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ともしび

 何年か前のことだが、戦前の日本の母は家族の中で誰よりもいちばん偉かったと書いたことがある。    

 現代のように、どこの家にもガスが通っているわけでもなく、水道も蛇口をひねれば水が出るというわけでもなく、井戸で汲まなければならなかった家もあった。電気冷蔵庫もなかったから作り置きはおろか、生物はまとめ買いしたりもできない。したがって、買い物はきっと毎日のように野菜を求めに八百屋へ出掛け、肉を求め肉屋へ、魚を求めて魚屋へと一軒一軒買いに走っていたことだろう。それと比べたら、現代は電子レンジでチンすればどうにでもなってしまう時代であるし、スーパーやデパートの惣菜屋へ寄って好きなものを買って帰ればいいのであるから、令和を生きる母たちの家事の負担は、戦前のそれとは雲泥の差になったといえる。

 文明の力が女性の社会進出を後押ししたのか、それとも、女性たちのそういった願望が家電製品の発達を促し、女性たちの家事の負担が減ったのか、などと話は全くもってトンチンカンな方へずれてしまいそうだが、とにもかくにも昔も今も女性が、専業主婦をするということは想像を絶することなのである。

「それは言い過ぎだ」と鼻で笑ったそこのあなた。一ヶ月間、掃除、洗濯、買い物、三度の食事の支度、町内会費やその他の集金、煩わしい方々からの連絡の対処、ゴミ出し全てをやってみたら、隣にいる家事をしっかりやってくれている妻や母に対して、きっと手を合わさずにはいられなくなることだろう。

 誰のおかげで仕事に全力を傾けられると思っているのだ。誰のおかげで子供が大きくなると思っているのだ。どんなことがあろうと「ただいま」と言えば玄関まで出迎えに来てくれる母や妻がいるというのだ。

 ちょっとした口喧嘩をして生意気に悪態をついたことも忘れて茶の間に行けば、台所で唐揚げをこさえてくれている母の姿を見れるその幸せを、当たり前だと思うな。

 無給で働かせるだけ働かせておいて、男の沽券だか何だか知らないが、妻に辛く当たるバカ亭主は全国にはたくさんいる。健康な毎日が当たり前ではない。妻が、母が元気でいるのが当たり前ではないのである。

 もう一度言おう。母や妻は偉大であり、母や妻は家の中のともしびなのである。そんなともしびが消えかかったりしたら、家の中は一夜にしてお通夜の晩になるのである。

 今からでもありがとうの言葉を伝えて、そのかけがえのないともしびを、ぜひ、言葉だけではなく行動で示して、そして、いつまでも生き生きとしていられるよう、あなたのその手で守ってやってほしいのである。
 ともしびを失いかけた愚かな男より。







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