって、考えると、父しかいないな〜って最近気づいて、そんな自分にびっくりした。

そして、新卒で入った会社は地元が本社で、東京にも支社がある独立系SIerだった。私は元々東京で就活していたので、東京配属で入社している。地元が本社なこともあって、私の父と働いたことがある人がたくさんいた。これは入社して発覚したことだ。

何千という企業がある中で、偶然この会社を選んで、偶然、父と働いたことのある人がたくさんいる会社に入社した。もはや偶然とは思えなかった。

みんな総じて教えてくれたのが、
「すごく優秀な人で、彼がいるのといないのとでは全然違う。必要不可欠な人だった」
とのこと。流石に不意打ちでこれを言われたのでその場で泣いた

父と話さなくなった日

父と話さなくなった日は今も鮮明に覚えている。ほんとに些細なことだった。いつものことだったけど、何故かその日から父と話すのをやめた。中学2年生の後半だったと思う。そこから私は完全にグレてしまい、さらに話すきっかけもタイミングもなくなっていった。そこから、父が余命3ヶ月と知るまでの2年間、私は父と一切話すことはなかった。

流石に、1年くらいたつと、心では許しているし、仲直りしたいな〜っていう気持ちもどこかであった。でも、私は絶賛反抗期でグレていたので、話すことはしなかった。ただ、心のどこかで、「将来、私が大人になったら、きっと今のことを笑って話したり、結婚式とか参加してバージンロード歩いたりするんだろうな〜」とか漠然と思っていた。

父が余命3ヶ月と知った日

グレていた私は、学校にもいかず、高校も通信制の高校だったので、フラフラしていた。そんなある日、いつものように昼まで寝ていたら、家の電話がなった。電話は癌センターからだった。

もしかして、、、と思った。最近、父の体調が悪いとは母から聞いていた。まさかね、、と思った。でも心のどこかで覚悟していた。その夜、母に聞いてみたら、やっぱり、父は癌だった。余命3ヶ月らしい。そして、その時母に言われた

「後悔する前に、病院に行って会ってきなさい」

私は父のお見舞いに行った。予想を遥かに超えて衰弱していた父に衝撃を受けてしまった。ガリガリで歩くことも精一杯、まるで別人だった。そんな父を受け入れられなくて、涙が勝手に出てくるから、直視できなかった。今でも鮮明に思い出す。

2年間の溝を3ヶ月で埋める

流石の私も、これはまじでやばいやつだと悟った。こんな意地はってる場合じゃない。父が死んでしまう。その前に仲直りしないといけない。

気持ちではわかっている。でも、精神的に子供だった私は行動に移せなかった。素直になれなかった。高校2年の時だった。

よくドラマとかで、喧嘩していた親子が親の病気をきっかけに和解するみたいな内容があるけど、あれはかなり難しいと思う。現実はそう簡単じゃない。2年の溝は3ヶ月では埋まらない。

とバカな私がうだうだしているうちに、父の容体はどんどん悪化していく。

ある日、父が家に帰ってきた。今思うと多分あれはもうすぐ死ぬとわかっていたから、最後の帰宅だったんだと思う。その夜は家族で花札をして遊んだ。韓国のばあちゃんが花札を教えてくれて、私たち家族もよくやっていたのだ。その夜はすごく楽しくて、父ともたくさん話せて嬉しかった。昔のような仲良し家族だった。でも、すごく悲しい気持ちだった。今でも絶対に忘れない夜だった。

私と父との関係

父が帰宅していた時に、私の部屋に話をしにきてくれた。泣きながら、「和解しよう」って言ってくれた。それでも私は素直になれない大馬鹿者だった。後悔しない日など一度もない。

私は人生に後悔してることはほとんどないけど、父が死ぬ前に素直になれなかったことは死ぬほど後悔している。

父が死んだ日

父の容体が危ないとのことで、数日病院に家族で泊まっていた。そんな中で、少し安定してきたから、一度家に帰っても大丈夫そうと言われたので、私と妹だけ1度家に帰った。

次の日の朝、母から電話があった。

「今すぐ、妹の学校に電話して迎えに行って。それから一緒に病院に来て。」

母はそれ以外何も言わなかった。私も覚悟した。妹も覚悟した顔をして、何も言わなかった。母の友達が迎えにきてくれて、私たちは病院に向かった。
私はその時「お願い、間に合って」とずっと祈っていた。

