2023.10.13 AM2:00

ひとつ歳を重ねました。
人生で4度めの、ゾロ目です。
Twitter、じゃないか、Xにもたくさんお祝いの言葉をいただいてぼくは、わかっていたけどひとりじゃないことを、またこうしてしっかり理解して、道を外さないように歩いていけるんです。だからほんとうに、みなさんに感謝しています。ありがとうございます。

こういう日だったからこの1年どんなだったかな、なんて、総括なんかしてみようかなとおもったけれど、ここ最近はずっと、前を向いたり後ろをふり返ったり、そんなことばかりしてるから今日はしない。…とおもったけど少しだけ、「こう考えられるようになってよかった」とおもうことがあったので、それだけかんたんに書いておこうかなと。備忘のようなものとして。

この1年で、ぼくの環境は大きく変わりました。
離婚をして19年勤めた会社を退職して、手にしたとおもっていた明るい前途があっけなくこの手をするりと抜けていきました。
今おもえば小さな考えだけれど、都心の真ん中であらゆるものがそばにあって便利でいつも流行の先端で住みたい街ナンバーワンのようなところで夫婦ふたりで経済的にも余裕があって、何も書かなくなっても写真を撮らなくなってもこの生活があるならそれで、とおもっていた節もあって。
でもそれがこうもかんたんに、たったの数ヶ月でがらりと環境が変わってみて、そんな大げさな、とおもう人もいるかもしれないけれど、失敗したと、おもったんです。人生を。どこからか、転げ落ちてしまったと。もう戻れないのだと。

でも、今はそれを、この数ヶ月を、こう考えられるようになりました。
ふとした拍子にまだすこし疑ってしまうけれど、しっかりしていれば信じていられる。
この時間は、「自分で選びとった」のだと。

別れた奥さんとは、「必要なタイミングに必要だったから出会えて、必要な時間を必要なだけ、ともに過ごした」。
仕事もそう。「先につながる芽を、育てる時間だった」。
だからこうして、準備をしてきたから、見たい景色は変わったけれど、この先もきっと、大丈夫だと。

…あたかも自分で悟ったかのように書いてしまったけれどこれはこの前、ここで知り合ったお友だちにこのようなことを言ってもらえたことがあって。
それでとても楽になったんです。すごく楽になった。
でも、この出会いだって(noteは別れた奥さんが教えてくれて始めたから)「必要な人が、必要なことを」なんですよね。だからこれはほんとうだ。こう声をかけてくれる人に巡りあわせてもらったことも含めて「自分で選びとった」のだと、傲慢ではない範囲で考えてもいいのではないか。今はそう、考えています。もちろん、こう伝えてくれたお友だちにはこころから感謝しています。ほんとうにありがとうございます。またお話ししましょうね。

かんたんにと言いつつ結局またこんなことを書いてまた深夜。
ひとつ歳を重ねたくらいではそうそう、変わることはないということかもしれないけれど。
まだまだ感謝を伝えたい人がいます。会いたい人がいます。
また書きます。


で、今日は久しぶりにシュウメイギクとダリアと、ちょっとだけバラと十月桜を撮ってきたので好きなの載せておきますね。

毎年同じような、写真を撮っています。
最近サボってたから、
100枚撮っただけで、けっこう疲れたなぁ。
お気に入りがあったらうれしいです。




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