病院に着いた。走って病室まで行った。扉は開いていた。
中に入ると、一目でわかった。父は死んでいた。

頭が真っ白になって、今まで意地を張っていたことがバカに思えるほど、抱きついて叫んだ「死なないで、ごめんね、お願い、話をしてよ、許して」
もうその言葉は届かないし、その言葉を言うのは遅かった。

妹はこう言っていた
「パパ、ありがとう、大好きだよ、今まで本当にありがとうね、ゆっくり休んでね」

これが、後悔している人間と後悔しないで相手に愛を持って接してきた人間の差だと思った。私は私の妹を本当に尊敬したし、肉親の死を目の前にしてお礼が言える妹を今でもほんとにすごいと思っている。

妹とこの時の話をする機会があった。妹はこう言っていた。
「私はパパが死んでも後悔しないように接していた。実際、今でも後悔はしていない。」

父が死んだ後の私

父が死んだ後、4−5年くらいは受け入れられなかった。最初の1年は精神的にもとても苦しかった。

父が死んで、ちょうど49日目くらいにこんなことがあった。私はずっと、眠れなくて、父の死を受け入れられず、ずっと泣いていた。メンタルがズタボロだった。その日も、同じような状況で、泣き疲れてやっと眠りについた明け方、急に金縛りにあった。足元に人が立っていた。父だ。と思った。何故なら、父が病室で動けない状況になっていた時、私と妹でよく足をマッサージしてあげていたのだが、全く同じ感覚が足にあったからだ。それを知っているのは父しかいない。

私は、伝えられなかったことを全部言おうと頑張った。でも、動けないし、声も出せない。でも、頭の中で必死に伝えた。

「ごめんね、素直になれなくてごめん、グレちゃってごめん、ひどいことばっか言ってごめんね。そんな娘でも愛してくれてた?」

そしたら、肩をポンっとされて、「当たり前じゃん」って言ってくれた。

その瞬間、私は金縛りから解放された。すごく温かい気持ちになっていた。これが私が作り出した幻想か、夢だったのか、現実だったのかわからないけど、どっちでもよかった。これがきっかけで私はなんとか眠れるようになった。

そして、今

私は父が死んでから、ほんとにグレてたのか?ってくらい立ち直った。通信制高校を3年で卒業し、大学受験をして合格した。

まあ、いいのか悪いのかわからないけど、父の死がなかったら、今の私はいないと思う。グレてたままかもしれない。

そして、今、父と同じ業界で働いている。たまに思う時がある。今話したら、どんな話するのかな、一緒に技術の話とか、勉強とか情報共有とかするのかな。って。

ちなみに妹もシステムエンジニアになった。娘二人がエンジニアやってるってどう思うのかな?きっと最初は反対してただろうな。とか

父の死で私が決めたこと

父の死がきっかけで私は自分の中で決めたことがある。

・意地を張らずに会いたい人には会いにいく
・今、これをやらず伝えず、明日その人がいなくなった時に後悔しないか。を考える
・この言葉を言い放った後に、明日その人がいなくなったら、後悔しないか。を考える
・家族には常に愛してると伝える
・人はいつ死ぬかわからないので、経済的に自立する。結婚してもパートナーに依存しない。

最後に

今回は父と娘の話だったけど、この文章は、親を大切にしろっていうメッセージではない。親と子にはいろんな関係があると思うからだ。

じゃあ何かというと、父が亡くなって10年を超えて、一度もしっかり文章などにして向き合ったことがなかったので、自分が向き合うために書いてみた。

まあ、伝えたいことがあるとすれば、すごくありきたりなメッセージだけど、あなたが大切とわかっている人が近くにいるなら、その人が今いなくなっても後悔しない接し方ができているか、伝えたいことは伝えられているか、考えるのもいいかもしれない。

その人が死んだ時に、

「ありがとう、大好きだよ、今まで本当にありがとうね、ゆっくり休んでね」

「私はその人がいなくなっても後悔しないように接していた。実際、今でも後悔はしていない。」

と言えるか。私は今、家族や友達がいなくなったら、悲しいけど、いなくなった時に後悔しないように接する努力はしているつもりだ。人はいついなくなるかわからないという考えを常に頭の片隅に置いて生きている。(そうしないと心が壊れることがわかっているので、、、)

重い話を最後まで読んでいただきありがとうございました!!
改めて父の死と向き合えて個人的にこの文を書いてよかったなと思いました!

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